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【医師エッセイ】陽キャの医師に教えられたこと

 私と同じ高校出身の病理医の先輩がいました。私は小児科医ですので、病理医とはあまり接点がありません。ですが病理医の先輩と同じ病院に勤めることになり、私は配属されてすぐに挨拶に行きました。ただ、挨拶に行った時点では、普段はそれほど接点がないため、これ以降はめったに話すこともないだろうなと思っていました。ですが実際は、そうではありませんでした。
 先輩は天真爛漫で明るく「大丈夫、できるさ」がモットーの体育会系の先生で、病院内では目立つ存在です。私が院内を歩いていると、近づいてきて食事や飲みにも誘ってきます。そして実際に誘いに乗ると、先輩は自分のことばかり話します。ですがそれが嫌味には聞こえませんし、聞いていて楽しい気持ちにさせてくれました。そんな先輩が話す内容はというと、
「本当は高校の体育の先生になりたかったんだよねー。でも成績が良かったから、医師になろっかなって思って。ほら、医師ってかっこいいじゃん? で、医学部を受けたら合格しちゃって。初めは外科医になったんだけど、外科医ってきつくって。だから病理医になったんだよ。でも今度は教授とケンカしちゃって、居場所がないからアメリカで修行をしたんだ。それから日本に戻ってきたら、たまたまポストが空いていて、病理医なんて勤め先を見つけるのが大変なのにさ。だから僕思うんだよね。人生なんてノリで何とかなるって。先生はネガティブだからさ、ちょっとは僕のことを見習いなよ」
 そんなことを、先輩はサラッと言うのです。確かに私は、ネガティブな考えを持っていますし、教授や医局長からもネガティブなやつだと呆れられたこともあります。それは自分でも自覚しているので、先輩の言っていることはわかるのですが、私は先輩のようにはなれません。
 ただ先輩は、私にだけこんな話をしてきているわけではなく、院内にいる人たちにもしているようでした。心理学では、人は自分と違う考えを持っている人に怒りを覚えるそうです。ポジティブで明るく目立つ先輩に対して、あの先生、「ノリでなんとかいけるんじゃね?」って思っているよなと、陰口を言う人もいました。ただ先輩の場合は、それを自分でも言っているので、それを陰口だと認識しない気もしましたが。
 しかしある学会に出席した時のことです。初日の夜に懇親会が開かれました。久しぶりに会う友人もいたので、2次会も一緒に行って楽しんでいました。そこには先輩の姿もあります。0時を過ぎた頃、3次会でカラオケに行こうとしている友人に、私は明日も学会があるからと別れを告げてホテルに帰ろうとしました。先輩もカラオケに行くと思っていたのですが、なぜか一緒に帰ることに。
 そしてホテルに着くと、先輩は明日の学会の準備を手伝ってほしいと言ってきたので、手伝うことに。
「ありがとう。小児科医の学会だからさ。病理医がどんなこと聞かれるかわからなくてね」
 と言われ、ノリで何とかできるって思っているってみんなが思っていたのと違うな、と初めて感じました。
 それから先輩と話し合うことが増えました。病理医は、どこの病院も複数はいません。大抵1人しかいないものです。ネットのない時代でしたから、誰にも相談できず、強い心を持つしかありません。「ノリでなんとかいけるんじゃね?」どころか、聞けば聞くほど先輩は、壁に当たるたびに考えて考えて道を切り開いていくタイプのようでした。教授とケンカして、日本を飛び出して何とかなるかと言ったら、何とかなるほど、この業界は甘くはありません。
 死ぬほど努力しているからこそ、自信に満ち溢れている。だから自分のことをネタにされても、陰口を言われても平気なのでしょう。
 人というのは、本当に話し合ってみないと分からないものです。私はまだまだ努力が足りないと気づかされました。先輩は1人、病理医として勤務を続けていましたが、学校の先生になりたいという夢は持ったままのようでした。
 それから先輩は看護大学に勤務先を変えられ、学生に人気の教授となったのです。先輩ほどの病理医でも、自分の居場所を見つけるために必死にもがいている。そのことを教えてくれたようにも思います。どんなに軽口を叩いていても、うまくいっている先生というのは、努力に努力を重ねていますし、努力をしているからこそ、他人の目を気にしません。先輩は私にとって、人生で大事なことを教えてくれた人です。

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