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1週目

8/1(火)渡航日。またしてもいざという時の運が悪いことを実感した。梅田からリムジンバスに乗って関空に行く予定で行動していたところ、環状線が早朝から事故による全線運休→運転再開直後の環状線に90Lのスーツケースを引きずりながら乗り込み、人目に押しつぶされながら20分間耐えて大阪駅に着いた。特段梅田を経由して空港に向かう必要はなかったが、2年間ほとんど毎日経由してきたためにあのダンジョンと呼ばれる地下街を攻略しかけてきた駅を経由していくことにはそれなりの意味があった。学校に通うということ以外は長期の旅行と何ら変わらないたった1か月の研修だけれども、20年間日本から出たことがない凝り固まった価値観を見つめなおすという意味でも貴重な機会を与えてもらえたことに感謝しつつ、空港に向かった。空港という場所はある人にとっては日常の一部かもしれないが、多くの人にとって非日常的な場所であるだろう。余暇を満喫するために、新たな挑戦のためにどこかへ向かう人もいればその逆も然りで、それぞれの非日常が交差しあうどこか張り詰めた空気が漂っていた。些細なことから多くの意味を得ようとするばかりに不必要な神経を消費してしまうことを好まない性格であるため、特に何も考えずに2時間程度過ごしていたら出発時間になった。そこからはあまり何も覚えていない。2時間のフライトで機内食を出す必要はないだろ。新幹線より短い。なんなら大学までの通学に要する時間よりも短い。とりあえず行っておこうと訪れた明洞は渋谷、難波と似た商業的な観光地といった感じで全然楽しくないし、人が多すぎて疲れた。渋谷や難波に行った時の外国人ばかりだなーという感想は自分が外国人に当たる場所においても出てくる。外国人しかいなかったし、日本人は餌にされているだろうなとも思った。日本人は本当に華奢だし、びっくりするほど童顔なのにさらに童顔に見える化粧をして体型が隠れる服を着ているし、声が小さい。日本で暮らしていて自分が華奢だと感じたことはほんの一度もなかったけれど、地下鉄に乗って周りに囲まれると自分が小さくなったように感じた。

8/2(水)大学で初日のオリエンテーションとレベルテスト、入校式があった。レベルテストは結果こそ望んでいたものだったけれど、満足できる水準ではなかった。先生と1対1の面接形式で行われたため、どれくらいの密度を持った話をすればいいのか見当がつかないまま話していたらいつの間にか終わってしまった。昨日到着したばかりで現地人ともほとんど話していない状況で口も脳もうまく働かなかった。帰ってきてからも言い残したことが浮かんでは消えたが、結果と関係なく思い悩むことの無駄さを感じて疲れた。結局、高級>中級2>中級1>初級2>初級1>初級1-2>初級1-1とある中で中級2に配属された。学校が終わってSMエンタのポップアップに出向いた。実はもうあまりアイドルに関心がないため同行者のような形になってしまったがとにかく細かいところにも膨大な資金が投入されていることを感じる外装・内装でこの国が20年間ほどにわたって押し進めてきた巨大産業のヒエラルキーの頂点に位置する会社の意地とプライドを感じた。またこのポップアップがある駅周辺の商業施設は森美術館周辺とよく似た雰囲気だった。シックな色遣いの飲食店やアートギャラリーが並ぶ中に銀色に輝くポップアップストアが異色を放っていた。お昼時というには少し遅い時間においてもなお満員だった粉食屋に入ると疲れ果てた愛想の悪い痩せた店員さんがほぼ一人で接客していた。日本の接客業となるとどれだけ疲れていても張り付けたような笑顔で丁寧な動作を強いられるだろうから新鮮な体験だった。カード決済が当たり前な社会では決済の際にカードを預ける必要がある場合が多い。このシステムが染みついている現地人はカードを預けることに抵抗がないように見えた。少し調べてみると、韓国人が飲食店などの料金の決算に使用するカードは日本でいうデビットカードに当たるもので、クレジットの機能が付帯していないため使用するハードルがかなり低いことが分かった。

8/3(木)本格的に授業が始まった。文法の授業が2時間、リスニングと会話の授業が2時間+週に1回ずつ文化授業がある。会話能力だけ見ると留学生として生活するには問題ないほどの水準だが、文法に特化して勉強したことがないため、すでに理解できる文法事項においても細かい表現の違いなどを確認しなおし、知識を整理しながら新しい言い回しを学習する機会になるだろう。聞き取り、発話共に特に問題なく消化することができたが傲慢な神経は学習効率を下げてしまいかねないため日本にいる場合では考えられないほど積極的に取り組んだ。ロシアの学生と交流したがやはりアジア圏以外の韓国語のアクセントは本当に聞き取りずらかった。学校が終わって東大門の商業施設と広蔵市場に行った。商業施設の中に倉庫のような内装のスーパーがあった。健康面が気になったため果物をいくつかと、ヨーグルトを買った。また、この日から日本で2年以上ほぼ毎日行っている食事記録を韓国の食事管理アプリを使い再開した。広蔵市場では日本人観光客が多くみられた。粉食屋で隣に座った人たちも日本人だった。屋台のお母さんたちは英語に精通しているわけでもなく、コミュニケーションに苦労しているようだった。いわゆる日本語英語には存在するが韓国語英語には存在しない単語が多く、「テイクアウト」ものその一例だった。テイクアウトは「포장(pojang)」という。また、日本語英語にも韓国語英語にも存在するものの、発音が違うものも多い。本当に意味が伝わらなくて困っていたので少しだけお手伝いしたところ、店主のお母さんに「아이~ 똑똑하네(賢い、利口)」と言ってもらえた。韓国語は第三言語として学習するにはあまりにも話者が少ない言語だから正直お金と時間を犠牲にしてまで留学して学習する必要があるのか悩んでいたが、もう少し頑張ってみようと思える契機になる経験だった。

8/4(金)2日目の授業は女性の先生だった。韓国に来て数日経ち、まだ学校内の人としかほとんど交流していない状況だが、現時点で感じた韓国人と日本人の「優しさ、親切さのベクトル」の違いについて記しておく。前提としてどちらのほうがより優れているなどという話ではなく、どちらもとても親切な国民性だと思っている。ただその親切が作動するまでの行動原理に違いがあると感じた。日本人は関係性の有無に関わらず、また対象の属性に関わらず「相手がより快適になる状況を作り出すような」親切を施す。一方私が数日間で接してきた韓国人は何かしらの縁に基づいて、また対象がどのような属性にあるかに基づいて「その人の気分を良くし、自分がその人のことを大切に思っているということを表現できるような」親切を施す。すなわち、関係性、属性、関心などが韓国人にとっては非常に重要なものであるのではないかと感じた。どこかで「親切な行為というのはある種利己的な行為であり、自己実現欲求を満たすためのものである」というような内容の文書を呼んだことがあるが、日本に住んでいてそれを感じたことがなかった。日本には相手が自分に関心があるのかどうかを最重要項とする人が韓国に比べて少ないのかもしれない。また、国民性をいくつかの観点で評価し、グラフ化したものを見た際東アジアは集団主義の性質が強いことが分かったが、日本よりもさらに韓国は集団主義の性質が強いと記されていた。そのことはたった数日で身をもって実感した。集団の調和を重要視するという面においては日本も韓国も何ら変わりがないが「一人で行動すること」のハードルがとにかく高い。最近になってようやく一人で飲食店に入ることが許容されるようになってきたようだが未だに2人分から市価注文できない飲食店は多く、カフェでさえ 〇〇人以上でないと使用できない席があったりする。そもそも外食=交流の場 と考えるようで、食事する・作業するといった目的で食事を定義づけている人が少ない。外に出るからにはだれかと待ち合わせ、交流しながら食事をする、これがコンスタントな行動様式なのかもしれない。直接目的を達成するためだけに食事に出かけ、買い物に出かけることが習慣になっているため、どこに行くにも何をするにも一人が本当に快適で、一人で過ごすことを好む私にとっては学ぶべきことが多い文化だと思った。

8/5(土)こちらに来て初めての休日だった。例にもれず特に約束がなかったが動いて見なければ時間がもったいないことは自明なので朝から漢江に出かけた。汝矣島漢江公園を歩いて回るけれども、とにかく暑い、日を遮るものがない川沿いは灼熱でなぜ誰も日傘を差さないのか不思議で仕方ない。日本の八月は、特に太平洋側は湿度が高くベタベタ、ジメジメしているから、ひとたび外に出ると滝のように汗をかき、その汗までべたべたと張り付いて最悪な気分になる。こちらでも滝のように汗をかく。けれどもべたべたとして服に張り付くような汗をかかないのが救いだ。漢江の近くで昨日本屋で購入したエッセイを読みながら過ごした。それから、東大門に戻り、カフェでこれを書いている。可能な限りの食事管理をしているし有酸素もしているが浴槽に湯を張ることがあまりできないから明日あたりにチムジルバンに行ってみたい。東京に住んだことがないから首都圏の大型スーパー事情についてはあまり知らないけれど生鮮食品や日用品を購入できる場所が少ないように感じる。あまりに暑くて精気をそがれるけれど生活のためにスーパーを探して駆けずり回る必要がありそうだ。

  • 追記
    ・少数者として生活することで得られる知見
    ・韓国人の「食」に対する情熱
    を近いうちに整理して記録したい。

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