"8月11日、電話が鳴った。"

「あぁー、くそ。」

東京から帰省した夏、実家の古臭いエアコンによる部屋の高い温度にうんざりする。

そして、それに加えて蝉の声がうざい。

やっぱり、この街が嫌いだ。

♢

帰省1日目の8月11日はうまく寝付けず不機嫌な朝を迎える。

そのまま起きて2階から1階に降りると実家の犬のポチがものすごい速度で駆け寄ってくる。

こんな僕でも動物には好かれるみたいだ。

"動物には好かれるっちゃけどねぇ"

なんて、昔幼馴染によく言われた言葉を今更思い出す。

そんなときだった。

近未来と言える時代には似合わない実家の固定電話が鳴った。

最初は親宛ての電話はだろうと無視を決め込んでいたがあまりに長く続く着信に痺れを切らして僕はグッと受話器を握った。

「もしもし…」

『もし…もし…○…で…すか』

ノイズが含まれていてよく聞こえない。

「あのー、今両親出かけてまして…」

訳もわからずてきとうに返事を返す。

『○○…』

聞いたことのある声だった。

「えっ…」

『ゆ…うき…です』

「えっと…もう一回お願いします。」

『あの…公園で…待ってる…』

「え、ちょっと…おい‼︎」

僕の返事に答えない電話相手。

どんどん遠ざかる声に焦りを覚えた。
そのとき固定電話が切れた時の無機質な音が聞こえた。


僕は切れた電話に呆然としながらそっと受話器を置いた。

それは、確かに好きな声だった。

♢

イタズラ電話とは心の奥底で思いながらも、僕は洋服に着替える。

古臭い洗面台の鏡の前に立つとやっぱり自分がカッコよく見える。

実家の洗面台の鏡はそういうものらしい。

少しだけ髪をセットして、コンタクトをはめる。

東京に行くと同時に始めたコンタクト生活にはもう随分と慣れた。

玄関に置いてある埃を被ったママチャリを引っ張り出して外に出る。

俺はサドルをそっと払って飛び乗り、目的地に向かうようにペダルを漕ぐ。

「なんもねぇな…」

田んぼしか見当たらない道を見渡してそっと独り言を溢した。

やっぱり、何もないこの街が嫌いだ。

♢

目的地である公園に着くが、人影は見当たらなかった。

やっぱり居るわけがないよなと少し自分を自嘲しながらブランコに座った。

"じゃあ高く漕げた方の勝ちでよか？"

聞こえるわけがない声が聞こえた。

そんな気がした。

昔よく遊んだすべり台は今の自分には少し小さかった。

ブランコも昔では考えられないくらい高くこげるようになった。

大きくなったんだと思うのと同時に少しだけ悲しくなった。

居るわけがない、来るわけがない君を待ちながら僕は落ちていく夕焼けを眺めた。

「すごく綺麗だ。」

君と過ごした、この街は嫌いじゃなかった。

♢

8月12日。

昨日は色々なことがあって疲れていたのか、すぐにぐっすりと眠った。

ただ、蝉の声がうざい。

昼頃に1階に降りて昨日と同じようにポチと戯れる。

戯れ終わると僕はダイニングテーブルに座ってテレビをつける。

甲子園がどうも盛り上がってるらしい。

『○○、あんた昨日どこ行っとったと？』

台所で昼ごはんを作りながら母親が聞いてきた。

「ん、まぁちょっと地元眺めたかった。」

『ふふっ…あんた昔から本当この街好きよね。』

母は純粋な笑みでこちらを見つめてくるが僕は苦笑いで返すしかなかった。

『あ、8月15日花火大会あるけど行く子とか居るの？』

「ん、多分いない。」

母の問いかけに僕は少しだけぶっきらぼうに返す。

『あら、そう…』

母は俯きながら声尻を窄めた。

やっぱり、居心地の悪いこの街が嫌いだ。

♢

母が買い物に出かけて僕はリビングのソファで寝転がる。

テレビで流れる甲子園がある意味心地の良い睡眠導入剤だった。

僕がもう眠りにつく、そんな時だった。

"一回ぐらい甲子園見てみたかぁ…"

聞こえないはずの声。
そして同時に鳴り始める固定電話。

僕はすぐに起き上がって受話器をとった。

「もしもし。」

『もしもし…』

ほんのりノイズはあるが、昨日より断然マシだった。

『○○……高校…で会いたい…』

「ゆうき…だよね？」

『待ってる…』

「ちょっと…おい‼︎」

僕は少しだけ語尾を強めたが昨日と同じようにこちらの話には答えず電話は切れた。

僕は昨日と同じように準備をして高校に向かった。

僕と君が通った高校に。

♢

高校に着くと部活動生が精を出していた。

本当に来るのか少し怪訝になりながらも僕は正門の前で待った。

1時間が経った頃だろうか。時刻は午後5時になっていた。

ちらほらと帰っていく部活動生も見える。

また1人夕焼けを眺める。そんな時だった。

『○○くん…？』

僕はすぐに目線をスマホから声の主に変えた。

「生田先生か…」

僕はガクッと肩を落とす。正直、君を期待した。

『っておい‼︎久しぶりの再会でそれはないだろぉ‼︎』

相変わらず何事も大きく反応するところは3.4ヶ月なんかじゃ何も変わらなかったみたいだ。

「あはは…ちょっと色々ありまして…」

『なになに？女子高生がみたくなった？』

「違いますよ。」

即答する。

『ふーん。ま、校舎の中見てく？』

なんか否定できてない気がして腑に落ちないが生田先生の言葉に甘えて僕は校舎の中に入った。

「すっごい懐かしいです。」

僕は入った瞬間の生徒玄関を見て、てきとうに言った。

『そんな卒業して経ってないでしょ』

「バレました。」

♢

次に向かったのは僕がよく過ごした屋上だった。

この屋上は夕日とか星とかが綺麗に見え、おまけに花火大会の花火も見える。

僕が学校で唯一好きな場所だった。

「珍しいですよね、封鎖されてないって。」

僕は柵に手をかけて夕陽を見ながら言った。

『違うわ‼︎勝手に○○くんが入ってたんでしょ。あと…』

「ふふっ…なんか言いかけました？」

僕は生田先生に目を合わせず言った。

『ごめん。何もないよ‼︎まぁゆっくりしていってね…』

言いたいことなんてわかりきったこと。

言わせない、僕が意地悪なんだろうか。それとも君が意地悪なんだろうか。

君はまた、来なかった。

やっぱり、この街が嫌いだ。

♢

8月13日。

屋上で少し眠ってしまった僕は家ではあまり寝付けなかった。

うざったい蝉の声に起こされ、寝返りを打つようにして時計を見る。

時刻は午後1時。

起き上がって下に向かおうとするが、どうも体が動かない。

連日の疲れがあるらしい。
いや、疲れているからこんな現象が起きていると勘違いしているかもしれない。


もう一度眠りにつこうかとした時だった。

確かに1階の固定電話が鳴った。

僕は疲れ切った体を振り切って一階へと走った。

階段で転けそうになるがそんなのなりふり構わずに行った。

戯れようとしてくるポチを退けて僕は固定電話の前に立った。

あんだけ急いでいたのに何故か目の前に立つとすぐにら受話器を握れなかった。

僕は恐る恐る受話器をとった。

「もしもし…」

『○○、会いたい。』

ノイズが全くなかった。

確かに、それは好きな、君の声だった。

「祐希…なの？」

『○○、公園でまっとるけん』

電話はそこで切れた。返事が返ってこないのはもう慣れっこだった。

それでも、電話がいつもよりか淡白に思えた。

♢

いつものように髪とか洋服とか用意して、ママチャリに跨った。

全力で漕いだ。

僕はすぐにあの公園に着いた。

揺れているブランコを見た。

確かに、漕いでいるのは、好きな君だった。

『遅いよ。』

僕は君に勢いよく駆け寄った。

そして、抱きしめ…

『ふふっ…私、触れないよ？』

「…なんで」

『そりゃ幽霊だもん。』

分かってた。当たり前だった。

それでも、なぜか君を目の前にすると苦しかった。

「うゔっ…ごめん…」

僕は祐希の触れることのできない体にもたれるようにして声を出して泣いた。

泣いた。

これだから、この街が嫌いなんだ。

♢

『○○はあっちの生活は楽しいと？』

祐希がそっと聞いた。

「まぁまぁかな…」

少しだけ落ち着いた僕は隣のブランコに座って答えた。

『ふーん、どうせ可愛い女の子に鼻の下伸ばしよるっちゃろ？』

「そんなことないよ…」

『ダウト‼︎だって、祐希知っとるもん。○○はしれっと生田先生の胸見てた！』

「いや‼︎見てないって‼︎」

『生田先生は可愛くて綺麗で歌もうまくて？』

「胸もでかい‼︎」

『ほらな。』

流れるようにでた言葉は祐希に乗せられた瞬間だった。

そして、2人で笑い合う。
何故だろう。さっきまでしんみりしてたはずなのに。君といるといつもこうなるんだ。

「てかさ、祐希なんで昨日と一昨日呼び出しといてこなかったんだよ。」

僕はすっかり祐希のペースに乗せられた。

『え、昨日行ったのに！てか一昨日も！』

「ダウト‼︎いませんでした。俺1人だったもん。」

『えぇ、行ったけどなぁ…』

そう言って、少しだけ肩を落とす祐希が愛おしかった。

「まぁ、いいや。てかどっちが高く漕げるか勝負しようぜ。」

僕は童心にかえり、そう提案して思いっきり漕ぎ始めた。

『負けんけんね！』

祐希は負けじと短い足を精一杯伸ばしてブランコを漕いだ。

ブランコを漕ぎながら見た、夕日に照らされた君の横顔にギュッと胸が押しつぶされそうだった。

「降参する？」

明らかに差がついているのを見て僕は声をかける。

『むぅ…せこい！縮め‼︎』

僕はその声を聞いて、より思いっきり漕いだ。

そして、そのまま、飛んだ。

「祐希も飛びなよ‼︎」

僕は着地して祐希を呼んだ。

『無理怖い‼︎』

「祐希なのに勇気がないのか？」

僕がそう言うと祐希はすぐにヒョイっと飛んだ。

『なんか言った？』

祐希は真顔で言った。

「何もないです。」

僕は真顔で答えた。

『よし、じゃあ次はすべり台いこ！』

そう言って祐希は走り出してすべり台に登った。

『ほら！○○も早く‼︎』

登ると、やっぱりすべり台が小さく感じる。

『綺麗だね、夕日。』

僕らはすべり台の踊り場で座り合う。
祐希には触れれないためある意味ちょうど良かった。

「あぁ、すごく綺麗だ。」

やっぱり、君と過ごすこの街は嫌いじゃない。

♢

8月14日。

あの後、することもなく公園で駄弁り帰路に着いた。疲れから昨日はよく眠れた。

そして、起きてすぐに僕は固定電話のあるリビングで待機した。

君の声が聞きたかった。

待っていると午後1時固定電話が鳴った。

恐る恐る受話器を握る。ここの緊張感は何も変わらなかった。

「もしもし」

『○○‼︎今日は高校集合ね‼︎』

「了解。」

僕から電話を切るとすぐに支度をした。
家を出るのにきっと5分もかからなかった。

それだけ会いたかったんだ。

♢

『○○、遅い。』

正門で待っていた祐希はかなり機嫌が悪そうだ。

電話がかかってきたのが午後1時。
着いたのが午後1時半。

「すいませんでした。」

流石に及第点だろ…と思いながらも僕は謝った。

そんな時、

『おぉ！○○くん、また来たの？』

背後から声をかけられ振り向くとそこに居たのは生田先生だった。

生田先生の服装は少しダル着っぽさを残して大きな胸が少しだけ見えそうだった。

「こ、こんにちは。」

『ふふっ…挨拶なんて珍しい。高2の時の○○くんを見てるみたい。』

生田先生には祐希が見えてないみたいだった。

「えっと…」

僕は胸から視線を外すようにして後ろにいる祐希を見る。

『私もおるっちゃけど。胸、あるっちゃけど。』

怖い。恐怖。怖い。

「生田先生今日って学校入れますか？」

後ろの怖い人は置いておいて聞いてみる。

『うーん、多分大丈夫‼︎』

「ありがとうございます‼︎」

僕は生田先生に頭を下げて校舎の中へと入っていった。

♢

『うわぁ、懐かしかぁ‼︎』

玄関に入ると、祐希はこの前の僕と同じ反応を見せる。

「2年ぶりになるの？」

『ううん、高3の8月ぶりかな。』

「そっか…」

分かってた。

君がもう少しでまた会えなくなることくらい。

どことなく、気まずい会話を交わして僕らは校舎の中を歩き始めた。

祐希が窓を割って、それを僕のせいにして怒られた2-4の教室。

昼休みに生田先生の美声に張り合う祐希を見て笑いを堪えた音楽室。

マッチ棒で遊んでこっぴどく叱られた理科室。

バスケ部同士として汗を流し合った体育館。

全てが懐かしくて、それらを思い出すたびに泣きそうになる。

そして、最後に向かったのはやっぱり屋上だった。

生田先生がくれた鍵でそっとドアを開ける。

意外と時間が経ってたらしく、もう夕陽がほんのり見え始めていた。

『懐かしいね。』

「うん。」

何故か、少しだけ気まずい沈黙が流れた。

「あのさ…」

僕はそっと声を出した。

「祐希はいつまで僕とこうやっていれるの？」

聞かなきゃいけなかった。

今聞かないと消えてしまいそうで。

『うーん、明日の午後8時までかな…』

「そっか。」

『また、明日も会ってくれると？』

当たり前だろって答えようと思った。

けれど、また苦しくなるんじゃないかって思ったらすぐには答えられなかった。

「会いたい。」

出た言葉はただこれだけだった。

『ふふっ…無理せんでよかとよ。』

「うん…ごめん。ほんと…」

自分勝手とは分かってても何も言葉が出なかった。

『祐希は明日ここにいるけん。まっとーよ、花火。』

やっぱり僕は、この街を嫌いになりたくなかった。

♢

8月15日。

無気力に起き上がる。

無駄に早起きした。

歯磨きとかしても何も考えられない。

いくべきか。いかぬべきか。

答えは簡単なはずなのに。

また、祐希の前で苦しんで苦しんで泣き喚く姿を見せたくなかった。

それでも…

♢

午後6時。

僕はママチャリに跨った。

やっぱり、僕は君に逢いたかった。

大体学校まで30分…のはずだった。

花火大会により混雑した道はとてもじゃないが自転車じゃ無理だった。

できる限り自転車で向かおうとしたが、現在時刻が午後6時半。

まだ間に合う。
僕は自転車を捨てて走った。

人の波に逆らいながら走った。

夕陽がどんどん落ちていく。

堕落した生活を送っていた僕にはたったこんな距離も苦しかった。

痛い。
苦しい。

それでも走った。

♢

『遅いよ…』

時刻は午後7時半。

花火が大きな音でバンっと鳴り響く。

花火に照らされた君の横顔、その頬は少し湿ってた。

「ごめん。会いたかった。」

『うん。祐希も。』

僕は祐希にそっと近づいて頬をゆっくり撫でるように。

やっぱり触れられない。

「ねぇ、抱きしめたい。」

『…うん。』

「ねぇ、、もうどこにも行かないでよ…」

『…ごめん』

僕はそっと触れられない祐希の手のひらを触った。

確かに何もなかった。けれど、暖かった。
そんな気がした。


花火が終わるのが午後8時。

それが祐希のタイムリミット。

花火の音はだんだん激しさを増して、フィナーレへと向かっていく。

「祐希、ねぇ、」

『泣かないでよ…○○、好きだよ。』

「僕も。大好き。君が好き。君がいるから…」

花火の音なんてもう聞こえないくらい僕は祐希に夢中だった。

もっと、時間があればなんて思った。

もっと、僕が傷つく覚悟をできてればなんて思った。

でも、現実は残酷でただ時間だけが過ぎた。

君の横顔はやっぱり綺麗だった。

「ねぇ、祐希、こっちを見て。」

『うん。』

僕は一輪の大きな花火が夜空に咲いた時、君のくちびるにそっと触れた。

やっぱり、君のいないこの街が嫌いだったんだ。

♢

8月16日。

あぁ、綺麗だった。

そう思いながら、そっと目を開いた。

夢だったのかもしれないと思いながらも1階に降りる。

『あんた、昨日帰ってきたと思ったらすごい勢いで眠りついてたわよ。』

母の第一声だった。

それで、全て夢じゃなかったんだと気持ちが引き戻される。

夢でも夢じゃなくてもなんでもよかった。

とにかく、また君に会いたい。

何もなくてもなんでも良い。

君に会える、この街が一番好きだった。