渡の周りは才ばかり 3話
春とはいえ、まだ夜は少し冷えるようで、校門にちらほら見える部活終わりの生徒たちは皆、動いた後とはいえワイシャツの上にブレザーを羽織っていた。
「ごめん。おまたせい」
「こっちこそ、急にごめん」
渡が向かった先、暗がりの照明の下、校門の脇で待っていたのは秋だった。それともう一人、秋の横に立つ男子生徒の姿があった。
「こんにちは。渡先輩。お久しぶりです」
サッカーの練習着のままでいて、秋より一回り背の低い、それでも体つきは秋よりも良い、短めのくせっけを携えた男子生徒。
「あ、じゅ、純太?」
「はい。そうです。お久しぶりです」
「久しぶりい。うち来てたんだ」
渡は驚いたように目を開きながら、手を挙げた。
「丁度渡に会うから、挨拶すればって誘ったんだ」
「なるほどね」
渡は秋に向けた視線をまた純太の方へ戻した。
「にしても、前よりちょっとごつくなったな」
と渡が二人の方へと再会を喜ぶように近づいたのに対して、純太の方は強く刺すような視線を渡の方へと向けていた。
「いやあ、久しぶりだなマジで。どう? 高校生活には慣れた?」
明るく振る舞う渡を、純太は黙って睨みつけるようにじっと見た。それに少し面喰いながらも、渡は笑いかけた。
「才花もいるし、またどっかで挨拶―」
「渡先輩。サッカー辞めたんですね」
明らかに冷たさを帯びた語気。いつもと違うその声と態度に、秋は驚いたように目を見開いていた。渡はというと引きつったように苦笑いを浮かべていた。
「ま、まあねえ」
「どうしてですか?」
「まあ、もういいかなって。周りもうまいし」
「…そうですか。先輩らしくないですね」
その一言に、渡は息をのんだ。そして何かが上りくるように彼の体が力んだ。
「おい純太」
秋が注意しようと口を開いた。
「お前―」
「いやー、まあどうだろうなあー」
渡はその場を誤魔化すように、流すように、「あははは」とわざとらしく声を出して笑った。
「純太。先輩には敬意を持て。これからそういうとこも大事になってくるから」
「…すみませんでした。練習後で頭が働いてませんでした。失礼します」
それだけ言い残し、一礼をした後、純太はまたグラウンドの方へと駆けていった。
「あ、ちょっとっ。おいっ」
秋が呼び止めようとしたが、その背はもう小さくなっていた。
「すまん。後でちゃんと言っとくわ」
「いや、いいよ。大丈夫大丈夫」
渡は俯きながら笑っていた。それでも渡はただ一点だけを見つめて、心だけはここではないどこかに向いているようだった。
「マジですまん。まさかあんな感じだとは思わなくて、気軽に会わせちゃった」
「いやいや。本当に大丈夫だって。俺もまさかだったし」
まだ俯いたままの渡を、秋は心配そうに見ていた。
「渡、あいつに恨まれてるの?」
「んー、そうかもしんないな」
「もしかして、彼女奪った?」
「違うわっ」
とようやく秋の冗談で顔を上げた渡だったが、その顔はいかにも愛想笑いをしていた。
「お前にも恨まれるような人間がいるんだな」
「そりゃあいるでしょうよ」
一つ強い風が、二人の間を吹き抜けた。その風は、渡のほんの少し先の曲がった髪をぼわぼわっと持ち上げた。
「行こっか」
「うん」
二人はゆっくりと歩き出した。
「秋が相談なんて珍しいな」
「まあ、ちょっと聞きたいことというかなんというかがあって…」
校門を出てすぐは、車の走る通りで、街灯が空に光る星よりも明るくコンクリートを照らしていた。左右には家が所々並び建っていて、晩御飯の良い香りも立ち込めていた。
「今日部活何したの?」
「今日は実験した」
「え、解剖とか?」
「いや、人間はじっとしたままか、歩き回った方か、どちらの方が頭が働くかの実験した」
「ん? 何それ。何したのそれ」
「なぞなぞ」
秋は傾げた首をもう一つ深く傾げた。
「まあ、実験だよ」
「そ、そうなのね。さすが奇人メガネというかなんというか…」
「何それ」
「ああ、なんか先輩達が矢部さんのことそう言ってんだよね」
「奇人メガネ。あんま良くなさそうなあだ名だな」
「そうだよな。ごめん。忘れて」
二人歩く横を、赤い車がうなりを上げて通り過ぎた。
「まあでも、奇人は言いえて妙だな。俺からすれば天才だけど」
「ああ、めっちゃいいらしいよね。頭」
「うん。今までずっと学年で一番らしい」
「まじか…」
「うん。今日も最後の方にブレインなんちゃらインターフェースの話してくれて。めっちゃムズそうだった。」
「なんじゃそりゃ」
「なんかね、人間の脳波で―。って、そんなことはどうでも良くて、相談とは一体なんぞや」
「ああ、そうだね…」
秋は少し俯いた。
「え、割と深刻な感じ?」
その問いに、秋は三歩ほど進んでから頷いた。
街灯が作った渡の影を秋が踏みながら二人並んで進みゆく。
「それは…、まあ、ゆっくりで頼むわ。俺受け止めきれるかわからん」
渡は秋がどのような相談をするのかを脳内でシミュレートしたのか、少し上を向いた。そしてこれだろうと予測がついたように正面に向き直ったとき、丁度渡が口を開いた。
「あのさ…」
「うん」
「…あのさ、俺ね」
「うん」
「実は俺、才花の誕生日、今月の二十六日なのか、来月の二十六日なのか忘れちゃったんだよね」
「うん、来月だねそれ」
また一台、今度は原付のバイクがゆるゆると二人の横を通り過ぎていった。それによって起きた微かな風に、秋の髪が揺れた。
秋の相談内容に拍子抜けして、渡は「ま、まあ、そんなことだと思ったよ」と自嘲するように笑った。杞憂もいい所だったようだ。
「そっか、来月だったか。ありがと。あ、そうだ。コンビニでなんかおごるよ」
「え? ほんとに?」
「うん。教えてくれたし」
「ほな、お言葉に甘えさせていただきます」
「あ、うん」
下手な似非関西弁を塩対応されて恥ずかしかったのか、渡は少し顔を赤らめた。
そして二人はすぐそこのコンビニへと入っていった。
「何がいい?」
「じゃあ、飲み物で」
「オッケーイ」
店内の奥、渡はガラス越しに立ち並ぶ商品を眺めながら仁王立ちした。
「それにしても、どうして才花の誕生日なんて気になったんだ?」
「プレゼントあげたくてさ」
「そっか。プレゼントか…」
一瞬で渡は答えをはじき出した。
「あれだけ深刻そうにして。まさかお前。才花のことが―」
「いや、好きとかじゃないよ」
「なんだそうか」
渡は炭酸のジュースを取り出すと、「これでお願い」と秋に渡した。
「うん。そういうわけではないんだよね」
秋は手に総菜パンを加え持ってレジへと向かった。
「まあ、単純に友達としてって感じか」
「まあそれもあるんだけど—。あ、袋はいりません。はい、ありがとうございます」
「それもあるんだけど?」
「うん」
ピロピロピロと、コンビニの出入り口を二人またいだ。秋は外に出ると、手に持った炭酸ジュースを渡に渡した。
「サンキュー」
「はいよ」
渡がペットボトルのふたを開けると、プシュっと個気味良い音が春の夜空に響いた。それを合図に二人また歩き出した。
「で、他の理由ってのは一体?」
「ああうん。去年さ、俺才花から誕生日にプレゼント貰ったのね。それでありがとうって言ってさ」
「うん」
「で、来年プレゼントあげるわって言ってさ。とりあえず終わったんだけど、去年俺バレンタインでチョコ貰ったのにホワイトデーで返してなくてさ」
「あー。なんとなく想像ついたわ」
渡は苦笑いを浮かべた。
「春休み開けて学校であったら開口一番だったよね」
秋は咳払いをして、声のチューニングまでした。
「ねぇ、ホワイトデーでお返しなかったけどさ、その分、誕生日楽しみにしてるね」
ニコッと目じりにつきそうなほど上がった口角は、まさに才花そのものだった。
「あれほんとテロだよな」
秋の心中を察するように、渡は二、三度頷いた。
「まあ、有難いんだけどね、チョコ。まさかこうなるとはねー」
「そうだなー」
秋は総菜パンをかじり、渡はジュースを流し込む。そうして二人見上げる空にはまばらに星が輝いていた。
「まあでも、相談ていうのが思ってたのと違って良かったよ」
「え、なんだと思ったの?」
「サッカー部でなんかあったのかと思ってさ」
「サッカー部で?」
「うん。いや、壮が言ってたんだよ。俺が秋のこと可愛がり過ぎて先輩たちに疎まれてんじゃないかって」
「ああ、そういうこと。そんなことないと思うから大丈夫だよ」
「ならよかったけど」
二人歩く足音が重なりあってはずれる。
秋は一口大きく総菜パンを頬張った。そして口をもごもごさせながら話す。
「まあ、えつにおんあおおあってもさ、きにあああいんあおえ」
「飲み込んでから話して」
秋の喉が大きく動いた。
「ごめんごめん。そんなことは気にならないって言った」
「まじ?」
少し驚くように尋ねた渡に、秋は飄々とした様子で返した。
「うん。だってどうやっても俺の方が誰より頑張ってるし、誰よりうまいんだもの。そんな先輩たちになんか言われたとてねぇ。出直しなさいって話ですよ」
そう言って一歩一歩軽々と秋は街灯の減ってきた暗がりの道を進んでいった。さっきまで並び歩いていた二人だったが、渡の方は少し出遅れるようにその進む秋の後ろをずるように歩いた。
街灯に照らされているのは確かに渡の方のはずなのに、どうしてか二人比べると秋の方が目を引くように光り輝くようだった。
「秋、歩くの早い」
「あ、ごめんごめん」
秋は振り返りそこに立ち止まった。
「あ、話変わるけどさ、休み時間の時の話覚えてる?」
「どの話?」
「ほら、渡サッカー部に入ればよかったって話」
「ああ、それね」
「あれ割と本気で思ってたんだよね」
「なぜに俺が欲しいんだよ。特段上手くないぞ」
「そんなの練習でどうにかなるからいいけどさ、俺らの代中盤やってたやつ俺以外いなくて。ほら渡中学の時真ん中やってたらしいじゃん。だから欲しくて」
秋の言葉に渡は笑った。
「なら今ので余計無理になったわ」
「なんでやねん」
秋の下手な似非関西弁で、二人の笑い声が辺りの林にこだました。そして、分かれ道へと差し掛かる。
「じゃあ、これで。また明日」
「じゃねー」
渡はそのまま家へ、秋は駅の方へと歩いて行った。
「渡が入ってればもっと楽しかったのにな」
秋は鼻歌交じりに駅へと向かった。
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