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【記者日記】それぞれの越冬

                       編集部    かわすみかずみ

 今年も越冬の時期がやってきた。毎年多くの人が炊き出しや衣類提供などに並ぶ姿を見ると、日本は貧しい国だとつくづく思う。年末年始は釜ヶ崎に向かうことが常だったが、今年は神戸の越冬も見ることができた。読者から情報を教えてもらったからだ。各地の越冬の様子を記す。

  「神戸冬の家」は神戸市役所横の東遊園地東端で29年間続けられてきた。阪神淡路大震災を機にNPO法人「神戸の冬を支える会」が中心となってできた。カトリック社会活動神戸センターや兵庫県弁護士会など8団体が連携している。兵庫県弁護士会と兵庫県司法書士会は、生活相談、法律相談を無料で受け付ける。当日参加した弁護士によれば、相談内容の多くは借金返済や携帯未払い、生活保護についての相談だという。
  炊き出しは各団体が持ち回りで担当。29日に訪れた際は和風カレー丼だった。約100食分の野菜は大量だ。毎年寄付してくれる無農薬農家からのまるまる太った大根や大きな白菜をみんなで切っていく。
  この日は11時から、亡くなった野宿者の追悼式があり、読経とともに皆さんが頭を垂れる。今年は4人の野宿者が亡くなったそうだ。
  100食のカレー丼は完売した。「今年は暖かくてよかった」という声を聞き、片付けも心が明るい。

  釜ヶ崎で餅つき

  釜ヶ崎解放行動は、毎週月曜日にあいりん総合センター前で「共同炊事」を行ってきた。「炊き出し」と言わないのは理由がある。野宿者とともに作り、野宿者とともに食べて語らうことを大事にしているからだ。
  毎年正月にはみんなで餅をつく。本格的な石臼や杵が倉庫の奥から登場すると、私は1年が明けたと感じるようになった。
  大型コンロでもち米を蒸し始めると、野宿者たちが寄ってくる。「まだ餅はつかないの?」と話しかけてくる人もいる。
  釜ヶ崎の越冬に通うようになって3年位になるが、やっとおっちゃんたちと話せるようになった。最初の年は、遠くから見ていた私だった。おっちゃんたちも遠巻きに見ていた。餅つきの手順を初めて知ったのも今年だ。
  蒸し上がったもち米を石臼に入れて、杵でこねていく。きちんとこねていないといい餅にならないのだという。こね終わったら杵でつく。
  土方や肉体労働をしてきたおっちゃんたちは力いっぱい杵を振るう。「もうちょっと優しくいきましょう」と手返しの人が声をかける。
  通りがかりの外国人が珍しそうに見ている。声をかけると餅をつきたいと言った。「よいしょ!よいしょ!」とみんなで合いの手をいれる。賑やかな光景だ。
  餅つきの合間におっちゃんと道路に座って話をする。 「おっちゃんの手は土方の手だね」というと、おっちゃんは手を隠しながら「土カキやってたからよう」とはにかんだ。懸命に働いた手はおっちゃんの誇りであり、恥じることはないと、心のなかで思う。

   扇町公園の夜回り

  去年から扇町公園の夜回りに参加している。今年も30日から3日まで、できる限り夜回りに参加した。
  21時に扇町公園に集合し、梅田駅に向かうコースと天神橋筋商店街に向かうコースに3人ずつ分かれる。
  私は梅田駅に向かうコースに同行した。  奥まったコインロッカーやドリンクステーションなどを覗くが、野宿者は見当たらない。いつもの阪急駅近くのベンチは、人が多すぎていられないようだ。
    梅田ダイマル近くのコインロッカーに寝ている野宿者を見つけ、弁当やカイロを置いていく。
  高速バスターミナル付近では3人の野宿者が寝ていた。話を聞くと、高速バスの排気ガスで顔が真っ黒になるらしい。風呂屋などで顔を擦るとタオルが真っ黒に汚れるのでわかるそうだ。
  朝4時過ぎには警備員に追い出され、暖をとりに移動する日々だ。

  三角公園の片隅で

  西成の三角公園は越冬のシンボルとも言える。この時期になると、大きなベニヤ板に書かれた看板が何枚も立てかけられる。「みんなで冬を越えよう!」「生きさせろ」など、越冬闘争ならではの文字が並ぶ。ステージには釜ヶ崎の越冬を支援するミュージシャンの演奏やアピールが続き、連日の炊き出しには多くの人が並ぶ。
  炊き出しにきていた女性は、「初日(30日)は少なかったけど、31日のカレーはいっぱい(人が)来てた」という。
  野宿者と長年歩み続ける男性に話を聞くことができた。
  「野宿者の高齢化や人数の減少で手配師が廃業しているんです」と男性は嘆く。また、生活保護によって家や生活費がなんとかなっても、これまでの人とのつながりが絶たれてしまい、孤独になるケースも多い。野宿者の中には、当時制度がなかったために適切な医療を受けられなかった障がい者もいる。障がいが理解されず、除け者にされたり、差別され、仕事を転々とした人も多い。
  生活保護制度がもっと包括的な支援をするものにならないと、本当の支援にはならないと、男性はいう。
  
  変わりゆく釜ヶ崎

  釜ヶ崎からは大阪の新名所となったアベノハルカスが見える。すぐ近くには星野リゾートの巨大ホテルもできた。大阪府市は万博カジノを機に釜ヶ崎を外国人向けの観光地にしようとしている。釜ヶ崎の象徴だったドヤ(簡易宿泊所)は外国人向けのホテルに置き換わりつつある。おっちゃんたちが爪の中まで泥を食い込ませて高度経済成長を支えていった記憶はいつか消えていくだろう。だからこそ、おっちゃんたちがこの場所で生きていたことを、私は覚えていたいと思う。
  

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