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オオカミは生きろ、豚も生きろ〜ほぼほぼ「マッド・マックス」な名作映画「ベイブ」

名作映画「ベイブ」はほぼ「マッド・マックス」である。本当である。似ても似つかなさそうなこの二つのシリーズ、多くの共通点が存在しているのをご存知だろうか。見れば見るほど驚くほど同じテーマを共有していて、もはや「マッド・マックス」シリーズのスピンオフ「マッド・ベイブス 怒りの豚ロード」なのではないか?という気さえしてくるのである。今回は最新作「マッド・マックス:フュリオサ」を主に踏まえながら、「ベイブ」シリーズの深さを語っていきたい。


MADなのは、豚か世界か

これは、疑いを知らない純粋な心の持ち主が、どのようにして周囲の偏見を変えていったかというお話。豚という動物は長いこと、仲間以外からは尊敬されない存在でした。惨めな暮らしのまま、一生を終えるよう運命づけられていたのです。

こんなナレーションが響くなか、養豚場で子豚に乳をやる母豚たちが映し出される。「ベイブ」の冒頭がここまでキレキレだということを覚えていただろうか?動物いきいき系ファミリー映画とは思えないアクセル全開っぷりである。
溢れる光の中、親豚たちは養豚場から人間たちの食卓へと出荷されていく。当の豚たちは「太りさえすれば豚の天国へ行ける」と信じて疑わず、残る豚も天国のような場所に行ったから戻ってこないと納得しその日を待ち侘びている。出荷のために乗せられるトラックを神聖視さえしているようである。
こんな彼ら彼女らの様子、見覚えがないだろうか。自分たちを搾取し命さえ奪う存在を奉る者たち。そう、この豚たちはまさしくイモータン・ジョーを信奉するウォーボーイズと全く同じなのである。
過酷な運命から目を逸らすために安らかな死後の世界という幻想をぶら下げられ出荷場に向かう豚たちとイモータン・ジョーのため戦場に身を捧げるウォー・ボーイズたち。家畜の姿を通して搾取の構造のいやらしさや逃げ場のなさをここまで精緻に描いていたのである。そう、「ベイブ」はファミリー映画ではあるが生まれながらにその属性だからといって過酷な運命を背負わされたものの生存の闘争物語なのである。

母豚と引き離されたベイブは牧場主のホゲットに買われ(ここもなんかフュリオサっぽい。ディメンタスからイモータン・ジョーに引き渡されるフュリオサはまさしく「買われた」という感じだ。)広大な牧場へとやってきた。穏やかな田園風景と動物たちがのんびり暮らす、一見すれば素敵な場所だが、ここにも苛烈なヒエラルキーが存在していた。

「家畜」か「それ以外」か。

それが動物たちの強固な序列となっている。「豚」という属性がどのように扱われるのか。その事実にベイブは初めて直面する。畑を耕す。卵を産む。羊毛を刈り取れる。朝の訪れを告げる。動物にはそれぞれ人間にとっての「メリット」があり、これを生まれながらの役割として動物たちは認識している。ならば豚の「メリット」とはなにか。肉になることである。フュリオサも「女」という子どもを産める体を持つ属性としてイモータンに強制的に「子産み女」の役割を科される。「肉になれ」「子どもを産め」と生まれながらに搾取の理不尽が降りかかるのだ。
家畜たちと対照的な扱いを受けているのが犬たちだ。この牧場には牧羊犬のつがいレックスとフライがいるのだが、レックスたちは動物たちの中でも一目置かれる存在である。二匹は人間の家の中に入ることが許されているが、それ以外の動物は許可されていない。彼らは羊を「追う」側であり羊たちにかなり高圧的に接している。子どもたちにも牛やにわとりのような家畜は頭が鈍いと言って憚らない。人間に対して利益のある存在になるか、それが出来なければ肉となるか。その構図が動物たちの振る舞いにも影響しているのである。

アヒルと豚のハードミッション


この構造に唯一抗ったのがあひるのフェルディナンドだ。フェルディナンドは迫るクリスマスに自分がメインディッシュとして供されてしまうのではないかと恐れている。そこで彼は雄鶏の代わりにホゲット夫妻に朝の訪れを教える役割をなそうと夜明けに起き出し鳴き続けるのだが、夫妻が目覚まし時計を導入してしまった。これではお役御免となり自らが聖夜に皿の上に乗るのは必至。そこでフェルディナンドは、お人好しのベイブに目覚まし時計を処分してもらうように懇願する。まだ幼く不器用なベイブにそんなことが出来るはずもなく、計画は失敗しレックスにこっぴどく叱られてしまうのだった。排除され抑圧された社会的グループは日々の生存すら不安定だ。フェルディナンドが屠殺されるのは今日かもしれないし明日かもしれない。ルールが彼らの生存を保証していないのなら、それを破ってでも明日の生存を確保しようともがくしかない。しかし、そのルール破りを裁くのはいつだって社会の上層にいる者たちである。このような構図は人間社会でもいくらでも見られるだろう。レックスはベイブにこう言い放つ。

「動物にはみなそれぞれの生き方がある。皆己の分を弁えることだ。」
「アヒルはアヒルらしくして欲張らんよう、雄鶏のまねなどしてはならん。自分の存在を受け入れ感謝すべきだ」

この構造は揺るぐことがない。のどかな牧場は、まるでシタデルのような強固な構造に支配されているのである。一見優しく素朴なホゲット夫妻の背後にイモータンの顔が浮かんでくるようだ。

「有用であれ」という呪縛ーレックスとマックスの(デス)ロード


社会の中で安定した居場所を獲得するためには、所属しているグループの利になる行動をして「有用な存在」として承認されるのが一番手取り早い。フュリオサがモーターサイクルの整備をはじめたように、牧場のなかで、ベイブは意外な方法で生き残るための鍵を見つけた。ベイブはどんな動物とでも同じ目線で「対話」することが出来るのだ。そのため、誘導する必要のある羊たちにもお願いをしてきれいに整列させることができる。牧羊犬ならぬ牧羊豚の誕生である。
これに心中穏やかではないのがレックスだ。豚が犬と同じような扱いを受けるなどとんでもない。自分より劣っている属性の者が肩を並べるようになったことによる嫉妬心からレックスからベイブへの当たりはますます強くなっていく。

見下されていた存在が頭角を表し始めると攻撃してくる者はどんな社会にも存在するが、レックスの苛立ちにはもう一つ理由があった。それは、彼自身が牧羊犬としての能力が失われているという焦りである。実はレックスは聴力をかなり失っている。大嵐の晩、取り残された羊たちを誘導しようとした際濁流に飲まれてしまったのである。体力は回復したが、耳が遠くなってしまいホゲットの指示はほとんど聞こえなくなってしまったのである。
牧羊犬コンテストの出場経験もあるレックスにとって、これは大きな傷だった。人間にとって役に立たない動物はどうなるか、それはわかりきっていた。自分が今まで見下していた存在とほとんど同格に「堕ちて」しまったレックスは長年連れ添ったフライにまで攻撃するようになってしまう。(この直後獣医が去勢を進めるというシーンが入るが、つくづくとんでもない映画である。ベイブは「男性性」にまつわる寓話でもあるのだ。)

そんなレックスの苦境を打開するきっかけとなるのもベイブだった。レックスたちは少しずつベイブの対話を真似て羊たちと接するようになる。ヒエラルキーの上か下かではなく、対等な存在として。羊たちが聴きやすいようにゆっくり話すなどの配慮をするようになったのだ。

ベイブは牧羊犬コンテストに出場することになった。ところが、会場で思わぬ事態が発生する。羊たちがベイブの話を聞いてくれないのだ。言葉が通じないのか気難しい気質なのかは不明だが、これではベイブはどうすることも出来ない。そこで会場に付き添いで来ていたレックスは急いで牧場へ戻り、羊たちに助力を求めた。事情を話し教えを乞うレックス。

「大きな声で話してくれ。俺はその…耳が悪いんだ。」

この時、レックスは己の弱さを羊たちに開示した。自分が持っている「弱さ」を他者に伝えるのはとても勇気がいる行為だ。自分が「牧羊犬」という有用な動物であるというプライドがあったレックスならなおさらである。さらには彼にとって羊という属性は、彼女たちに過失がないとしても自分の能力が奪われ人生を壊された原因となった者たちである。そんな彼女たちに自分の弱さを素直に開示することで、「弱くあること」で彼らは結託出来た、とも言えるのではないだろうか。抑圧する者とされる者。能力がある者とない者。人生を奪った者と奪われた者。レックスが一歩踏み出したことでその断絶は崩れ一瞬だけでも彼らは「繋がる」ことが出来たのだ。

己の中に弱さを持ちながらも、様々な属性のものと関わり合いながら助力者として共に闘い自分を取り戻す。
こんな男の生き様を我々はすでに知っている。そう、「マッド・マックス 怒りのデスロード」のマックス・ロカタンスキーである。マックスもトラウマという「弱さ」を抱えたキャラクターである。(言動やフラッシュバックの様子からPTSDを想起させるという意見も公開当初からあった。)マックスと共に闘った者たちも子産み女、年老いた鉄馬の女、余命短いウォーボーイズなど、あの荒廃した世界では命取りになるような「弱い」属性の者たちだった。彼らが「We are not things(私たちはモノじゃない)」と世界に抗ったからこそマックスも自分の尊厳を取り戻せたのではなかったか。「強い」「弱い」「能力がある」「ない」そんな尺度で他者を見るのではなく、あなたに尊厳があるのなら私だってそうだと自覚すること。レックスもマッドな方のマックスも同じ道を往き、帰ってきたのだ。

このように「ベイブ」も尊厳のための闘いを描いていた。次週は「マッド•マックス:フュリオサ」について「ベイブ」も踏まえながら解説する。

#ベイブ #マッド・マックス怒りのデス・ロード #マッド・マックス :フュリオサ #ジョージ・ミラー

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