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友だちがいないという幸い

わたしには友だちがいません。

ごく稀に会う、なにかあったら力になりたい、友だち…のような人はいますが、それって友だちなのでしょうか。

友だちとは?

親しく交わっている人。とも。友人。朋友。元来複数にいうが、現在は1人の場合にも用いる。
新村出編 広辞苑 第六版より

わたしは夫以外の人(生育家族含む)と半日以上一緒にいると、それがどれだけ楽しい会であっても、ヘトヘトに疲れてしまう性質を持っています。

よって、友だち、のような人々と会う頻度はとても少なく、用事がなければ連絡も取り合いません。
わたしは日常を綴って知り合いと共有するようなSNSアカウントを持たないので、尚更交流は間遠になります。

これは「親しく交わっている」とは言えない気がします。

ということで、わたしには日常的に悩みを相談し合うような、辞書的な意味での所謂「友だち」は、いないということになります。

ところで、小学校で歌う「1年生になった暁には友だちが100人できるであろうか」という内容の歌には、思うところがあります。

わたしには子どもがいないので、今も歌われているかは不明ですし知る機会もありませんが、小学生の頃、やたら歌った覚えがあります。

これほどたやすく「みんな仲良く」という呪いをかける歌も無いように思います。

幼く、さしたる自我も持たなかったわたしにとって、この歌を繰り返し歌って聞いたことは

「友だちをたくさん作らなければヤバい奴だと思われる」

という焦燥感を得る第一歩だったように思います。

人間関係にとって最も大切なのは「距離感」です。
隣のクラスの感じがよい人と、毎日一緒に過ごすと大体きらいになります。
きらいになりたくないなら、適切な距離を取ったほうがいいのです。

「みんな仲良く」なんて幻想です。
どうしても相容れない人はいるものだし、無理して苦手な人と過ごすより、心地よく時間を共有できる人といたほうが伸び伸びできます。
相手の嫌な部分が見えすぎたな、ちょっと過多だなと思ったときは少し離れてみると、いいところが思い出されたりするものです。

高校生くらいまでは「友だちをたくさん作らなければヤバい奴だと思われる」と焦っていたわたしでしたが、
大学生になって自分で好きな単位(授業)を好きなように取るようになって、必然的に1人で過ごす時間が増えました。
そのときふと

「おや?1人、落ち着くかもしれない」

と思いました。

振り返ってみれば、きょうだいもいて、母親は専業主婦でしたから、自宅では1人になることがほとんどなく、高校までは学校でも1人になる機会はほぼありません。

遅ればせながら大学生になって初めて、わたしは孤独という贅沢を味わう好機を得たのです。

1人なら、飽きるまで本を読んでいても誰にも怒られないし拗ねられない。
好きなときに本を閉じて他の場所に移ってもいい。電車に乗って映画館や動物園に出かけたっていい。

自由。

相手の顔色や意見を伺うことのない、真の意味での自由は、孤独でこそ味わえます。
また、思う存分思考を巡らすこともできます。誰に遮られることもなく。

自分が孤独を愛するのだという事実を知るのに足掛け19年も掛かったという愚鈍さには呆れるばかりですが、
長い間わたしを縛っていた「友だちをたくさん作らなければヤバい奴だと思われる」
という呪詛は、
「そもそも友だちがいなければヤバい奴と思われても困らないし、ヤバい奴と知っても尚、わたしに好意的な興味を持ってくれる人を自然と知ることが出来る」という気付きに変わりました。

友だちを作らねばという焦燥からの解放による喜びを知ってから、10年ほど経って知り合ったのが、夫でした。

わたしには友だちが欲しいという自ずからの感情は湧きませんでしたが(あったのは焦りだけ)
人生の連れ合いはどうしても欲しかった。どういうわけか。

夫は、誰と一緒にいても疲れるわたしが、唯一疲れない相手です。
何時間、何日、何年と共に過ごしても、ずっと心地よく、好きなままというのはわたしにとって、革命です。
こんなこと、あるのか…
生まれ育った環境も場所も性別も違うのに、奇妙なことだと思います。

たぶん夫は、自然体なのです。
立派に見られたいとか、かっこいいと思われたいとか、尊敬されたいとか、逆にバカだと思われたらどうしようとか、そういう気持ちが少ない。

ただ、そのままそこにいて、人に評価されたら喜ぶけど、そうでなくてももっとくれと欲することはない。

そしてわたしにも求めることは無く、妻だから、女だから、パートナーだから、これをしろ、あれをしろと指図されたり、要望を賜ったことは一度もありません。
思っているけど言わない、ということでもないようです。

自分は自分のまま、
あなたはあなたのまま、という考え方。

そういうところに、わたしは惹かれたのだと思います。

わたしは夫がいればそれでいいし、夫がいないなら1人がいいと思っています。
仕事で多少のコミュニケーションは必要に迫られて執り行うし、わたしはそれでもうお腹いっぱいで、友だちが欲しいとは思いません。今のところ。

ただ、友だちが100人いて楽しい人は、ぜひ目指したらいいと思います。
友だちと過ごすことに喜びを見出せるのは素敵なことだし、よき友は財産だと思うし、たくさんの人と交流したいという希望を邪魔する権利は誰にもありません。
そうしてしか得られない喜びもまた、あるはずです。

大事なのは、自分の意志で選べること。
お互いを尊重すること。
自分の価値観を人に押し付けないことだと思います。

↑後日談はこちら

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