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近江八幡の人たち

 仲屋町(すわいちょう)って読めますか?近江八幡市の旧市街地、八幡神社の近くにある町の名前です。滋賀県のほぼ中間、琵琶湖のほとりの古い町です。近くには、時代劇でよくロケ地として使われる八幡堀、琵琶湖に続く西の湖の自然に恵まれた地域です。豊臣秀次によって開かれた町で、近江商人発祥の地としても知られている土地です。

 旧市街の中心とも言える町が仲屋町。ここで6年ほど前に、町おこしを目指していた二人を紹介してもらいました。町屋倶楽部を運営する宮村さんと、ナッツ専門店を経営する道城さん。旧市街の街を人が集まる街に変えたいと夢を語っていました。
 私が近江八幡をおとづれるきっかけになった、ファブリカ村の経営者北川さんと、仲屋町で雑貨店を営む小林さんを通じて彼らと出会い、皆さんの熱い思いを聞いているうちに、何か彼らの力になれないかと思い、町おこしの勉強会をしようと思い立ちました。当時、人気だった福岡県の八女市にある「うなぎの寝床」さんを見学に行くツアーを企画しました。たまたま福岡に転勤してた時期があり、すっかり福岡を初め、九州の土地土地にすっかり魅了されてましたので。そして、福岡でも街を活性化させたいと頑張っている人たちに出会ってました。おそらくは近江八幡の彼らも刺激を受けるのではないかとの予感がありました。博多の知り合いに車の手配と案内をお願いして、一泊二日の強行軍。忙しい宮村、道城両氏は日帰りで参加という強行軍に。八女市まで車で往復して、その夜は、博多のの知り合いの人たちに集まってもらい、夕食をかねた交流会。予想通り福岡の女性は酒に強く、近江の二人は飲まされるは話されるはで大盛り上がり、ふらふらになって最終の新幹線に飛び乗りました。後で聞けば、新幹線のなかでも、二人は街の未来を熱く語り合ったそうです。

 それから6年、折々に仲屋町をおとづれ、彼らの夢が現実になって行く姿を目の当たりにしてきました。宮村さんの古い大きな旧酒蔵は、古民家の宿を中心に、玄関からは小林さんの雑貨店を始まりに、帆布のお店、喫茶店、一番奥には道城さんの量り売りナッツの専門店(裏の庭を開放したので、こちらが表になったような錯覚も受けますが)。一番奥の広大な昔の酒の仕込みスペースには、地元の大学生たちが作った葦を使った大きなインスタレーションが。ここは、近江八幡のビエンナーレにも使われるスペースなので、今年の秋のビエンナーレまで、このインスタレーションがそのまま置かれるとのこと。道城さんのナッツの専門店は、アメリカカルフォルニア州にあるナッツ農園から直接買い付けた、さまざまなナッツを売り物にする、日本では珍しいナッツ専門店。オーガニックのナッツや、ドライフルーツなども。店の前の庭にあるパラソル席ではナッツと豆乳のスムージーを楽しむ女性が多く見られます。6年前に隣のヴォリーズ建築の建物で事業を始めて、町おこしを行いながら、ナッツの事業をここまでに成長させてきた足跡を見ると、彼の頑張りに敬服します。彼の店の前には、宮村さんが、地域の工芸、産業からできた品物を販売するコーナができていました。「うなぎの寝床」で見た、地域の工芸品をうまく展示して販売するコーナーに刺激を受けて作った宮村さんの夢の詰まった場所です。
 道城さんに話を聞いていると、この町は、「頭の柔らかいお年寄りが多く」自分達のまちづくりの運動にも賛同してくれて、手伝ってくれるのがありがたいとのこと。彼らが行うイベントに応援したり参加してくれたりで、随分助けてもらっているようです。だからでしょうか、今回訪問した時、道城さんが町の人に会うとこんにちはと声をかけながら挨拶して歩きます。そんな雰囲気は以前、idea noteという雑貨店を営む小林さんの姿をを見てびっくりした思い出が蘇ってきました。彼女と一緒に歩いていると、すれ違いひとたちが話しかけてきます。その人たちに小林さんはいつも笑顔で「こんにちは」と挨拶した後、一言二言と話しながら歩いて行きます。私が小さかった頃の下町の雰囲気を思い出しました。今、道城さんはこの町に溶け込んでいます。彼は生まれはアメリカカルフォルニア州。日本に戻ってお父さんが働いて居たこの町に戻って町を発展させようと頑張ってます。その日々のなかで、町の人たちに溶け込んでいったのだと思いました。
 私もこの町の雰囲気が好きで、小林さんに案内してもらって、仲屋町を何度も楽しんでるのです。古くからある食堂、初雪食堂。ここのメンコロ定食のファンです。(メンチカツとコロッケの定食です、大盛の味噌汁とご飯も美味しい)。惣菜屋の三松さん。町屋インで皆で宴会をしたときは、三松さんから惣菜とかつまみを調達して地酒で楽しみました。美味しい。いつも地元の人で溢れかえっています。新型コロナ感染の拡大でここ数年、国内外ともに観光客が少なくなり商売が大変になっていました。でもこの間に、我慢しながら着実に歩みを進めてきた成果が形になってきました。そして、今年、賑わいが戻り始めています。最近、雑誌で近江八幡が取り上げられる機会が増えたようです。移住したい街の上位にも近江八幡が上がっているようです。在来線で京都から30分ほどの便利さと、琵琶湖が象徴する環境の良さが評価されているようです。着実にこの町は変わっていました。

 もひとり、仲屋町のすぐ隣の為心町ではんこ屋さんとカフェを営む江湖庵の斎藤さん。尾賀商店の中心者として地元のモノづくりの方々の信頼を集めていた人です。尾賀商店は、最初に近江八幡に興味を持ったきっかけの場所でした。古民家にさまざまな作家やら、美味しい飲食店が同居した不思議な空間でした。当時から人気の場所で、ここを目指して遠方からやってくる人たちもたくさんいました。私もそのひとりとなりました。斎藤さんの柔らかい物腰と人柄が、多くの作家さんやお客様を集めていました。斎藤さんが尾賀商店を離れて、自身でオープンされたのが江湖庵。古民家をリノベーションしたカフェは、斎藤さんの美意識で溢れています。はんこは一級技能士を持つ技術の高さで定評がある上に、旧来のハンコの形にとらわれず、お客様の嗜好と要望に応じて柔軟にデザインと制作をされます。お客様には、海外の演奏家の方やら、アーティストもいます。そして、書。アートにも通じる書の作品がカフェ内にあるハンコのアトリエには、数々飾ってあります。
 斎藤さん、この3月、フランスのアルザス地方で、ハンコの彫刻作業を音楽と映像とを合わせてエンターテイメントに仕上げるパフォーマンスをされました。音楽は、ギターと三味線。14年前のフランスの映像アーティストとの出会いから、4年前に構想が実り実現までにきましたが、コロナのパンデミックで延期になっていました。コロナ感性が少し落ち着いて、この春にやっと公演が実現しました。以前から、その話をお聞きしていて、実際の経験談を聞けました。大変な好評を得て開催され、次はフランス国内で4、5箇所に公演の場所を増やして行う予定とのことです。すごい、ハンコののパーフォマンスって想像できますか?これは実際に江湖庵に行って、斎藤さんのハンコのを見ないとわからないと思います。アートという言葉を使ってもいいかと思います。既成の概念に囚われないハンコの世界は、日本のハンコ文化の発展の可能性を感じさせてくれます。
 現地の学校で、書のワークショップを行った時の子供たちの反応など、興味津々の話を聞くことができました。フランスは、浮世絵が衝撃を与えた古くから、日本文化へのリスペクトがある国。フランスに憧れる日本人は多いのですが、フランスの文化への憧れと同じくらい、日本文化に日本人が再度価値を見直してほしいと思います。一方、日本の文化がガラパゴス化してしまう原因はなんだろうと、また思ってしまいます。

 こういった地方の街に、若者が集まり、地域が再生されて、文化が継承されたり、生まれたり。それがこれからの日本を再生する力になっていくのではないかと思ったりします。古い街並みに午後の日差しが濃くなる中に、学校から帰る子供たちの賑やかな声が聞こえてきます。古民家の窓越しに見る景色と声に、何か懐かしくも穏やかな気持ちを感じます。この土地に多くの文化と地域に魅了される人たちが、国内外から集まるようになった日、ここで活躍する人たちは、今まで以上にこの土地から日本各地と世界に繋がった生活と活動をしているような気がします。そしてここが、新しい地域の再生の模範となっていけばいいのになあと思ったりしています。そんな気にさせるのは、ここに住まう人たちの魅力があるからだとも思います。


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