あのう

「えーと、そのあのう、もごもご」
どうも緊張気味らしい、舞台の上の男は口をもごもごしている。
さて、この男は何をしようというのだろうか。
誇大なチラシにはでかでかと「世界を変える確信者現る!」
と謎めいた、またはオカルトめいたことが書かれていた。
そして、興味本位で来てみたのだが、その結果がこれだ。
目の前には、いたって普通の恰好をした男がもごもごマイクのまえでふるえている。
一体何がしたいのだ?
もちろん、いい年をしてこのような胡散臭いところにきてしまった自分にも若干の問題はあると思うが。
そんなこんなを考えていると、
5分が経過していた。
どうも自分がこんなに思想家だったとは驚いた。
さて、独り言はさておいて、舞台の上の男はどうだろう。
見てみると、まったく変わりがない。
さっきと同様に口をもごもごしているのみ。
ああ、ほんとに彼はシャイなんだな。
意気揚々と舞台袖から出てきたはいいものを、
ついには大勢の観客の前に怖気つき、
口をもごもごと動かす。
もう彼は、話をするためでなく、もごもごするために舞台に出ているように思えた。

まわりの観客を見渡してみた。
すると、驚いたことに、誰もあきれた様子をしている者はいない、
といっても、熱心に聞こうとしているわけではない。
スマホを触ったり、隣のツレと話したりしている。
特段、舞台の上の男を気にかけているものはいないようだ。
みんな慣れっこなのだろう。
良くも悪くも、アットホームという感じだ。

しかし、もちろん僕は新参なのでこの状況を整理できてはいない。
男はもごもごしだしてからついに20分がたとうとしていた。
僕はたまらず、隣に座っていた中年の眼鏡をかけた男性に語り掛けた。
「すみません、一体彼は、何に対してあそこまでどもっているのですか?」
男性は、少し驚いたように目を見開いて、僕を見た。
「彼は、いま戦っているんだよ。
彼の内側にいる悪魔をいまこの場で僕らに見せようとしてくれているのさ。」
と口元を触りながらおしえてくれた。
「でも、それは彼にとってとても勇気のいることなんだ。彼の内臓の内側に潜んでいる悪魔が、ついに、現実に現れた時、どのような影響があるか。
我々にはわかりえないよ。」
子供を怖がらせるように、それでいて穏やかに、中年の男は僕に語り掛けてくれた。
それを聞いたとき、僕は不覚にもワクワクしてしまった。
ウキウキしてしまっていた。
あの舞台でちぢこっまてもごもごしている青年にそんな力があったなんて。
そして、舞台のほうを見てみると、
そこにはもうあの青年はいなかった。
そして、右を見てみても、中年のおやじは席に座っていない。
誰も座っていない映画館の中で自分一人だけがいる。
ふいに、スクリーンがひかり、
まったく知らない洋画のエンドロールが流れる。
まったく知らない風景とともに。
夕暮れの巨大な山の風景だ。
そこに、ふたりの仲睦まじい男女がてをとり、
ゆっくりと山の草原をかけていく。
そして、二人は点のように遠くへ行き、また山だけの風景に戻った。

それを見ていると、うっつら眠たくなってきてしまった。
こっくり、こっくり首をかしげたとき、
映画館の勝手口がひらいた。
「すみません!今日の上演はおわりましたよ!」
まぶしいひかりのなか、スタッフが大きな声をかけてきた。
僕もはっとして、軽く会釈をスタッフにして映画館を出た。

そして、家に帰り、玄関で靴をぬいだ。

まるで不思議な体験をしたのだが、とらえどころがない。
家族に話そうにも、どっから話せばよいのかわからない。
なにか自分は特別な体験をしたのだぞ、
という思いが強かったのだろう。
「おまえ、さっきから俺の話きいてるのか?」
親父は、すこしあきれながら僕のほうを見る。
そんなわけで自分は、幻想の不思議さに飲まれて、人の話をあまり聞けないボーとした人間となってしまったらしい。
「まあいい、めしをくえや」
親父は大雑把だ。そこがとても安心する。
そして、歯を磨いて、お風呂に入って、学校での出来事をリビングで家族と話して、職場でのいざこざ劇をきいて、いつにまにか眠ってしまっていた。



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