超安定職を手放すまでの7年間

18年続けた仕事。
大好きな仕事なだけに
手放すまでに7年かかりました。

きっかけは日々生徒指導や会議に追われ
始発出勤終電帰りが続いた年。

7年前
まず、「無」になったんです。
こんなにも喜怒哀楽が激しい私が
「無」‥

自分でもコントロールがなかなかできない
「無」感情
「無」言
「無」意識

が増えた事。

おかしいんです。私。
このままじゃヤバい!

だから
旅に出ようと思いました。
遠くへ、ただひたすら遠くへ‥
夏休みの2週間。

その旅を通して
感情を取り戻してきた感覚を得ました。

6年前
次に、「動けない」状態になったんです。
体全身が内側冷たい状態。
経験ありますか?

スーパーに行って
体が内側から
冷たくなって、
ついに歩けなくなってしまったんです。

体の内側の痛みと冷たさと戦って。
大嫌いな薬を飲んでもやっぱり治らない。
だから薬は1回飲んで終了

ちょうど3連休だったので
ゆっくり体を休めて
とにかくよもぎ蒸しで体を温め
休み明けには
無理くり出勤。

当時今のように休みにくかったんですよね。
学校。コロナ禍があってから
ずいぶん休みやすくなった学校文化。
それまでは‥  

担任なのに‥
休んだら、誰が見る?
だから、熱がちょっとくらいあろうが、
痛みがあろうが、
奮い立たせて行かねば!!

って。周りの環境ばかり見ていて
私以外の教員もそう思ってる方
多かったんじゃないかな(たぶん)

当時の私は激務な中、
どうにか時間を生み出し
休む事なく
週3で、早めに退勤し
よもぎ蒸しに通って、状態維持し続けて
3か月。

少しずつ落ち着いてきたからまた頑張る私。

5年前
はじめての学級崩壊
頑張れば頑張るほど反発される年。
心も体も疲弊してしまいました。

だって自分が良かれと思ってやってることが
みごとに外れてばかりだったので。

いつしか、
教壇に立てなくなり
学校に足を向くことさえも
難しくなっていきました。

教員人生はじめて
お休みをいただきました。

でもたった1日だけ。

心では行きたくないって思ってる。
でも、教員として誇りを持って
頑張ってきたからこそ
そんな自分が悔しくて。

周りからは
「もっと力抜いて」
「頑張らないで」

って。
私の中で極限まで
力を抜いてるのに、

【もっと】って‥
一体どうしたらいいの⁈

疑問でいっぱいでした。
すごく苦しかったんです。

なんか、
自分を犠牲にしてまで
続けることって違うよね。

子供のために‥って、
土日もセミナーに出かけて
学んで還元しようと頑張ってきたけど、

そういえば私
自分のために目を向けてこなかった‥
そう気づいたんです。

だから体も心も思い通りにいかなくなって
きたんだな、って。

自己犠牲してまで続ける人生を
送りたくない

そこから
退職に向けて、
自分なりに情報収集して
資産形成をスタートしはじめました。

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