縁は繋がる

 友禅作家の眞鍋沙智さんとシンコレ作家の渡辺真由美さんの思い出

京友禅作家、眞鍋沙智さんのタイルプレート。タイルに銅板で掘り起こした型紙を何枚も使って印刷したアートタイル。側面まで柄を写した丁寧な作品。4枚ひと組で絵にもなり、一枚でも使えるアートタイル。この作品が生まれた背景にも、さまざまな人との縁と作家さんたちのものづくりに対する想いがありました。ヴェネチア在住の版画作家渡辺真由美さんと友禅作家眞鍋沙智さんに縁が繋がる話です。

眞鍋さんのアートタイル
眞鍋さんのアートタイル

 ヴェネチア在住の日本人アーティスト渡辺真由美さんと知り合いました。彼女は数十年もヴェネチアに住み、シンコレという技法を使い、現地の老舗工房で作品作りをしています。シンコレとは、フランスで始まった技法です。シンは中国を意味するのですが、昔、フランスで1番薄い紙は中国から来ていると考えられていて、その紙を用いた繊細なコラージュ技法をシンコレと呼びました。渡辺さんは日本で美術大学を卒業後、すぐにイタリアに渡り、ヴェネチアの工房で師匠について制作を学びました。生活を支えるために職業を持ちながらの生活を長年続けて来られました。その精神力には感服です。著名ファッションブランドのショップで店の陳列装飾の責任者までされてました。仕事が終わってからの作品作りは大変だったと思います。抽象的な表現の中に、さまざまな感情の波が感じられて、知らぬ間に時間が経ってしまう。彼女の作品に惹かれて、私の関わるギャラリーで催事を行いました。

渡辺さんのシンコレの作品

 催事の開催週に日本に帰国、ギャラリーでの在廊のために、渡辺さんに、イタリア人のご主人とまだ小さかったお子さんのミワちゃんが同行されてました。催事で渡辺さんが会場に在廊する間、日本語の話せないご主人がミワちゃんと一緒に名古屋の街を散策したりして時間を過ごされてました。

 ご主人、せっかく日本の名古屋まで来て、毎日名古屋で散策とは、申し訳ないと思ってしまいました。どこか楽しんでもらえるところに案内しようと思い立ちました。名古屋から近いところで、楽しんでもらえるところと思い巡らしたところ、渡辺さんのご主人がイタリアで建築設計の仕事をされているとのこと。そこで岐阜県多治見市笠原にあるモザイクタイルミュージアムはどうかという話になりました。

多治見市笠原町のモザイクミュージアム

モザイクタイルミュージアムの設計は独創的な設計で著名な藤森照信氏。建物を見るだけでも建築家のご主人には楽しんでいただけると思いました。そこからが、また大騒ぎ。誰か人の紹介があった方がいいだろうと思い、岐阜県庁の産業振興を担当している知人経由で、ミュージアムを運営している方を紹介してもらい、訪問日時を決めました。小さな子供もいるので移動手段は車がいいだろうという話になりました。隣接の会場で催事をしていた笠間から来ている陶芸家が、搬入で乗ってきたハイエースで案内しますと申し出、留守を他のスタッフに頼み出かけました(もちろん暇な曜日です)。訪問する時間にミュージアムに到着するとなんと休館日。あれっと思いながら、ブザーを押すと、中からミュージアムの運営理事の長江さん、ミュージアムの館長はじめ、いろんな方達が出て来られました。理事会を開いていたそうです。職員の中に英語の堪能な方がいらっしゃって、館長、理事の長江さんの案内で通訳付きでご主人を案内してもらいました。ご主人は英語は普通に話されます。私は片言英語でコミュニケーションをとってましたので、ホッとしました。日本のタイルの歴史や製造方法なんて訳して伝えられるはずもなく、本当にラッキーでした。館内も素晴らしく、ヴェネチアで、古い家の外観を守りながら、建築を続ける建築家のご主人に楽しんでいただけたと思います。

 

建築に使われるタイル。多治見市の笠原町は、日本はもとより、海外でも評価が高く、笠原の町はタイルで名を馳せています。後で、長江さんから教えてもらいましたが、タイルで世界的で1番歴史が古く、高い芸術性と技術を持っているのが、イタリアだとのことです。日本のタイルの業界はイタリアを追いかけて、日本にしかできない技術を磨いてきたそうです。そして、どこにでもある話で、低コストと量産で世界の市場を席捲しているのが中国だとのことです。本場のイタリアの建築家が来るとなれば、モザイクミュージアムの方々も気合が入ったのでしょうか?楽しいひとときでした。そしていろいろな人が力を貸してくれたのに感謝した出来事でした。

 その後、家族でベネチアに行った時、大学で建築学科に進んだ娘と渡辺さんご一家と食事の機会を作ってもらいました。娘はご主人に建築のことをいろいろ質問して刺激をもらってました。娘は渡辺さんのとにかく和かな話術にすっかり虜になっていました。渡辺さん、長年のショップ勤務で流石に素晴らしい会話力でした。当時、ご主人はヴェネチアの郊外にあるプロセッコ(ヴェネチアの地元で愛される地ワイン)の古い蔵の再生デザインと建築をする仕事が始まるとの話でした。完成した暁には、ぜひ拝見したいと思いました。
 渡辺さんの個展はその後、2回ほど。回を重ねるたびに作品の世界が進化していくような。一度はイタリアに毎年、数ヶ月滞在して製作する陶芸家の伊藤滿氏との2人展も開催してもらいました。コロナが始まって開催ができなくなりましたが、イタリアではあいかわず元気で活動されている様子で、フィレンツェでも個展をされたようです。


タイルプレートの話です。名古屋出身で、京都で友禅の作家の修行を積み、作家デビューを果たした眞鍋さん。その斬新なデザインを着物にする感覚は他に例をみません。彼女と会ってしばらく、彼女のデザインセンスを着物以外のプロダクトにできないかと思い立ちました。眞鍋さん自身も、着物以外にアクセサリーなどに自分のセンスと技を活かしたものづくりを始めてました。

長江窯業の長江さんの様々なデザインタイル

 モザイクタイルミュージアムを訪れてから、タイルに興味を持ちました。知り合いになった、長江さんは笠原町で建築用タイルの製造卸の会社を経営している社長さんでした。そして、モザイクミュージアムを笠原に作る設立委員会の中心メンバーでした。長江さんを訪ねて、タイルのいろいろな話をお聞きしました。タイルの業界のこと、笠原のタイル作りのこと。そして長江さんのタイルに寄せる熱い思い。彼は、タイルを個人でも楽しんでもらえる製品にしようと、一枚から買えるアートタイルとも言うべき作品を作り、販売に乗り出していました。若手のデザイナーと組んで作ったタイルまでありました。タイルを集めたカタログが2センチほどの厚さがありました。名古屋栄に専門の小売店も開いてました。これはと思い、すぐ頭に浮かんだのは眞鍋さんのデザインでした。笠原町から帰ってすぐ、眞鍋さんに話をして、笠原町の長江さんのところに出かけました。彼女のデザインを生かしたタイルはできないものかと思ったのです。長江さんに眞鍋さんの作品の画像を見せると、彼の目が変わっていくのを感じてました。一通り眞鍋さんの作品の紹介が終わった後の長江さんの言葉は、どれかすぐ試作をしてみましょうかとのこと。息が合う瞬間とはこういうものだなと思いました。選んだ図案は多色で表現されているデザイン。タイルにデザインを落とすにも転写する版が多数必要になりますし、版を起こすにも技術の高い方の力が必要です。いろいろ手配と試作を重ねてくれました。試作品が揃ったとの連絡を受けて、眞鍋さんと笠原町へ出かけました。何種類もの試作品を見せてもらい、その中から一つを製品化することになりました。
 眞鍋沙智さんのタイルプレート。着物の世界は本当に今厳しい環境に置かれています。でも、日本文化の代表ともいうべきが、きものに関わる文化です。その文化を継承する大切さは分かりつつも、当たり前のことですが、作品が売れて、収益が上がらないと継承されていきません。補助金などで外から支えることも大切ですが、それだけでは作品に時代を超え、人々に愛される力は備わりません。きものさまざまな表現を新しいプロダクトにして、新しいファンにきもの文化への関心を増やそうとする眞鍋さんの取り組みに注目していきたいと思ってます。

 そして、繋がる縁は不思議で、繋げたのか繋がったのか後から振り返ると分かりません。作品が在って、その作品の力に動かされたような気持ちもしています。

(また、後日談ですが、タイル会社の長江さん、私の勤務してた百貨店の後輩の親友でした。そういえば以前、後輩から多治見のタイルの話を聞かされていたような。これもまた縁でした。)


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