【うつろい(雑感)】_190719

(2019.07.19)

 このところ、移ろい(季節、歳月)について感じるところを映画(【阿弥陀堂だより】(2002年)と【雨あがる】(1999年))と流行歌(【親父の一番長い日】(1979年))を通じて綴ったところでありますが、今回は毛色を少し変えて『恋心』の移ろいを英国のポップソングを通じて綴ってみたいと考えました。

 その歌とは【いとしのレイラ】(バンド名:デレク・アンド・ザ・ドミノス、作詞・作曲: エリック・クラプトンとジム・ゴードン(1971年))であります。ご存知の方はいらっしゃいますか…?【神の手】といわれるギタリストのエリック・クラプトンがザ・ビートルズのギタリストである親友ジョージ・ハリスンの妻パティ・ボイドに恋をしてしまい、その私的感情の苦悩が前面に押し出されたロックの代表的なラブソングです。ボイドは1977年にハリスンと離婚し、1979年にクラプトンと結婚します。若くして、金も名誉も手にしたクラプトンはどんなにか欲の深い男なのでしょうか…他人の妻との、ままならぬ恋情をはかなんだのか、皮肉なことに、その頃、彼はドラッグとアルコールに身をやつす状態にあって、やっとの思いで手にいれたボイドとの時空は儚いもので、ついには、数年間の別居の後、1988年には離婚してしまいました。クラプトンがアルコール依存症から離脱できたのは1990年代になってからのことでした。こんな【ただのダメな男】に共感を覚えてしまう私はダメなのでしょうか…まだ聴かれたことのない方はクラプトンが自身の心の叫びを歌い上げる、この名曲を一度、試されてはいかがでしょうか。

 まもなく梅雨が明け、被爆から74回目の夏が来ます。過日の新聞のつぎのようなコラムに心が震える思いがしました。『(昭和二十年八月九日午前十一時二分長崎市に原子爆弾が投下された。)吉田さんは顔面などに大やけどを負い、痕が残った。周囲の視線に耐え、一歩ずつ社会復帰を果たし、結婚して二児の父親になる。小学校の運動会のお昼時。次男の友だちが言った。「おまえの父ちゃんは恐ろしか顔しとんね」吉田さんは一瞬「来なければよかった」と後悔したという。しかし、次男はすぐに毅然と言い返したそうだ。「父ちゃんは原爆に遭うたんたい。なにも怖いことはなか!」「息子の言葉に救われました」と吉田さんは振り返る。(内の記述は私が加筆しました。)』しかしながら、コラムの筆者の『死の恐怖や偏見を越え、体験を語り続けた姿に希望を見る…』との締めくくりの記述に共感しきれない【もどかしさ】のような感を抱きました。皆さんはいかがでしょうか。

(2024.10.11)
 壬生七郎拝

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