女将ちゃん、ごっつあんです! ~伝説の大横綱、女子高校生に転生す~ 最終話 一葉と二葉
我が家こと高天家の食卓はかつてない賑わいを見せていた。
私が電話で家に連絡を入れると、お母さんは大喜びで快諾してくれた。
現在、宴が始まって小一時間も経過したが、宴は落ち着くどころか時間が経つにつれますます盛り上がって行った。特に喜びの感情を露わにはしゃいだ様子を見せているのは我が相撲部の面々ではなく、お父さんとお母さんの方であった。
お母さんは笑顔で次々と料理を運んできて、お父さんは木場先生と意気投合したのか、日本酒を酌み交わしながら話に花を咲かせていた。
「ささ、まだまだあるから、皆さん、沢山食べて行ってくださいね!」お母さんは幸せそうな笑顔を浮かべながら料理を運んで来る。
「高天君のお父様、これは秘蔵の大吟醸です。遠慮なくどうぞ」そう言いながら、上機嫌の木場先生はお父さんのグラスに日本酒を注ぐ。
「これはどうも、恐れ入ります、木場先生。くはぁ! これは美味い! こんな美味い酒は初めてですよ」お父さんは顔を真っ赤にしながら日本酒を一気にあおった。
「今宵は飲みましょう、お父様。貴方の素晴らしい娘さんに乾杯を」そう言って木場先生は盃を掲げる。
それを見て、お父さんや沼野先輩、静川さんも手にしていたグラスを掲げる。雷電丸はグラスの代わりにどんぶりを掲げた。
「乾杯!」と木場先生が言うと、皆も続いて反芻する。
何故か乾杯の後、皆は場の空気に流されてなのか、ドッと笑い声を上げた。
「美味しいし! 双葉っちのママさんの料理、どれもめっちゃ超美味しいし!」静川さんはお母さんの料理に舌鼓を打ちながら破顔する。
雷電丸が料理をかけこむように食べていると、沼野先輩も負けじと口に料理を詰め込んでいく。それを見て、雷電丸も負けじと料理を口に詰め込んで行った。二人は互いに見つめ合うと火花を散らし始めた。
私は競う様に料理を頬張る二人を見て、食事位ゆっくりと落ち着いて食べればいいのに、と少し呆れてしまった。
「美味し! 美味し! やはりお母さんの手料理が日本一じゃよ!」雷電丸は破顔しながら言う。
『御夕飯はいらないって、お母さんに言っていなくて助かったわね』
「双葉よ、今後も夕飯の断りは入れんで欲しいの」
『何故? 今後は部活動で稽古の後にちゃんこが出るのよ?』
「それはそれ。これはこれじゃよ。今後、部活後のちゃんこはおやつ代わりにするでの。やっぱり、一日の締めはお母さんの夕飯に限るでの」雷電丸は嬉しそうにそう呟いた。
やっぱり雷電丸も母の味の前には敵わないのか、と私は心がほっこりと暖かくなった。
『ふふ、分かったわ。でも、雷電丸ってば、お母さんの料理を本当に幸せそうに食べるわよね』
「当然じゃ。これ以上、美味い料理などこの世には存在せんと思っておるよ」雷電丸はそう言って無邪気に微笑んだ。
〈あの時、私は今日の夕飯はいらないと、お母さんに言い忘れていたことを思い出した。雷電丸が姿を現してからというものの、お母さんは毎日、ホテルのビュッフェ並みの量の食事を毎日用意してくれている。ならば、相撲部の皆も招待しても何の問題もないと思ったのだ〉
私は賑やかな食卓を見て微笑する。
『たまにはこんな賑やかなのも良いよね』
その時、私の目に忙しそうに走り回るお母さんの姿が映った。
『ねえ、雷電丸、少し私と入れ替わってくれない? ちょっとお母さんの手伝いをしてくるわ』
「おお、了解じゃ。でも、後でまた代わってくれよ? まだ食い足りぬでの」
雷電丸がそう言うと、身体の支配権が私に移った。
「ねえ、雷電丸? 本当はいつでも私と入れ替わることが出来たんでしょう?」
雷電丸は最初、力を使い切らない限り魂を入れ替えることは出来ない、とかって言っていたと思う。でも、全然そんなことはなく、一度私は自分の意志で魂を入れ替えたことがあった。それは武田市議の頬を叩いた時のことだ。
『おう、バレてしもうたか。そうじゃ、いつでも代わることが出来るのじゃよ』
「なんでそんな嘘を?」
今なら雷電丸の気持ちが痛い程分かる。それほど、私は追い詰められていたんだと思う。そうやって嘘でもつかないと、きっと私は強引にでも雷電丸に身体の支配権を譲りはしなかっただろう。きっと今も学校でいじめられていて、明日も憂鬱な学校生活を送っていたに違いない。もしかしたら、私は苦悩のあまり誤った選択を選んでしまっていたかもしれないのだ。
『その、双葉よ。儂は別に悪気があってではなくな……』
「いいの。言わなくっても分かるわ。貴方は私を助けてくれたんだよね? だから、もうこれ以上は聞かないわ。でも、これだけは言わせて。ありがとう、雷電丸。大好きだよ、お姉ちゃん」
すると、雷電丸は突然声を詰まらせた。何か呻くような声が聞えて来る。
もしかして、雷電丸ってば泣いている?
私は気付かないふりをして、お母さんのいるキッチンに向かった。
キッチンに行くと、お母さんは忙しそうに洗い物をしていた。
「お母さん、私も手伝うわ」私はそう言ってお母さんからスポンジを取り上げると、洗い物に取り掛かった。
「あら、別にいいのよ。お友達と楽しんでいらっしゃいな」
「無理を聞いてくれただけでも感謝しきれないのに。洗い物くらいはやらせてちょうだい。それよりもお母さんも少し休んできて。まだ何も食べていないでしょう?」
「お料理をしながら味見をしていたからもうお腹一杯よ。でも、お言葉に甘えて少し休ませてもらうわ」
お母さんはそう言って、キッチンにある丸い椅子に座った。
その時、私はふと魔が差した。お母さんと二人っきりということも手伝ってか、私は私のことを聞いてみたくなったのだ。
「ねえ、お母さん。私には双子の妹がいたの?」さりげない感じで、私は勇気を振り絞ってお母さんに訊ねた。
「ええ、そうよ? 今更何を言っているんだか」
おろ? 何だか私の予想とはかなりかけ離れた反応を返してきたぞ? と、私は少し戸惑ってしまった。
ここは普通、重たい空気になるのでは? と思った。
「えっと、それ、どういうこと?」
「どうもなにも、双葉が幼稚園の時に言ったんじゃない。本当はそれまで双葉の妹の子供用仏壇があったのよ。でも、それを見た双葉が……」
『お母さん、儂の妹は死んでおらん。この胸の中でまだ生きているんじゃ。じゃから、この仏壇は片付けてくれませんかの? そして可能なら、二度と双子の妹が死産した話をしないでもらえると助かります』
「ってね。なんだかもう、私とお父さんはその話を聞いて胸が熱くなっちゃって。幼稚園児ながら、なんて優しい心を持っているんだろうって感動しちゃったのを覚えているわ。だから、それ以来、仏壇は片付けちゃったし、二度ともう一人の娘の話題は話さなくなったのよ」
あー、お母さん。それはそういう意味ではなくてですね、実際にその死産したはずの双子の妹の魂が雷電丸の中にいたんですよ、とは口が裂けても言えなかった。
でも、それで合点がいった。何故、私の仏壇が無かったのか。全ては雷電丸の愛が理由だったのだ。私はまだ死んでいない。生きているから、死んだように扱うのを止めてくれ、と。そう両親に願い出たから私は家で死者として扱われなかったのだ。
その時、私はふと思った。かつて仏壇が存在していたのであれば、そこに私の名前が刻まれていたはず。
私は思い切ってお母さんに訊ねた。
「それで、妹の名前って、あったりするの、かな?」私は恐る恐る口を開いた。
「《《ふたば》》よ」
お母さんはさも当然のように呟いた。
「《《ふたば》》……?」
「本当はあなたの名前は一葉になるはずだったの。そして妹の方が二葉。残念だったけれども、お姉ちゃんしか無事に産んであげられなかったから、あの娘のことを忘れない様にって、双子の葉、双葉と貴方に名付けたのよ」
その瞬間、私の全身を衝撃が駆け巡った。たちまち目頭が熱くなり、私は嗚咽を洩らしながら涙を流していた。
突然の出来事に、お母さんは狼狽えた様子で私の側に来る。
「双葉、突然どうしたの!?」
「なんでもない、なんでもないの。ただ、すごく嬉しくって」
私にも名前があったんだ。それが分かっただけでも幸せだった。しかも、今の名前と同じ読み方。そういえば、あの時、雷電丸は、それはお前の名前だ、とかって言っていたわよね。あれはそういう意味だったのかもしれない。
私は涙を拭うと、お母さんに驚かせたことを謝って洗い物の続きを始めた。
「なんでもないならいいけれども……双葉、何か悩み事があるならお母さんに相談してよ?」お母さんはそう言って、心配そうに私の顔を覗き込んで来る。
「大丈夫。悩みなら今解決したから」
お母さんは、変な娘ね? と呟きながら首を傾げていた。
洗い物を終えた後、私は食卓に戻った。
すると、何故だか突然、木場先生が私に土下座をしてきた。
「き、木場先生!? 突然何をなさっているんですか⁉」
「すまない、高天君。事情は全て沼野君から聞いた。私が迂闊にも黒のまわしを渡したせいで話がこんがらがってしまったと。この木場アザミ、一生の不覚だ。いくら詫びても詫びきれない思いだ」そう言って、再度木場先生は額を床につけた。
「もういいですから、顔を上げてください。結果オーライってやつですよ。皆無事だったんですし、もういいじゃないですか」
「そう言ってもらえると助かるよ。本当に済まなかったね」木場先生はそう言うと、こめかみに人差し指の先を当てた。
それは念話の合図だ。私は心の中で木場先生に話しかける。
『どうかしましたか?』
『雷電丸のことも聞いたよ。よもや一つの肉体に二つの魂が入っているのにそんな事情があったとは』
『ええ、そうです。私の自慢のお姉ちゃんなんですよ』
『高天君、君は君だ。既に肉体は失われていようと、君という存在は確かに在るんだ。これからも君の力も我々に貸してもらえるとありがたい』
『ええ、もちろんです。相撲さえ出来れば雷電丸は何処にだって喜んで行くと思います。それこそ『東京』にも』
一瞬、木場先生は口籠るも、すぐに震えた声で返して来た。
『重ね重ね、二人には礼を言わせてくれ。おかげで人類に希望の灯火が見えた。ありがとう』
すると、突然、静川さんが私の腕にしがみついてきた。それを見て、木場先生は念話を止め、再びお父さんと杯を交わし始めた。
「ねえ、双葉っち、さっきは何処に行っていたの?」
「うん、ちょっとお母さんの手伝いにキッチンにね」
「あ! それなら私も何か手伝うし!」
「いいのよ。静川さんはお客様なんですから、気にしないでパーティーを楽しんでいって」
すると、静川さんは不思議そうに私の顔を覗き込んで来る。
「何だか、いつもの双葉っちに戻ったね?」
ああ、そういうことね。ならそろそろ貴女の大好きな雷電丸と代わってあげようかな、と私は思った。
「あの時の双葉っちも格好良かったよ」そう言って静川さんは頬を染めて微笑んだ。
「あの時って?」
「武田のパパさんに侮辱されて、私があいつの横っ面を引っぱたいてやろうと思ったら、代わりに双葉っちが引っぱたいてくれたじゃん。あの時の双葉っちってば、めっちゃ格好良かったよ」
思い出したわ。あの時、静川さんが侮辱されて我慢が出来なくなって、自然に身体が動いていたんだった。その時、私は初めて自分の意志で雷電丸から身体の支配権を奪い取ったんだった。
まさか、あの時のことをそんな風に思ってくれていただなんて。私は目頭が熱くなるのを感じる。
「私の友達を侮辱するのは許さないわ! って双葉っちの言葉に、あたし、すっごく感動しちゃった」静川さんは瞳を潤ませながら呟いた。
そう言えばそんなことを言ったような……今思えば、私も相当頭に血が上っていたみたいね。そんな台詞を恥ずかしげもなく言えただなんて、今の私でも恥ずかしくて無理よ。
「お相撲をしながらガハガハ笑っている双葉っちも大好きだけれども、たまに昔に戻った双葉っちも大好きだよ」
「え?」
「双葉っちは不思議な子だよね。まるで二人いるような気がして。でも、あたし、それがとっても嬉しいんだ。だって、大好きな友達が二人に増えたような気がして、めっちゃお得に感じるし」
その時、私の胸の奥底から今まで味わったことのない感情が噴き出してくるのが分かった。頬に熱を帯びるのを感じ、それと同時に涙が頬を伝った。
これで何度目の涙だろうか? 私ってこんなに泣き虫だったっけか?
見ると、静川さんが驚いた様子で私を見つめていた。
「双葉っち、どうしたの!? お腹でも痛いの!?」
「静川さん、こんな私でも友達になってくれる?」
「ええ? 双葉っちってば、何を言っているの? 私達とっくに親友っしょ?」
「そうじゃなくて、相撲をしながらガハガハ笑っている方の私じゃなくて、こんな陰キャの方の私でも友達になってくれる?」
静川さんは目を点にすると、首を傾げながら呟いた。
「うん、当然っしょ。どっちの双葉っちも大好きだって、さっきも言ったじゃん」
静川さんの笑顔が眩しかった。かつては顔を見るのも嫌だったはずなのに、今は彼女と一緒にいるだけでこんなにも幸せな気持ちになれる。
私はその時、ようやく胸の奥底から噴き出した感情の正体に気付いた。
そっか、これが幸せって気持ちなんだ。初めて知ったわ。
「これからもよろしくね、静川さん……いいえ、のぞみさん!」私は破顔しながらそう言った。
「なんだか分からないけど、こちらこそよろしくだし!」
静川さん、いえ、のぞみさんはそう言って破顔する。
私達は笑い合い、お互いの友情を確認し合った。
すると、雷電丸の声が頭の中に響いて来る。
『のぞみと友情を育めて良かったの、双葉。しかし、そろそろ交代してくれんかの。儂は腹が減って死にそうじゃ』
あれだけ食べたのにまだ食べ足りないの? まあ、分かっていたけれども。
私は何も言わずに身体の支配権を雷電丸に渡した。
「うおおおお! ようし、食って食って食いまくるぞ! のぞみよ、お前も、もっと食うのじゃ!」
「あ、ガハガハ笑ってる方の双葉っちだし。ようし、あたしも食べるし!」
そうして、雷電丸の豪快な笑い声が響き渡るのだった。
お母さん、お父さん。一つご報告があります。私、お姉ちゃん以外に初めて友達が出来たよ!
私は破顔し、生まれて初めて人生が楽しいと思うのだった。
━━了。
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