見出し画像

ADHDの大学入試 【ADHDは荒野を目指す】

 1-7.

 受験の時期が近づいても、気持ちが焦るばかりで、殆ど何もしませんでした。僕はそんな情けないADHDでした。
 それでも――ADHDにある数少ない長所の一つ、「何かに没頭しやすい」性質が、そこで僕を救うのです。

 幼いころのような「勉強」ではなく、中学生の頃のような「ゲーム」ではなく、高校時代の僕が耽溺したのは、「読書」でした。

 退屈でたまらないのにお金がない僕にとって、読書というものが、自分を別世界に連れて行ってくれる、唯一の存在だったのです。
 図書館に行き片っ端から本を借りる。古本屋に行き、廃棄寸前で投げ売りされているボロボロの本を買いあさる。電車の中や授業中、そして自室のベッドの上で、むさぼるようにそれらを読む。
 面白いに違いない本を大量に仕入れた状態で、土曜日の放課後を迎える――それが、高校時代の僕にとって、至福の時間だったのでした。

 同級生の多くが勉強やスポーツに励み、僅かに一部がタバコを吸ったりパチンコに行ったり酒を飲んだりナンパをしたりしていた、高校時代。
 僕はただ一人、本を抱えて暮らしていました。

 そしてその習慣が、勉強をしない僕を救います。
 勿論、読んでいた本は、いわゆる「軽いもの」ばかり。ミステリー、歴史小説、SFといった、「別世界に連れて行ってくれる」ようなものだけです。ごくたまに、背伸びして文学作品を読むことはたまにありましたが、退屈きわまりない「評論文」などには一切手を出していません。
 それでも、朝から晩まで活字と向き合っている内に、「国語力」と呼ばれるものを、いつしか身に着けていたようです。
 授業を一切聞かない分、定期テストでは相変わらず得点できませんでしたか、模擬試験などでは、僕は自身驚くほどの高得点を修めることが出来るようになっていたのです。
 勿論、国語だけの話であり、他教科は相変わらずボロボロでしたが。

 そして、その国語力だけを頼りに、僕は大学入試に臨みます。
 当時の灘高生たちは、私立大学を受験することが殆どありませんでした。国立大学、しかも東京大学か京都大学のみに絞って受験をするのが殆どでした。
 ですから、国立大学に到底届きそうにない学力しか持たない僕は、彼らとは違った受験行動をとるべきだったのですが――それをしませんでした。つまり、滑り止めの私立大学を受験せず、国立大学のみの受験に絞ったのです。
 理由は簡単です。私立大学への進学を、両親が許可しなかったこと。私立中高に通わせたうえに、私立大学に通わせるお金なんて、ある筈がない。両親はそう言いましたし、それは十分に納得できる理由でした。
 さらに言われました――浪人させるお金もない、と。だから僕は、入試に失敗すれば、恐ろしい社会に出るしかないのです。
 まさしく、背水の陣での受験でした。
 

 やがて年が改まり、僕は、センター試験を受けます。
 そして思わぬほどの成功を修めます。勿論、灘高生としてはそれ程よい得点ではありません。しかし、その年の問題が軒並み難化していたお陰でしょう。苦手の英語や理科ではさして差がつかず、国語では満点、歴史小説好きであった為に比較的得意だった日本史や世界史でも、それなりに良い得点を取れたのです。
 僕は大いに浮かれ、有名国立大の文学部へと願書を出します。そして意気揚々と試験本番に臨み、素晴らしい手ごたえを得てそれを終えます。
 二週間後、僕は意気軒昂たるまま、合格発表の掲示板を眺めます。

 ――不合格でした。


 当たり前のことでした。
 六年間サボり続けていた人間が、多少読書をしたからと言って、それだけで良い結果を出せるはずもありません。大学受験はそんなに甘い物ではない。

 けれども、僕はそこで絶望したりはしませんでした。

 今でこそ数少なくはなりましたが、当時は殆どの国公立大学が、敗者復活戦とも言える「後期試験」を実施していました。
 そして、ある地方国立大学文学部の後期試験に関して、僕には十分な勝算があったのです。


 その後期試験は、センター試験の配点が非常に高く、二次試験では「作文」しか出題されなかったのです。

 そんな試験形式の大学が存在すること、そしてそれを僕が発見できたこと。その二つ共に、僕にとっては素晴らしく幸運なことでした。

 もし後期試験の試験科目が、「小論文」であれば、僕には歯が立たなかったでしょう――すぐに気が散るADHD、論理的に物事を考えることなど出来ない人間なのですから。
 でも、「作文」なのです。想像力だけは豊かなADHD、そして読書のお陰で語彙力だけ人並み以上の人間なのです。形式にとらわれず書き連ねることが許される「作文」は、得意中の得意でした。これ程有難い試験教科など、他に存在し得ないでしょう。

 後にその学校は後期試験そのものを止めましたし、他大学で「作文」を試験教科にしていることは、聞いたことがありません。
 僕の受験の際にそんな試験が存在したことは、素晴らしく幸運なことでした。

 そしてその学校を発見できたことも、ただのラッキーでした。
 教師とも友人とも親ともまともに交流していない僕です。受験システムは愚か、受験日程すら殆ど知らない状態だったのです。そして、自身の未来についても殆ど考えられない人間です。
 センター試験以前には、どんな学校が存在して、どんな試験をするかなど、殆ど知識のない状況でした。
 そんな僕が、センター試験の結果を見て良い気分になった後、偶々立ち寄った本屋にて、偶々受験情報誌を立ち読みした結果、偶々その学校を見つけただけなのです。
 僕は大喜びしました。腐っても国立大学です。合格した際には、両親もその大学への進学を許さざるを得ません。しかもそこは地方――通学するに は、僕は一人暮らしをするしかない――完全なる自由が手に入るのです。
 これを逃してはならない、僕はそう強く思いました。

 
 そして僕は、その地方国立大学文学部後期試験を受験します。
 まさに最後のチャンスです。これに失敗すれば、あの恐ろしい社会に出なければならない。相当な緊張はしました。
 でも、問題はありませんでした。試験を終えた二週間後、僕は無事に合格通知を受け取ることが出来たのです。


 そして、十八歳春、僕は家を出ました。
 長かった我慢の日々がついに終わった。今後は華やかな日々が待ち浮けている。そう、強く信じながら。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?