女将ちゃん、ごっつあんです! ~伝説の大横綱、女子高校生に転生す~ 第32話 雷神の咆哮

 私から肉の器の支配権を奪い取った悪神オロチが高笑いを上げると、たちまち全身から瘴気が噴き出し、雷電丸の神氣とぶつかり合った。

 瘴気と神気がせめぎ合い、同じ極同士の磁石を近づけたかのように、両者は弾き飛ばされた。

 雷電丸と悪神オロチは二人とも土俵際まで吹き飛ばされるも、寸前で踏みとどまることが出来た。

 土俵際に佇む二人は互いに遠目で睨み合った。

「オレの瘴気を弾き返すとはなかなかやるな。流石は伝説の大横綱と謳われただけのことはある。まあ、人間にしては、だがな」

「そういうお前は悪神にしては大したことないのう。あ、そうか。悪神とは神の出来損ないじゃったんだっけ。なら弱っちくとも仕方がないのう」

 ピキッと周囲の空間に亀裂が走ったかのような鈍い音が響き渡った。
 二人は互いに不敵な笑みを口元に浮かべていたが、その瞳には激しく燃え盛る怒気と殺気が宿っていた。

 しばらくの間、二人は静かに睨み合っていたが、先に動いたのは悪神オロチだった。

 悪神オロチは右手を前にかざすと、瘴気を右手に迸らせる。

「確か、金剛掌底破とかいう張り手技は、こうやって手に神氣を宿して使うのであったな。まあ、オレが使うのは神氣などではなく地獄の瘴気だが」

「面白い。張り手勝負といこうかの」そう言って、雷電丸は右手に神氣を迸らせた。

「いやいや、これから行われるのは勝負などではない。一方的な蹂躙ぞ?」

 悪神オロチは呟き、刹那の拍子で雷電丸の目の前まで迫って来る。

「うぬ、縮地を使いおるとは⁉」一瞬の虚を突かれた雷電丸は思わず両腕を交差して防御の構えを取った。

「フハハハハハ!? 受けてみよ。千手掌!」

 悪神オロチの背後に無数の瘴気を纏った腕が現れた。その名の通り、千本の腕から放たれた張り手が雷電丸に襲いかかった。

 それはまるで榴弾の嵐にでも襲われている様な光景だった。凄まじい爆発音が轟き、砂塵が舞い散り周囲の視界を完全に遮った。数秒の後、激しい爆撃音は止んだ。

 不気味な静寂が周囲を支配する。視界はまだ晴れず、雷電丸の安否も確認することは出来ない。反撃が行われる気配はなかった。

「何だ、もう終わりか? つまらん。雷電丸、もう少し歯ごたえのある漢だと思っていたが、どうやら見込み違いだったようだな」そう言って、悪神オロチはつまらなさそうに、ふん、と吐き捨てた。

 私は悪神オロチに反論することもなく、ただ静かに固唾を呑んでその時を見守った。

 あんな凄まじい攻撃を受ければ、並大抵の人間なら木っ端微塵になり肉片すら残らず絶命しているに違いない。

 でも、悪神オロチが相手にしているのはあの雷電丸なのだ。全てが規格外で一切の常識が通用しない存在。私にはどうしても、彼が何もせずにただ肉片にされるイメージが湧いてこなかったのだ。

 その時、ドシン、ドシン、と会場内が激しく揺れた。まるで重機で大地を割っているかのような震動である。

 私は、その音に聞き覚えがあった。一定のリズムで刻まれるそれは、間違いなく四股の衝撃音だった。

 砂塵が晴れ、私が見たもの。それは全身血塗れになりながら、悠然と四股を踏む雷電丸の姿だった。

 悪神オロチの片眉がピクリと吊り上がる。

「ほう、人間の分際であの攻撃を耐え抜いたか。面白い。今度は本気でやるとしようか」

 しかし、雷電丸は悪神オロチを無視するかのように四股を踏み続ける。
 悪神オロチは苛立ちを露わに雷電丸を睨みつけた。

「このオレを無視するとはいい度胸だ。今度こそは貴様を肉片に変えてやろう」悪神オロチは呟き、再び千手掌の構えを取る。全身から噴き出す瘴気の量は先程の倍以上だった。

 すると、雷電丸は蹲踞したまま悪神オロチを下から睨みつけた。

「今、いい所なんじゃ。邪魔をいたすな!!」雷電丸の咆哮が轟いた。

 雷電丸の咆哮は大気を振動させ、会場内を激しく揺らした。その衝撃は四股で発生した振動を遥かに凌駕した。

 悪神オロチは雷電丸の気迫に気圧され、一歩、後退った。
 たちまち悪神オロチの顔が驚愕に歪む。

「このオレが退いた、だと?」ハッとなり、雷電丸を見る。

 すると、雷電丸は両目と口の両端を吊り上げ、酷く引きつった笑みを浮かべた。

「今、儂から逃げおったな?」

 それは、雷電丸の勝利宣言にも等しい一言だった。

 悪神オロチは絶句し、一瞬だけ呆然と立ち尽くした。だが、すぐに怒りの形相に豹変し、全身から瘴気を噴き出した。その放出量は更に倍以上になり、会場内を黒い瘴気が覆い尽くす勢いだった。

「戯言をほざくな!? この悪神オロチが人間如きに逃げるなどあり得んわ!!」悪神オロチは絶叫し、片手を上げると背後に浮かぶ千の手達に命じた。「痴れ者を粉砕せよ!」

 再び、瘴気を纏った千の手が雷電丸に襲い掛かる。

 しかし、雷電丸は不敵な笑みを浮かべると、蹲踞したまま咆哮を発した。

 それはまるで獣の様な咆哮だった。先程以上に大気を振動させ、その咆哮に聖なる力が宿っているのだろうか。周囲に立ち込める瘴気を打ち払った。

「何!?」

 驚愕に満ちた悪神オロチの声が響くのと同時に、放たれた千の手が次々と雷電丸の咆哮によってかき消されていった。

 雷電丸が咆哮を発し終えた後、千の手は全て消滅していた。周囲の瘴気も全て浄化されたように消滅し、場内は澄んだ空気で満たされた。

「雄叫び一つで、我が千手が消滅した、だと?」悪神オロチは狼狽し、また一歩後退った。

 悪神オロチの後退を見て、雷電丸は、ぎゃはははははは! と嘲った高笑いを発した。

「何じゃ、また逃げおったのか⁉ 悪神様ともあろう御方が、たかが人間如きに恐れをなすとはの。とんだお笑い種じゃ!!」

 そう言って、雷電丸は再度嘲りの高笑いを発した。
 
「逃げてなどおらぬわ! その耳障りな笑いを止めろ!」

 悪神オロチは叫び、縮地によって一瞬で雷電丸の眼前まで迫った。そして、最大級の瘴気を込めた張り手を放った。

 しかし、雷電丸は頬に張り手が炸裂する瞬間、張り手を繰り出した悪神の右腕を掴み上げた。

「捕まえたぞい」雷電丸は呟き、悪神オロチの左頬に神氣を込めた張り手をぶちかました。

 雷電丸に張り手を喰らった悪神オロチの首は一周回って奇妙な角度で止まった。

「が、うがぐ……」悪神オロチは目を回し、口から吐血する。

「おいおい、たったの一撃でもうおねんねかの? お楽しみはこれからじゃぞ?」

 雷電丸は呟き、腰を落とすと酩酊状態の悪神オロチにぶちかましを仕掛けた。
 一瞬で悪神オロチは土俵際まで追い詰められる。しかし、悪神オロチは歪に曲がった首を元に戻すと、雷電丸のまわしを掴み上げて寸前で踏みとどまった。

「この悪神オロチにここまでのことをしでかしておいて、タダで済むと思うなよ?」息を荒らげながら悪神オロチは呟いた。

「はん!? 二度も儂から逃げておいて随分偉そうじゃの?」

「オレは逃げてなど……!?」

 その時、悪神オロチは忌まわしい存在を垣間見た。

 悪神オロチと同じ身体の中にいる私には分かった。彼の目を通して、雷電丸に、巨大ナマズを従えたとある大男の姿を重ねているのが見えたのだ。
 
「タケミカヅチ……何故、貴様とあ奴の姿が重なるのだ⁉」悪神オロチは発狂するかのように絶叫した。

「それが儂の本当の名じゃからの!? 悪神オロチよ、これで終いじゃ!」

 雷電丸は悪神オロチのまわしから右手を離すと右腕を静かに掲げた。

 悪神オロチはつられるように雷電丸の持ち上げられた右腕を見る。

「雷神の鉄槌を喰らうがいい!」雷電丸は叫び、右腕に神氣を迸らせる。

 雷電丸の右腕から青白い光が迸る。バチバチと弾け、それはまるで雷撃の様であった。右腕から発せられた雷撃はまるで巨大な大槌のような形となり、それは天井まで達する大きさになった。

「ま、待て、待つのだ⁉ オレを殺せば妹も死ぬぞ⁉」

「待たぬ! それが妹の、双葉の願いじゃからだ! 儂は二度と双葉を裏切るような真似はせんと決めたのじゃ!」

「や、止めろ!」悪神オロチは哀願するように叫んだ。

「さらばじゃ、双葉!」雷電丸は叫び、右腕を悪神オロチに振り下ろした。

 雷を纏った巨大な大槌が悪神オロチに迫る。

雷神の大槌トールハンマー!!」

 次の瞬間、周囲は眩い光りに包まれた。

 きっと雷電丸の渾身の一撃は悪神オロチが宿った肉の器を粉々に打ち砕いたことだろう。

 それは、別れの瞬間でもあった。

 最期に私の我がままに付き合ってくれて、ありがとう、雷電丸。そして、お父さんとお母さん、街の皆を救ってくれてありがとう。

 私は呟き、静かに目を閉じる。

 意識はそこで途絶えた……。

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