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嫁にもらうなと言われて


S県F市にはいくつもの川が流れている。どこにでもあるような光景である。H川もそのひとつで、近頃は整備され近代的に様変わりし、以前のような面影はほぼない。水害などはそれほどなくなっている。治水、灌漑工事が進んだおかげで大変喜ばしいことだ。
掘ってみたら昔川だった形跡があるとか、地名に川の名を残すものがあったりすることがあるようで、今では想像もつかないくらい氾濫し、屡次の被害があったようだ。
自然の脅威はすさまじいもので、時に は甚大な被害があり、多くの爪跡を残した。
被害にあうと生活は一変し凄惨を極める。
誰もそんな目に会いたくはない、だが当時は神仏にすがるくらいしか方法がなく、自然の脅威の前に人は成すすべもなく無力だった。
昔の川は自然のままで手が加えてなく、蛇行していたところが多い。H川もやはりそうで、そのせいかあちこちで川が決壊し氾濫していた。川の東が氾濫すれば川の西がこちらじゃなくて良かったと言って喜ぶ、その逆もある。どこかが決壊すれば激しい水の勢いがおさまり、ひとまず安心するのでおのずと そうなる。すなわち川東が喜べば、川西が悲しみ、川西が喜べば、川東が悲しむ。そんな構図が出来てしまっていた。今だったら被害にあった地域を皆で援助するがそんなに余裕がなく、行政の力もそこまで及ばなかったのでそんな関係性になってしまっていた。
それは時として微妙な影響を地域に及ぼすことになる。
川を境にあらゆる事態が分断する。
川東のY田、川西のT谷それぞれがお互いに対して嫁にもらうなと言っていたという。それはそうだ、片方が喜んでいる時もう片方が悲しむのだ。それが親戚となるのはできれば避けたい。
それにしても嫁にもらうなとは、嫁のヒエラルキーも低い時代で現代の人には分からないだろうがそんな状況だったのだ。

いざ氾濫となったら混乱は必至だ。修復は困難を極める。それでもしばらくした後に再興する。すさまじい力だ。

人々は日々の生活の安寧があってこそはじめて幸福を実感する。
災害が起きればまずライフラインの確保、衣食住が満たされたところではじめて趣味、娯楽と移っていく。
それはいつの時代も変らない。現代においてもそうだ。
しかしそんなに予定通りにいかない。駄目と言われても思いを貫きたいが運命のいたずらで引き裂かれた二人もあろう。ロミオとジュリエットばりの悲恋物語のひとつやふたつあったかもしれない。

親子は一世、夫婦は二世、主従は三世の縁がある(春秋 左子伝)
親子の関係はこの世だけのもの、夫婦の関係は現世から来世まで続く。この考えから親子は来世で会えないが、この世で添えない恋人達は来世でまた会えると信じて心中したという。
そう考えると納得し、思いつき腑に落ちる事例もあるが、死生観の違いに驚く。

私は川西のT谷出身だが川東のY田出身の旧来の友人がいる。会えば杯を重ねる昵懇の間柄だが、H川のかつての因縁に思いを馳せば隔世の感がある。
今ではそのようなことを
知る人は少ない。

時代は変わっていくのだ。



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