憧れと献身、解析と擬態


いつも主語が大きくて良くないですね。
こんにちは日本在住無職21歳女性です。

私は21年生きてきて

「自分を心から理解してくれる人」

というのに出会ったことがありません。

ほとんどの人はそうでしょうか。


でも私は相手のことを全てと言ってもいいほど気持ち悪いと言われるほど知っているというのに、相手は私のことを知りませんし、興味も持っていません。

自分が相手を好きで好きで大好きで
相手を知ろうとして、知っただけなのに、

自分について相手は何も知らない。

これはこれでなかなか虚しいのです。
自分勝手ですね。

私の幼少期の話です。
私は昔から人の名前と顔を覚えるのが大得意でした。

クラスの人の誕生日、血液型、家族構成、家族やペットの顔、名前、年齢などなどまで、1度聞いたり見たりしたら覚えていたんです。
気持ち悪いですね。

さらに気持ち悪いことに、クラス全員の字の癖まで覚えていました。

無記名のプリントがあると、皆がこれ誰の字だと思う?と私に聞きに来るほどでした。
気持ち悪いですね。

中学生までの私はこんな感じで、人間コンピューターのように、他者のことを無意識に知っていました。

結果友人は多かったです。

○○ちゃんこれ好きだよね?
○○くんの弟来年入学してくるんだよね?
この間○○さんのお母さんにあったよ〜。

などなど。

ランダムなグループワークでも難なく話すことが出来ました。

盛り上がっていないグループに、わざわざ派遣されることもありました。

今思えばこんな

子ども大人

にならざるを得ない状況と、それを良しとする大人はとても残酷だったと思います。

なぜ自分がこのようなタイプになったかと言うと、憧れと擬態にあると思います。

保育園の時、家族以外に初めて出会う大人である先生に憧れを持ちました。

先生はいつも明るくて、字が綺麗で、絵が上手くて、私たちのことを何でも知っていて、誰に対しても優しくて、私の話をちゃんと聞いてくれて、みんなから愛される。

私はそんな先生が大好きで、憧れでした。

だからその先生のようになろうと思ったのです。

先生のことを沢山知りたくて質問したり、
先生の口癖を真似したり、
先生の砂の集め方を真似したり、
先生のリボンの結び方を真似したり、
先生のホクロの位置を書いて真似をしたり。

時には先生の言うことを聞かない子や、先生に迷惑を掛ける子に対して、先生のように振る舞い、叱りました。先生がいい子だねと褒めてくれたからです。

頭がおかしいとしか言い様がありません。

でもそれが自分にとっての無意識行動であり、幸せだと感じる行動だったのです。

小学校になってもその癖は変わらず、
学年が変わるごとに担任の先生に憧れました。

先生について詳しく調べたり質問したり
先生の笑い方を真似したり、
先生の丸つけの癖を真似したり、
先生の字を真似したりしていました。

そして子ども大人だった私はだいたい問題児と言われる子どもの横に座らされました。

誰からも頼まれる訳でもなく、誰かから感謝される訳でもなく、勉強を教え、持ち物を整理し、時には叱っていました。それが先生の為になると思っていたからです。

友人同士で叱り、管理するなんて、やっぱりグロテスクだと思います。

彼はノート忘れるだろうから明日はルーズリーフを持っていってあげよう。

彼女は図工の課題終わらないだろうから、1時間目で自分のを終わらせて、2時間目は丸々手伝ってあげよう。

怖いですね。このあげよう精神
誰からも頼まれていないんです。


結果、私は相手の行動パターンを知っているので、その通りになります。

それが心地よかったんです。


自分はその状況を予測し、相手は自分が思った通りに行動し、自分を頼り、周りからはしっかり者だと認識され、無意識に他を子ども、自分の精神年齢は高いんだと考え、誤った優越感に浸っていたんです。

私にとって人と仲良くなるということは

相手を深く知り、自分を差し出し、自分が導く

という所だったんです。

もちろんこれは大きな間違い。大間違い。

当然歪みが生じます。

中学に進学すると、自分はどんどん置いていかれました。

周りが正しく大人になって行ったからです。

周りが成長していく中で、自分が止まっている感覚が許せず、恥ずかしかったのです。

なので少し迷走してしまいました。

勉強も周りからどんどん追い抜かれました。
生理が早かった私は、今までずっと背の順で1番後ろだったのに、どんどん前に来ました。
走るのもどんどん遅くなりました。

でもそれを必死で隠そうと強ぶっていました。
厚底を履いたり背の順破って後ろの方に居たりしました。

振る舞いはいつも周りに人がいる先輩や、
明るいテレビタレントの振る舞いを真似したり、ちょっと悪い先輩の真似をしたり、

キャラがブレブレだったため、
キャラが定着する2学期までは友達が少なかったです。


定着すると、人が周りに増えてきました。
それは本当の私の姿では無いのにね。

中学生になって初めて誕生日のプレゼント交換イベントに出会いました。

私は相手が好きなキャラ、アイドル、色、全て知っていたので、だいたい喜ばれました。

センスが良いから一緒に選びに行こうと言われることも多かったです。

しかし私の番になった時、貰ったものは正直全て全く好みではありませんでした。

そしてみんなから口を揃えて、

あなたの好きな物、何も知らない。

と言われました。

言われてみれば言ったこと無かった。

とそこで気づきました。

それは聞かれたこと無かったということでもあるのだけれども。自分からは全く言っていなかったんです。

でも特に好きなものが無かったわけではないんです。

とても好きで好きで大切なものはあったんです。

でもそれを誰かに言いたくないし、

触れてほしくないと思っていました。

なぜか。神格化しているから。
私以外か触れてはいけないと思うくらいヘビーでダルい感情を抱いてたんですね。


みんなが言う好きと、自分の好きは少し違うんだとその時感じました。

とりあえずみんなが好きなキャラと被らないようにプーさんが好きだと言いました。
実際ディズニーで1番好きですしまぁいいや〜と。

こんな感じで

私は全く相手に自己開示をしていなかったし、したとしても本心ではなく、
本心のスペアのようなものを言っていたんだと。

そりゃ理解なんてしてもらえません。

私がいつまでたっても私を出さないから。


中3の時に、ある友人に言われました。

あなたの本心がわからない

一緒にいて楽しいし、好きだけどピエロと一緒にいるみたい。

と。

私は彼女のことが好きですが、

時に嫌いでした。

彼女は私が素で照れたり、焦ったりする状況が好きだったからです。


そういう状況は自己嫌悪やパニックに陥るため避けたい状況でした。
予測できない状況に弱いんです。Jあるあるなのかしら。私あるあるなのかしら。

でも彼女は私にそういうアプローチを掛け、
困っている私の表情を見るのが好きな子でした。


確かENFPだったかな。
大学の時連絡先消しちゃったけど元気かな。
元気でいるといいな。

今思えば彼女は彼女なりに私を知ろうとしてくれていたんだと思います。

集団で一緒にいる彼女は嫌いだったけど、2人だけで会う時の彼女は好きでした。


でも最後まで本当の自己開示は出来ませんでした。

いや、確かにしたんです自己開示。

高校の時の話なんですが、
特に嫌な事をされた訳でもなく、悩みがあった訳でもなく、友達も確かに居たのに、なんかここに自分が居てはいけない感覚に陥り、連絡先ドアスラム転校をしました。

友達がゼロになり、
何となく萎えてる、
そして不安から周りに強がってる、
メンタルが不安定になっている状態でした。


そんな時に連絡先を残していた彼女が

「見て!ブレないカメラでブレたよ!」って

月の写真を送ってきたんです。

その時になんか気が抜けて楽になって涙が出てきたんです。

そしてその時に思いました。

あぁこの人が好きだ。
なんて素晴らしい人だ。
この人の様になりたいと。



怖いですね。激ヤバ。
神格化の始まりです。



そこから私は彼女の家や学校に遊びに行ったり中学の頃よりも仲良くなりました。
そしてやはり真似を無意識にしていました。

彼女の部活を見に行っては少ないバイト代から差し入れをして。ただ見に行くだけで彼女とは全く話さない日もありました。

それでも良かったんです。

でもやっぱりそんな歪んだ感情は歪みを生みます。


自分だけ中学生のまま時が止まったままで
彼女が正しく高校生としてのステップを踏んでいったんです。

入学時は不安や愚痴が多かったのが、どんどん楽しかったことなどに変わってきました。

それが許せなかったんです。

激ヤバ。最悪。

自分にはあなたしか居ないのに、
あなたにはなぜ他の人か居るの?

キングオブ理不尽

早かったLINEの返事もどんどん遅くなってきました。

その時に幼いままの私は思ったんです。

彼女から大切にされていないと感じる。
私も遅くしよう。と、

ガキで草。

すると相手が心配して親に連絡してきました。
(親同士も仲が良かったため)

正直その彼女の行動に対して疑問を抱きました。

そこから私の彼女像が崩れ始めたんです。

私は彼女を聖人に、神格化し過ぎていました。

だから何をされても良かったんです。

でも人間は怖い生き物。

見返りを求めてしまうんです。

自分がした分だけ、
自分がしてる事だけ、

返して欲しい。

それが無かった時、無くなってしまいそうになった時、私はとても焦ったんです。

私と友達なんだよね?
友達でいてくれるんだよね?
私と友達でいたいんだよね?

ガチめんどメンヘラ。
深夜の行動と考察はいけませんね。

深夜って余計なことしかしません。

その日深夜2時半、

ずっと思っていたこと、

今の自分の現状全てを文章で送ったんです。

でも急に全てをさらけ出しすぎたんですね。


彼女からの返信はありませんでした。


もちろん私は垢消し転生ドアスラム。

あれから彼女とは会っていません。
というか会う資格がありません。

彼女がこういうことに共感しやすく、必ず傷つくと分かっていてこういうことをしたからです。

後から親に聞くと、彼女はどうしていいか分からずに泣いていたんだそう。

私の本心は彼女を傷つけ、悩ませ、泣かせた。

一種のテロ行為です。最低ですね。もうゴミ。

人生初めての心からの自己開示は誰も幸せにならない結果に終わりました。

その方法を知らなかった人間の末路であり、人を傷つけた人間の思考の全てです。

子ども大人から、大人子どもになったんです。


「個」というものを持たず、

憧れから人を神格化し、

その人に自分を差しだし、

常に誰かに擬態し、

相手を異常なまでに知り

コミニュケーションを取る。


自分がやってきたことに呆れる事しか出来ません。

ちょうどこの時期に退職しました。
踏んだり蹴ったりですね。自業自得ですよ。

それから約半年、カウンセリングをしながら

個を知るということ、

自分の感情を自然に伝えるということ、

寝る前に首の周りをうろつく嫌な過去と向き合う方法を練習しています。

新しく知った「個」はとても偏屈で潔癖でボヤキ野郎です。

でも案外その方が周りからのウケが良かったりします。(もちろん違うケースもあり)

何より自分が楽なんですよね。

人との沈黙が苦じゃ無くなりました。

前は個が無かったので、相手からの質問が大の苦手だったんです。

だから自分からガンガン話しかけに言っていました。

あれ今考えるとバリきついですね。

よく頑張った。擬態自分。

「自分の感情を伝える」というのは

私は喜怒哀楽の喜哀楽のみしか使ってはいけないと思っていました。

哀は伝えると言うよりアピール?やや匂わせ位で相手に来てもらうという計算高さっぷり。
お前全然悲しんでねぇだろ。

怒は出してはいけない感情だと思っていました。

だから嫌なことをされた時、相手に怒るのではなく、拗ねて1人になるという手段を取っていました。

これは外では出したことがありません。
家庭内のみです。

正直、家庭内以外で怒ったり拗ねたりしたことないんです。

でもこれだとずっと嫌なことは嫌なままだし、相手から舐められる。

ということでカウンセリングの先生と自分が嫌なものを把握し、伝える練習をしています。

結構多いですね。自分にも他人にも潔癖なので。

例えその場で飲み込まなきゃいけない状態でも、

いかに口に出すことで楽になるかなどなど、

自分が今まで知らなかった感情を知り、

不思議と何かから許された気持ちになりました。

でも何故か怒ろうとする時に笑っちゃったり泣いちゃったりする。

まだシャバに出るには練習が必要。

「嫌な過去は思い出す」の対処法は、

当事者ではなく、

今の自分を第三者としてそこに召喚させるといいと言われました。

自分が昔の子どもの自分に

周りの大人にして欲しかったことや、

自分がこうしたかったということを想像する度に、

嫌な思い出は少しずつ薄味になってきた気がします。

まだなんかしつこいお味だけど、初期の激塩辛よりはマシになってきたと思います。

擬態と憧れの病気の擬態の部分は

社会復帰するまでに少し治せそうです。

ただ憧れと献上はまだ他人と触れていないので分かりません

でもそれを恐れて人にも自分にも潔癖になり距離を取るのも良くないと思えるようになりました。


これは1人で治さなければいけないけれど、1人では治らない。


という先生の言葉を胸に、少しずつ社会に出てみようと思います。


私事昔話長文、読んで下さりありがとうございました。














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