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チョコレートブラウンの板塀のある家 最終章

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第二の人生を考える雄介

雄介は、ロス出張から帰りクリーニングバッグにジャケットとパンツを入れて美恵に渡した。

今回の出張は、雄介が希望しての会議だった。時代の流れとともに、有能な若手が台頭してきて頼もしい限りであるが、机上で印鑑を押すだけの日が来るのも怖い。

役付なので定年は無いが、雄介は、この出張を会社人間としての総括と決めていた。母や叔父の最期を見ていて、身体が自由に動くうちに好きな事をしようと思った。

子供達が巣立ち、それぞれの家庭を持った時、同居は叶わないだろうし、雄介も又それは望まない。

母のいなくなった故郷は住居も壊し、荒れた土地と、倉庫一つ残すだけになっている。
DIYで小さな平家でも建てて、例のチョコレートブラウンの板塀を真似てみようと考えていた。

妻の美恵は、ついて来てくれるだろうか。友達に囲まれて華やかな生活しかした事のない妻は、きっと嫌がるだろう。しかし退職のことは匂わせてはいる。最悪二重生活も視野に入れておこう。

職業人としても一個人としても、第二の人生を探すべく時に来ている。
空になったキャリーバッグを、雄介は、えらく真剣な目で睨みながら自分の世界に浸っていた。

スマホの呼出音に、妄想の世界から引き戻された。勤務中であろう愛理が、欠伸を噛み殺した様な声で、
「新聞読んだ?」と呑気に言って来た。

雄介は、まだ、留守中の新聞やニュースのチェックもしていなかった。愛理には出張の事も退職の事も話していない。

「葬式の時の事載ってるよ」

慌ててしらみ潰しに読みあさったがそれらしき記事は載っていない。愛理の住んでいる所は、叔父と同じ県内で雄介は関東に居た。全国紙に載るほどの事ではなかったらしい。

仕方無いので愛理に読み上げてもらった。それによると、東京都在住の葉山亮司、26歳 学生。

友人とツーリングに来て同県の道の駅で別れた後、田舎を彷徨っている様子が写真と共に彼のSNSにアップされていたとある。

警察は事件、事故の両方で捜査しているとあるが、事件の可能性が極めて低そうだと雄介は感じた。もう一つ雄介のアンテナに触れる物があった。

身元判明!意外な人物とは

確か、同期入社で、雄介が勝手に親友と思っている葉山の息子も確か亮司だった。震える手でスマホの電話アプリにある数字にタッチした。コール音が虚しく響くだけで相手が出る様子も無い。

雄介は二日の休暇の後出社した。
成果の報告は、メールで簡単にすませてあるので、挨拶もそこそこに、別棟の葉山の部署へ急いだ。

しかし、そこに彼の姿はなかった。
嫌な予感がした。
「休みと聞いています。理由まではわかりません」
若い葉山の部下は、申し訳無さそうに答えるのみだった。

再度電話してみたが、やはり応答は無かった。雄介は外出を伝えて表に出た。
絡れそうになる足をもどかしく思いながら、葉山の家に向かった。

インターホン越しに、年配の女性の応答があり玄関を開けてくれた。見覚えのない婦人である。訪ねる度に感心するが、大地主である葉山の家は、昔と変わらず、隅々まで手入れが行き届いている。

雄介が今の役に就いてからは、葉山の家を訪ねる事も、共に酌み交わす事もできなくなっていた。何年ぶりだろうと懐古するが、それよりも不安が大きく襲いかかる。

渡廊下を進み、葉山の住居に案内され、苦悩に満ちた顔の葉山と対面することとなった。悪い予感は的中した様である。

「亮司は今、切り刻まれている。まだ帰して貰えない」
絞り出す様に葉山が言った。
葉山も、事件とは考えていないと言う。

葉山は亮司が、かなり荒れていた事を語ってくれた。
雄介の記憶に残っているのは、亮司が快活な中学時代だった頃の笑顔だ。よく慕ってもくれた。

刑事に見せられた写真は、記憶の中の亮司では無かった。その理由まで葉山はポツリポツリと語った。

双極性障害を患っていたと思われ、鬱の時に自傷行為をよく起こしていた。突然行方不明になったかと思えば、ある日突然快活になったりする。

2年程前に鬱状態の時、走行中の車の前に飛び出した。両親が、病院に駆けた時は意識も無く、数日後に目覚めた時は、やけに明るい亮司になっていた。

亮司は、命こそ助かったが、顔面も頭部も含めて満身創痍の状態であった。今回のツーリングに出る時も、四肢が動き辛いと悲嘆していた。

葉山は帰らぬ息子を探していた日々を偲び、至らぬ親だったと項垂れた。
これ以上は何も話す事はないとばかりに口を結んでしまった。

ありきたりの慰めなど寄せ付けないと彼の肩が語っていた。

電話には、出れないのではなく出たく無かったのだ。雄介は、突然訪問した不躾な振る舞いを心で詫び、自分の思慮不足を恥じた。

それでもこんなに語ってくれた葉山に申し訳ない気持ちでいっぱいになった。

居た堪れず葉山家を後にした雄介は、何故あの日だったのだろう、あの場所だったのだろうと思った。雄介に見つけて欲しかったのだろうか?

そして、雄介は、自分の家庭は大丈夫なのだろうかと考えた。子供達は、一応成人して其々職を持ち、心身共に憂う事なく活躍していると思っていた。果たしてそうなのか?

誰もが抱えているであろう心の闇を、見抜ける術を雄介は持ち合わせていない。
しかし、命に限らず無くして気づく宝物にだけはしたくない。

雄介は第二の人生を考える前に、今一度、自分の家族と向き合うべきだと再認識した。亮司は大きな課題を、雄介に残して逝った。

葉山が、亮二の事を忘れる事は出来ないだろう。
亮司の歩いて来た短い生涯を背負って生きていくのだろう。
もし葉山が何かしらのシグナルを発した時は、見逃さず出来うる協力は惜しみたくない。

葉山には3人の息子がいる。
父親が、前を向いて生きる姿は、残された2人兄弟の人生の指標になるはずだ。

雄介は、心の中でエールを送った。







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