女将ちゃん、ごっつあんです! ~伝説の大横綱、女子高校生に転生す~ 第31話 代理戦争 其の二

 悪神オロチが作った肉の器に入り込んだ私は、ゆっくりと目を開いた。

 何とも不思議な気分だ。目の前に私が佇んでいるのが見える。正確には雷電丸が、であるけれども。

 雷電丸は酷く驚いた表情でこちらを見つめていた。

 私は、そんな彼を無視して肉の器を見回した。何処からどう見ても元の私の肉体と造りが一緒だった。眼の端に銀色の輝きが見えたので手に取ると、それは私の髪の毛だった。どうやら髪の色だけが黒から銀色になっているらしい。身体を纏っているボディースーツも、雷電丸が身に纏っているものと同じでちゃんと黒色のまわしも腰に巻かれている。これでいつでも準備OKだ。いつでも私は雷電丸と殺し合うことが出来ると知り、笑いが込み上げて来た。

「雷電丸よ。貴様の妹を救いたくば負けるがいい。しかし、その時は貴様も、街も、全て捧げてもらうことになるがな」悪神オロチは嬉しそうに言った。

「なん、じゃと!? そもそも儂は双葉とやり合うつもりはない! 早く双葉を解放するんじゃ!」

「お前にそのつもりがなくとも、妹の方はやる気みたいだぞ?」

 悪神オロチが私に振り向くと、私は静かに頷いた。私を騙し続けて来た雷電丸を許すことは出来ない。そして、私にこんな生き地獄を味わわせた恨みを晴らしたいと思った。

 私が頷くのを見て、雷電丸は言葉を失い苦悶の表情を浮かべる。

「双葉よ、真実を隠していたことは謝罪する。しかし、それには深い理由があるんじゃ。せめて弁解の機会をくれんか?」雷電丸は哀願するように言う。

「私をその名前で呼ばないで。それは貴方の名前よ、お姉ちゃん?」

 私にお姉ちゃん、と呼ばれて雷電丸は言葉を詰まらせると悲し気な表情を浮かべた。

 それに対して、私は何の痛みも感じなかった。いくらでも悲しめばいい。辛いと思えばいい。心の中に芽生えていた友情は既に枯れて消え去っている。姉妹愛など感じるはずもないのだ。

 不意に、今日、ここに来る前、雷電丸が妙なことを言っていたのを思い出した。

「言うなれば姉妹愛みたいなものかの?」

 その言葉を思い出して、ようやく点と点が線で繋がった。魂は男でも、雷電丸は私の双子の姉としてこの時代に転生してきた存在だ。それを自分だけは知っていたから、あのようなことをうっかり口からこぼしてしまったのだろう。

「くく、さあ、最後の取組だ。今一度確認しよう。勝者のみが土俵を降りることが出来る。敗者には死、あるのみだ。おっと、雷電丸。お前が負ければ街ごと全てを捧げるのであったな」悪神オロチは口の端を吊り上げると雷電丸の肩に手を置いた。

 雷電丸は眼光に怒気と殺気を込めると悪神オロチを睨みつけた。

「雷電丸よ、よくよく考えて答えを出すのだな。妹か街か。どちらに転んでもオレにとってはただの座興に過ぎん。せいぜいオレを楽しませるのだな」

 悪神オロチは嘲るような高笑いを上げると、土俵から降りて行った。

 その時、困惑した様子の沼野先輩が雷電丸に話しかけた。

「高天! 今、何が起こっているんだ⁉ オレにも分かるように事情を説明してくれ」

「錦よ。事情は後で説明する。今は双葉を救い出すことが先決じゃ」

「双葉? それはお前のことじゃないのか? そもそも目の前に現れたお前と瓜二つの女は一体何者なんだ?」

「儂の可愛い妹じゃよ」

 雷電丸はそれだけを告げると、仕切り線の前まで歩いて行く。後に残された沼野先輩はただただ呆然と立ち尽くしていた。

 私も仕切り線の前まで行くと、今にも泣きそうなくらいに顔をくちゃくちゃに歪ませた雷電丸の顔を見つめた。

「どうあっても考えは変わらぬのか? このままでは、本当に殺し合いになってしまうのだぞ?」

「殺し合いですって? 笑わせないで。絶対にそんなことにはならないわ」

「どういう意味じゃ?」

 私は雷電丸の問いかけに答えなかった。

 その時、私は心の中でこう呟いていた。

『私はとっくに死んでいるのだから、殺し合いなんてものは最初から成立していないんだよ?』って。

 私は腰を落とすと、右拳を土俵につけた。これから実の姉妹同士殺し合いをするのに、何故か気分が高揚した。心から嬉しいと思ってしまった。あれだけ憧れていた土俵の上に上がり、しかも伝説の大横綱と取組をすることが出来る。不謹慎だとは思ったが、この感情を押し殺すことだけは出来なかった。

 雷電丸はそれを見て、この世の終わりの様な絶望に塗れた顔を見せた。しかし、雑念を振り払うかのように頭を振ると、静かに腰を落とした。

「双葉よ、これだけは言っておく。悪いが儂は街を犠牲にしてまで勝ちを譲る気は毛頭ない」

「ええ、それでいいのよ。だって私も街の皆を犠牲にするつもりは無いから」

 その瞬間、雷電丸の顔が強張った。

 私は構わずに左の拳も土俵につけた。

『はっきよい、のこった!』と、行司の声が頭の中に響き渡った。

 雷電丸も咄嗟に反応し、思わず両拳を土俵につけた。悔しさのあまりなのか、彼は大きく舌打ちした。
 そして、私達は激しく衝突し合うと、お互いにまわしを掴み取った。

「さっきのはどういう意味じゃ⁉」

「言葉通りの意味よ。私は勝つつもりはない。そして、生きて土俵を降りるつもりもないの」

「最初から負けるつもりなら、何故勝負を受けた!?」

「そんなの、決まっているじゃない。ちゃんと私を死なせてもらいたかったから……!」

 そうなのだ。私の目的はちゃんと死ぬこと。雷電丸に復讐しようとはこれっぽっちも思っていない。恨みを晴らしたい相手は最初から誰でもない。私自身なのだ。

「馬鹿なことを抜かすな!? ちゃんと死なせてほしい? お前は今、ちゃんと生きているではないか⁉」

 貴方には分からないよ。私がどれだけ学校で生き地獄を味わってきたかなんて。いや、学校でいじめられていたことだけではない。私は、今までの自分の人生全てが生き地獄そのものだった。友達もなく、何の取柄もない。今までの人生で楽しかった記憶なんてこれっぽっちもない。恐らく、こんな状態は私の人生が終わるまで続くのだろう。

 それでも何とか生きて来られたのは両親を悲しませない為だけ。一人娘を失った悲しみは想像を絶するだろう。でも、私はもう頑張る必要はなくなった。いや、そもそも頑張る必要は微塵もなかったのだ。私がいなくなっても誰も困りはしない。雷電丸がいれば何も心配することはないのだ。

 だって、私は生まれる前に既に死んでいたのだから。真実を知り、もともと惨めだった人生が更に悲惨なものになった。唯一の財産が双葉という名前だったのだ。それすら失われた今、生きることになんの未練があるだろうか?

「本当はあのまま、儀式を汚した神罰で悪神さんに殺されても良かったの。でも、一つだけ未練があったから、私は悪神の誘惑に負けたのよ」

「それは何じゃ!?」

「雷電丸、貴方と相撲をしてみたかった……ただそれだけよ」

 私の脳裏に、子供の頃の記憶が過る。

 クラスメイト達に虐められた時、必ず雷電丸が心の底から助けに現れてくれた。

 そして、虐めっ子達を懲らしめた後は、必ず相撲について熱く語ってくれた。思えばそれは、彼なりに私を慰めてくれたのだろう。彼から相撲の話を聞いていく内に、私は相撲に興味を持つようになった。

 本格的に相撲が好きになった頃、私はいつか土俵に上がって雷電丸と相撲をとりたいと思うようになっていた。

「ねえ、雷電丸。私、将来お相撲さんになる!」

『残念じゃが、女子は力士になれんのじゃ』

 残念そうな雷電丸の声が頭の中に響いて来る。

「ええ、何で? どうして女の子はお相撲さんになれないの?」

『そういう決まりなんじゃ。全ては神様がお決めなさったことだでの』

「ええ、つまんない!」と私は頬を膨らませた。

 すると、雷電丸は何か閃いたように呟いた。

『双葉よ、儂にいい考えがある。お前は力士にはなれぬが女将にはなれる。女将となって共に未来の大横綱を育てようではないか⁉』

 そう言って、雷電丸はガハハハハ! と笑った。

 私はハッとなる。そうか、そうだったのか。雷電丸は私の為に女将になろうと言い出したのだった。

 雷電丸と組み合いながら、私はクスリと笑う。

「雷電丸、思い出したわ。私が力士になりたいって言って、それで女将になろうって話のことよ」

「ああ……昨日のことのように覚えておるよ」雷電丸は寂しげに、でも懐かしむ様に呟いた。

 優しいね、雷電丸。だから、大好きよ。貴方という存在が私を生かしてくれた。人生に絶望し、愚かな選択を選ばすに踏みとどまれたのはきっと貴方のおかげ。

「ねえ、最期に聞かせて。どうして私の魂が貴方の身体の中に入っていたの?」

「まだ儂達がお母さんのお腹の中に入っていた時、お前の首にへその緒が絡まり、それが原因で死んでしまったんじゃ」

 私は力を緩めることなく雷電丸の話に聞き入った。

「儂はその時には既に覚醒しておって、死に行く妹を何とか救えないかと思っておったら、身体から抜け出るお前の魂を掴むことに成功したんじゃ。その時に、お前の魂を儂の身体の中に宿したんじゃよ」

 そっか、何か理由があるとは思っていたけれども、やっぱりそういうことだったか。

 もし、私が雷電丸と同じ状況にあったら、きっと同じことをしていたと思う。

 でも、身体から抜け出た魂を掴み取るとかって、雷電丸は何から何まで規格外なんだな、と笑いが込み上げて来た。普通はそんなこと出来ないよ?

「それが双葉の逆鱗に触れたのであれば儂は何度でも謝ろう。じゃが、後悔はしておらん。おかげでこうして一つの身体の中で窮屈ながらもお前と触れ合えたのだからな」

「ありがとう、雷電丸。いえ、お姉ちゃん、大好きよ」

 私は微笑み、雷電丸の耳元でそっと囁いた。

「だから、最期はお姉ちゃんにお願いしたいの。私を投げ飛ばして白星を掴んで。お父さんとお母さんを、街の皆を救って」

 お願い、と私は静かに呟いた。どの道、私が生き残る未来は無い。国譲りの儀を汚した罪を贖わなければ皆が死んでしまうのだ。

 だから、私は悪神オロチの誘惑に乗り、最期に自分の夢を叶えたいと思ったのだ。

 そして、その身体を雷電丸に返したいと、心から思ったのも理由だ。

「う、う、うおおおおおおおおお!? 許せ、双葉!」雷電丸の悲痛な叫びが木霊する。

 まだ私をその名前で呼んでくれるんだ。ありがとうね、雷電丸。いえ、お姉ちゃん。

 雷電丸の全身から柑子色の光が立ち昇る。

 このまま投げられれば全てが終わる。ようやく楽になれる。

 そう思った瞬間、私の全身から瘴気が噴き出て来た。

「これは何!?」

 全身から噴き出る瘴気を見て、私は思わず叫んでいた。

『つまらぬ女だ。やる気がないなら、どれ、オレが代わりに戦ってやろう』

 頭の中に少年の声が響いてきた。それは間違いなく悪神オロチの声だった。

「雷電丸、お願い。早く私を……!」

 声は最後まで出なかった。一瞬、目の前が暗くなった。何も見えなくなったかと思うと、私の全身に無数の何かが絡まってきた。

 そして、気付いた時には既に私は身体の自由を奪われていた。雷電丸の身体の中にいた時と同じように、私は精神世界で佇んでいた。ただし、全身を黒蛇に拘束され身動き出来ない状態ではあったが。

「貴様、双葉ではないな!? まさか、悪神オロチか⁉」驚愕に満ちた雷電丸の声が響き渡る。

「せっかくこのオレがお膳立てをしてやったというに、勝つ気が見えなかったのでな。喜べ、オレがこの肉塊を支配した以上、お前の妹は死なずに済むぞ。代わりに貴様や街の者どもが犠牲になるがな」

 悪神オロチの勝ち誇った高笑いが響き渡った。

 私は完全に肉の器の支配権を奪われ、魂すら捕らわれの身となってしまった。

 しかし、その時、私の心の底から込み上げて来たのは絶望や恐怖ではなく安堵感だった。

 これなら雷電丸は心置きなく全力で戦える。そう思ったのだった。

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