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27.人類総ジャックナイフ


 僕は自分がかっこいいと思ったものを「かっこいいでしょ」と他人に自慢しますし、それを否定されたり揶揄されたとて「かっこいいのに」と思って終わります。

 どうあれ僕がそれをかっこいいと思ったので、わりとそこで完結している節は昔からあります。

 でも、やっぱつらいですよね。自分がかっこいいと思ったものや素敵と思ったものをからかわれるのは。
 つらいから、初手で自分から笑いものにする。相手にそうされる前に自分で一旦それを貶めることで予防線を張り、「そんなことは分かった上で僕はこれを素敵と思うんです」と牽制する。

 他人に傷つけられないために自分で一度汚してしまうというのは悲しいこととはいえ、そうしてでも誰にも侵されたくないものなんやろうと僕は解釈しているんですが、どうなんでしょう。

 そもそも他人の感情を軽く笑い飛ばすのはよろしくないよねという話になってきますが、正直自分がよく知らないものは魅力も楽しみ方もよく分からないから軽いものに思ってしまう。
 逆もしかり。どんな馬鹿馬鹿しい作品でも与太話みたいなコンテンツでも、それに人生を賭けた人や人格形成に深い影響があった人がおるはずなんです。

 例えばB級映画でよく話題に上がる「マーズ・アタック!」が僕の人の善悪についての価値観に深く影響している。
 どれだけネタにされても、僕がそれに同調して笑っても、僕にとっては大切なきっかけです。

 大切なものを相手から大切にされず、大切だからこそ自分すらそれを大切にできないなんてあんまり可哀想じゃないですか。誰も彼もみんな。作品も全部。

 僕は誰の「かっこいい」も「可愛い」も「素敵」も嗤いたくない。
 誰かが笑ったとしても僕の思う「かっこいい」も嗤いたくない。

 だってモーガン・フリーマンはかっこいいもんね。モグワイは可愛いし。スヌーピーも可愛いし、釜爺はめちゃくちゃかっこいい。
 恥ずかしくない。
 僕は、何も恥ずかしくない。
 あなたもあなたの好きなものも同様です。

 世界平和はイマイチぴんと来んので上手く祈れんのですが、その相互的な嘲笑は少しずつなくなってくとええなぁ。
 これが多様性ってやつですね。知らんけど。

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