間を埋めるためのアクション?

最近のアニメはすごい。アクションに力が入っている。CG技術の発達ゆえか、毎週放送のアニメでもまるで映画のような臨場感あふれるアクションシーンが出てくるようになった。

アクションの中身がない?

「すごいな」と思う反面、引っかかることがある。それは、「派手なアクションに頼りすぎてない?」と思うことだ。確かに、アクションに迫力がある作品は素晴らしい。しかし、それが間を埋めるためだけに使われてないかが気になってしまうのだ。

見た目や動きの派手さに力を入れすぎて、「何が起きているのか」が軽視されているようなアクションが多いように思う。視聴者の目を喜ばせるような仕掛けを随所に入れてくれるのはありがたい。一方で、「今の主人公の動きは本当に必要なのか?」や「話が全然進んでない気がする」、「何が起きているのかが全然わからない」といった引っかかりが増えている気がするのだ。例えば、敵と戦っているとき、何故街中を飛び回る必要があるのか、そのビルを倒すのは、敵を倒す上で必要なのかが、明らかでない。そもそも、敵の攻撃をかわす上で、そんなくるくる回らなくても良いのでは?と考えてしまう。つまり、見た目が派手なだけで、中身を伴っていないように思えてしまうのだ。

アクションそのものをエンタメにしてほしい。

アクションシーンをエンタメにするのが良いと思っている。それなら、一つ一つの動きに意味が生まれるからだ。アクションの醍醐味は、「このピンチをどう切り抜けるか」だと思っている。良い例が、香港アクションだ。一つ一つの動きが、その場の状況を活かしたものになっている。偶然手に持っていた中華鍋で攻撃を防いだり、ロープにつかまった遠心力で蹴り飛ばしたりと、すべてのアクションが「このピンチをどう切り抜けるか」の答えとなっている。だから、見ていてすっきりするし、飽きることもない。

原作を拡大解釈するためには、無駄なアクションも必要なのか?

とはいえ、見応えのあるアニメを作るためには、そうした無駄なアクションを挟むことも必要なのは理解できる。原作にすべてが描かれているわけではない。原作に書いてあることだけをアニメで表現しても、あまり盛り上がらないのかもしれない。

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