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自然界について、陰陽の法則からなる森羅万象 前編1 第2章 陰陽の法則 第2節

第2節 自然を支配する大法則

自然現象を広くかつ子細に観察していきますと、そこにはあらゆる現象がひとつの法則によって一貫され支配されているという事がわかります、筆者はこの法則を陰陽の法則と唱えることは前節に述べましたが、この法則こそは生物たりと無生物たりとを問わず全自然現象を一貫する大法則でありまして宇宙の一切万有、悉くこの大法則の支配を受けるのであります、しかもこの大法則は幾千万憶年の過去絵遡った宇宙創成の始元より、未来永劫に絶対に変わることのない大法則でありますから、吾々はこの大法則を研究することによって不明の過去を知ることが可能であり、そして未知の未来を予言して必ずそれが的中するのです。

例えば我々は日常人類その他あらゆる生物の死を見聞きしますから、子供が生まれた時に「この子供は将来、必ず死ぬだろう」と予言すれば、当然のことですが必ず的中します、吾々は生死を見聞きしなくても生まれたものは必ず一度は死滅する、という事が自然の法則であり、そして吾々がこの法則を知っているとすれば必ず当たる結果を予言出来ます、生じたものは必ず滅する、生者必滅は陰陽自然の大法則であります。

これを陰陽の法則では「暗い場所から明るい場所に生じてきた一切万物はまた必ず一度は滅して元の暗い場所へ帰って行く」と言うのであります、即ち筆者の称える陰陽の法則とは・・・「陰より陽が生じ、陽は陰に還元する」この数語に尽きる法則によって自然界のあらゆる現象が生起するです。

それ故筆者が今「この世の全生物、そして全星々も有限の時間内に必ず一度は絶滅するであろう」と予言すれば必ず的中するのです。

但し自然界全体的には絶対的な生滅はなく、あるものは唯、陰と陽、即ち明暗二方面だけでありまして、生とは物質が暗い場所から明るい場所へ移動する事であり、滅とは明るい場所から元の暗い場所へ還ることを意味するだけであります。

例えば、地中の暗い場所から土が明るい地上の植物という地位に移動することが植物の生であり、そして明るい地上から元の暗い地中へ還ることを植物の滅というのです、更に地中の暗い場所から土が明るい地上の植物という地位の階段を経てより明るい動物という地位に移動することが動物の生であり、そして動物が明るい地上から元の暗い地中に還ることを動物の滅というのです、更にまた暗い地中から土が明るい地上の植物及び動物という地位の階段を得てより明るい人間という地位に移動する事が人間の生であり、そして人間が明るい地上から元の地中に還ることを人間の滅というが如くであります。

而して地中へ還った一切の生物は、土に還元することによって更に植物へ、動物へ、人間へと移動して、絶えず循環するから自然界全体的に見れば絶対的な生滅は無いというのです、又仮に地球上の全生物が絶滅しましても、それは絶対的絶滅ではなく、生物を構成する物質が元の地球(土、水、空気等の固体、液体、気体)に還るだけであります。

即ち時間を遠く過去絵遡ると、この地球上に生物は一木一草たりとも無かった、生物無の時代に到達するのでありますが、この無から有が生じるのです、そして又有った生物が絶滅して亡くなって行くのです・・・と言いましても前に述べましたように、之は絶対的な生滅ではなく地球という無生物から生物が生じ、又元の地球という無生物に還るというのでありまして、これを陰陽の法則では・・・「無生物(陰)より生物(陽)が生じ、生物(陽)は又無生物(陰)に還元する」というのでありまして、これが陰陽自然の大法則である事は前に述べました。

また地球の時間を未来へ何処までも辿って行きますと、やがて地球は過去の無生物の時代と同様に生物無の時代に到達して地球上は寂しくなりましょう・・・そして地球も又有限の時間内には分裂して絶滅する筈であります。

然し絶滅が今度は原因となってさらに第二の地球に再生され、そしてさらに再生された第2の地球上に生物が生ずるというように循環して未来永劫止まることのないのが陰陽自然の大法則であります。

さて吾々は自然に対していろいろな疑問が起こります、即ち何故に電気は1秒間に30万キロもの速い速度で移動することが可能なのであろうか?又秒速30万キロの等速運動を続ける輻射が、一直線に空間を走り続けて何十億光年後に行き着く究極的宇宙の果ては何であろうか?何故に空間には星々が輝いているのだろうか?太陽系は如何にして生じたのであろうか?空間に無数に散らばって輝いている恒星も我太陽系と同様にその周囲に黒い星々遊星や衛星が公転していないであろうか?そしてもし黒い星々が公転しているとすれば、そこには地球上に生息するような生物や吾々のような人類が棲息していないであろうか?

何故に地球上には海陸があり、寒暖があり、昼夜があり、生物や人類が棲息して生死があり、闘争があり、盛衰、怨恨、愛憎、貧富、強弱、優劣、甘苦、美醜、悲喜劇があり、文化があり、美的鑑賞があり、宗教があるのであろうか?

何故に地球上の生物総てに雌雄男女の別があるのであろうか?何故に地球上の全動物が横に行動するのに吾々人類のみ縦(直立)に行動するのであろうか?何故に我々は死を恐れ、生に執着するのであろうか?何故に我々は悲鳴を上げる鳥を〆め殺し、豚を屠殺しなければならないのか?

何故に我々は好まざる労働や執務を為さなければならないのであろうか?何故に我々は平和を愛好しながら吾々の最も嫌悪する戦争をしなければならないのであろうか?即ち何故に自己の意思に反した行為をも我々はなさなければならないのであろうか?等々・・・

否、それよりも根本的な問題はそれらの事物が何の目的のために存在し、又為さなければならないのであろうか?言い換えれば自然の目的は何であろうか?そして又、自然の一部分を構成する我ら人類の目的は?

荒木俊馬氏著「天文学概観」結語の一節に「一体この世の奥の奥底で総ているのは何者かそれが知りたい、そこで働いている一切の力、一切の種子は何か、それが見たい」とあります

以上これらの諸問題は現在の我々ばかりでなく我々の祖先から現在に至る長い時代に亘って人類が考え尽くし、そしていかにそれを知ろうと希った事でありましょう、これも知りたいと希いながら知ることの出来なかったこれらの大問題も今こそ陰陽の大法則を発見する事によって悉く知ることが可能になったのです、陰陽の大法則こそは永い永い時代に亘って自然の奥底に堅く堅く閉ざされた神秘の扉を開くカギであります。


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