ロボット陶器!?


知多半島の美浜。気候が温暖で、夏は名古屋からの海水浴客で賑わう観光地。ここの山間の地に、日本でも最初の福祉を専門とする大学が市内から移転してきたのが40年ほど前。この大学で教える陶芸家を訪ねてやってきました。

陶器でロボットを作っていると知り、興味津々で訪問しました。大学の教室兼アトリエに作品を並べて江村教授は迎えてくれました。52歳とは見えぬ若々しさとフランクさ。いつも学生に囲まれ、想像力を刺激する仕事をしている故かも知れません。専門はこども発達学科と保育と幼児教育。保育園の先生をめざす若者を中心に、陶芸をツールに教育しているそう。江村氏、愛知の教育大学の芸術コースで陶芸を学んだ後、信楽で、白州正子が贔屓にした陶芸家のもとで作陶。その後赤絵の名匠の元で修行し、独立。陶芸の本道という道を歩んできました。しかし、陶芸だけでは家族を養えないと教師との二足の草鞋の道に。今も大学で教える傍ら、年に数度個展を近くのギャラリーで行なっているとのこと。

江村さんといろいろお話ししました。
土を素材とする陶芸は、こどもたちにとって、創造という体験を通じて感性を伸ばす格好のツールだと言います。土を捏ねることでこどもたちの遊び心に火がつきます。自由に土で遊ばせることで、自由な創造力の大切さを教えることができると。学生たちと知多半島から名古屋の南の地域あたりまで、こどもたちのところに土を持ってワークショップに出かけます。授業を兼ねての取り組みですが、こどもたちとの交流を通じて、こどもたちはもとより、学生たちの創造性を育てる体験を積み重ねる貴重な機会とのこと。
そんな江村先生にとって、最近気がかりなこと。ひとと接することに臆病な学生が増えてきたこと。保育士を目指す学生が人に臆病なことはとんでもないと危機感を持つものの、これが現実。やはりここにSNS世代の負の環境が出ています。対面で自分と他人を交流する経験が少なくなり、交流から生まれる感動や軋轢やら、乗り越え方の経験が乏しく個人に引きこもってしまう。そんな学生の生活スタイルから変えようと、授業やゼミや、ワークショップも含めて学生の共同作業の機会と、とにかくワイワイ話ながら仲間づくりから始めているとのこと。このある種の危機感は、私のずっと感じていた感覚と似ているところがありました。

江村さんの作品は、ロボット陶器と恐竜ロボット陶器。ちょっとありえないテーマで、え!と思い、知多半島の先っぽまで出かけてきました。彼はガンダム世代。子供の頃にガンダムにハマり、今も趣味にプラモのガンダムを組み立ていると言います。確かにこの世代はガンダムに熱狂した人が多くいます。そしてこの世代は今、子育てが落ち着き、社会人としての立場も安定した世代。そろそろ自分の好きだったことを思い出して、楽しんでみたい世代とのこと。江村さんも、ある時ふと思ったそうです。いろいろ陶器をやって来たけど、そろそろ自分の一番好きだったものを、陶芸で表現してもいいんじゃないかと。それから、ロボットを陶器で作るようになったそうです。ろくろも絵付けも名匠に基礎から指導された技術を持った人が作るロボット陶器です。出来栄えは素晴らしい。さまざまな技を使って制作しています。そして恐竜も。恐竜そのものを陶器で表現するのではなく、恐竜をロボット化したデザインにしてから陶器で作ります。話は続き、仮面ライダーからウルトラマン、ドラえもんの話まで。私はウルトラマン世代なんですが、みなそれぞれ思い出のキャラクターがあって、込める思いとドラマがあるようです。そういえば、知り合いのミュージカル歌手は、ドラえもんの大フアンで、稽古場にドラえもんの着ぐるみを着て、自転車で行く姿をインスタにあげてました。

今、アートという範疇が随分と広がって理解されています。欧米伝来の芸術という領域から超えてしまって、ポップミュージック、イラスト、インスタレーション、さまざまなな表現をアートという呼び名でまとめているような景観です。言葉で表現できないものをさまざまな方法で伝えるものがアートだと言った人がいます。感性で伝えたり受け取ったりすることが大切な時代になったのでしょうか?アートからの感動を、他の人と一緒に見て感動したりする共通の体験が、人と人とのコミュニケーションを深めるツールにもなっているようです。疎外の時代と言われて久しい現代には、必要なツールなのですね。それは大人こども関係なくて、誰にでも必要なことなんだと思います。

インターネットが生活の基盤に広がったのは、ここ数十年のこと。その流れは爆発的な拡大とでもいう進展でした。機器の進化についていくのが精一杯の私の世代には、自分の少年期と別世界に生きているようです。でも環境が変わっても大切なことは変わらないような。30年前も40年前も、遊びの場を使って、創造力を鍛え、人と人と関わり合い方を学んでました。懐かしい鬼ごっことて、知恵を使って追い方、逃げ方を考えてました。時代によって道具は変わるものの、創造力を養い、人との交わりの中でさまざまな感情を味わい、共感力を高めることは必要なんだなと、江村さんの話を聞いて改めて思います。インターネットの便利な世界にあって、なんか足りないと思うのは、肌感覚です。便利で触れることのできる世界は広大なんですが、肌で触ったり、空気感を感じたりといった感覚から得られる情報の欠落が、何か心もとないと思うのは古い世代の負け惜しみなのでしょうか?

江村さん曰く、少年時代に熱中したロボットを、壮年と言われる年頃になって、「私が好きなものはこれだ!」と世間に自信を持って言っていいんだ思うようになった。自分が熱中したものへの再度の回帰というか、楽しいことは楽しいと素直に楽しむことが許される時代になったというか。解釈はさまざまですが、ガンダム、ウルトラマン、仮面ライダー、ドラえもん、日本のアニメ文化は、日本の歴史が積み上げた文化の上にあることは確かで、アニメの中に表現された精神性なり、心の物語もしっかり入っていて、今の時代になって、アニメに込められた思いが再度表現されているほどの質がすごいです。海外でも評価されるはずです。ガンダム世代の感覚を陶芸で表現する江村さんの作品が面白いです。これから、どんどん進化するでしょう。そして、アートと言われる分野がまた世界を広げていくような気配がします。ストレートに自分が楽しいと思うことが、他人に伝わり、また楽しいと共感してくれる人が増えたら、その喜びは何倍にもなると思います。

刺激的なひと時でした。

※知多半島の思い出。
 名古屋から南にすぐの知多半島は、わたしたちにとって、手軽で、身近なリゾートでした。夏の海水浴といえば知多半島の先の内海。内海には温泉もあります。師崎をはじめとする知多の港の魚の水揚量は太平洋側の港町でも屈指の量を誇ります(そのほとんどは築地に行ってしまいますが)。半島の先っぽすぐにある、篠島と日間賀島は、ふぐの水揚げが多く季節には安くて新鮮なふぐを目指して観光客が押し寄せてました。半島の中ほどは、昔から酒造りの盛んなところ。大きな樽を作る技術が生まれてから、江戸に大量の酒を作って知多半島から送ってました。そのうちの一つ盛田酒造は、ソニーの創業者盛田氏の実家。今も、酒蔵が沢山あって、新酒の季節には、酒蔵巡りで賑わいます。急須で名を馳せた常滑も半島の中程に。陶芸家も多く工房を開いてますが、なんと言っても急須。長い歴史に磨かれた急須の職人さんたちの技は、海外からもひっきりなしに注文が入るほどです。私の大好きな80歳を超える急須職人の磯部さんも、今もここで変わらず急須を作ってます。
 もう、40年近く、ことあるごとに通っている土地です。また、今回の訪問で、知多半島に行く楽しみが増えました。
 中部国際空港ができてからは、半島を通過するだけの訪問も増えましたが、やはりじっくりと回ってみたいところです。

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