ムツゴト

夏が始まる。空気がゆるゆると密度を増し始めて、そうなるともう呼吸でさえ、できるだけ熱を発さないように、そろそろと慎重な吐息に留めるしかなくなってしまう。
耳も目も塞がれたようになって、昼間の名残にぬるんだシーツを掴む爪先や、汗が気化してひやりとする臍、じわりと涙を含んだ眦の感覚が遠くなる。夜に、どこまでも広がってゆく、躯。
アオサギの甲高い聲と遠くの線路を揺らす、貨物列車のたたん、たたん。それから、細かくこぼれる、母音のつらなり。耳だけがどこか他人事のように、私と、その人を俯瞰している。

その人の指は細やかで、それなのに私の感情というものには無頓着だ。いつだってほころびを恐れながら、表情のひとつに、漏らす言葉の一言一言に、ブロウジョブの加減に、こわばりと弛緩の案配に細心の注意を払う私の努力など、歯牙にもかけない。
そう、牙。牙。私は牙が欲しい。奉仕して満たそうとする遊戯ではなくて、痛みで執着を知らしめる牙。だけれど、それをねだってしまえば途端に蹂躙はその意味合いを変えてしまうから、私はいつだってお行儀よくその人を受け止め、慰められようと努力する。

「つかれた」
梅雨の名残の湿度になんだかぐったりとしてしまって、思わず呟いてしまった。ピロートークとしては無粋極まりない言葉に、「そうだね、あついし」とその人は笑った。それを聞いた私は、なんだか呆然としてしまう。溺れそうだ。何に。何でもなさすぎるということに。
「ねぇ、」
「なぁに」
「このままなんでもなくつづいていくのは、とてもいいことだとおもうんだ」
事後のその人にしては思案深げな科白。だけど、と続いた言葉に、ああ、と思う。
「だけど、とてつもなくつまらないと」
「おもっちゃった?」
「そう。おもってしまった、」
「つみぶかいことだね、それは」
「そうだね」

夏が始まる。熟れてゆく季節と、ほどけてゆく私たち。さようなら。
彼の言葉の行き着く先を見届けないままに私は眠ってしまったけれど、そのとき確かに、私も同じ気持ちだった。

【お題】紅魚さんには「夏が始まる」で始まり、「私も同じ気持ちだった」で終わる物語を書いて欲しいです。できれば12ツイート(1680字)以内でお願いします。
#書き出しと終わり
https://t.co/lrHJsMmcic


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?