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離婚道#42 第5章「争点を読む」

第5章 離婚裁判へ

争点を読む

 令和2(2020)年が明けたころ、「上野さくら法律事務所」に大きな変化があった。
 年末に久郷桜子弁護士の夫が出ていき、久郷弁護士のひとり事務所となったのも束の間、別の男性弁護士が「イソ弁」として加わったのである。
 醍醐だいご松也弁護士、35歳。3年目の若手弁護士だ。
 イソ弁とは、「居候弁護士」の略で、事務所に雇われて働く弁護士のこと。対して久郷弁護士は事務所の「ボス弁」になる。
 醍醐弁護士は、久郷弁護士と小島正太郎弁護士が所属する委員会の後輩弁護士という。いかにも弁護士らしい口調でドライな発言をする醍醐弁護士だが、どんな話題でもテンポが速く、久郷弁護士と小気味よく会話する様子からウマが合うことがわかる。醍醐弁護士が久郷弁護士を慕って、別の事務所から移ってきたという。
 雪之丞がその年の5月に私を訴えてきた後、「まどかさん、提案があるんだけどさ」と久郷弁護士。
「今度ウチの事務所にきた醍醐を、まどかさんの離婚事件のチームに入れようと思うだけど、いいですか? 着手金はすでにいただいているし、離婚が決着した時の成功報酬は変わらないから、まどかさんに負担はありません。報酬を3人で分けることになって、弁護士ひとりひとりの受け取り額は減るんですけど、この事件、その方がいいと思うんですよ」
「先生の仕事がしやすいのであれば、いいですよ」
「まぁ、それもあるんだけど、それ以上に理由があって、醍醐は作家志望の弁護士なんです。小説家で食えない場合のために、弁護士資格を取ったっていう変わったヤツなんだけど、本当は作家志望。だから、ちょこちょこ書いてるんです」
「へぇ~。どんなジャンルですか?」
「ラノベ。ライトノベルです。出版社のコンクールに応募して、最終選考まで残ったとか言ってます。小説を書きながら弁護士の仕事をやりたいというのが希望で、前の事務所で理解が得られなかったから、ウチに来たんです」
 久郷弁護士によれば、醍醐弁護士が私の事件を受けるようになれば、作家志望の醍醐弁護士と私、双方にいい影響があるのではないかというのだ。加えて、まだ複雑な離婚裁判を経験したことがない醍醐弁護士の勉強にもなると説明した。
 私としては、弁護団が強固になることはありがたい話である。断る理由はない。
 ということで、久郷桜子弁護士を筆頭に、数字に強い三代目の小島正太郎弁護士、ライトノベル作家志望の醍醐松也弁護士というバラエティー豊かな3人が「被告、吉良まどか」の弁護団となったのである。

 吉良雪之丞と吉良まどかの離婚裁判が、いよいよ始まる。
 人生をかけた決戦――だが折しもコロナウィルスの蔓延で、あらゆる社会活動に影響がでていた。
 令和2(2020)年4月7日から約1カ月半続いた1回目の「緊急事態宣言」。この時期、ほとんどの民事裁判は止まった。
 それから数カ月経って徐々に裁判は再開されたものの、緊急事態宣言以降、裁判の延期が続いたしわ寄せで、第1回の口頭弁論は、訴状提出から4カ月先の9月に設定された。
 弁護団と私は、「上野さくら法律事務所」で度々打ち合わせをし、口頭弁論の直前に提出する「答弁書」と「反訴状」を準備する作業に入っていた。
 反訴とは、原告が被告を訴えている裁判と同じ手続きの中で、被告が原告を訴え返すことである。雪之丞は離婚と財産分与を求めて私を訴えてきたが、財産分与を求めているのは専業主婦だった私の方だから、私が雪之丞を訴え返す必要があるのだ。
 そのため、調停不成立後に雪之丞を提訴するつもりで事前に準備していた「訴状」を「反訴状」というタイトルに切り替えて、作成し直すことになった。
「まどかさん、はやる気持ちはわかるけど、焦る必要はないから。こちらは婚費を毎月もらっていて生活の心配はないんだから、ゆっくりやりましょう」
 久郷弁護士はどっしり構えているが、私としては、裁判の見通しを考えてばかりの日が続いた。
 私の離婚裁判では、雪之丞の暴力とモラハラも訴えていくのだが、争点はやはり財産分与である。
 裁判では、双方の財産を開示し、淡々と主張していくことになる。
 その際、活用されるのが「婚姻関係財産一覧表」というもの。裁判所の書式に「不動産」「預貯金」などと項目別に双方が主張する資産を書き込んでいくのである。私の場合、ほかにも共有財産はあるから、ここに「現金」「きん地金じがね」「美術品」という項目も加わることになる。
 弁護団の打ち合わせで、財産の項目別にこちらの主張を整理した。そして私は、自分なりに裁判を見通してみた。

〇不動産
 婚姻中の平成24(2012)年に5000万円で一括購入した京都のマンションが相当する。最初は共有名義だったことから、こちらとしては、京都マンションは共有財産であり、時価の半額の分与を主張していく。
 不動産会社に物件査定をしてもらったところ、築浅で立地がいいことから値が下がっておらず、売却額は5800~6000万円と査定された。
 一方、雪之丞は、弁護士会館での協議で「京都のマンションはいま売りに出している。分与するとしても売却額の半額だ」と言いながら、調停では一転、「4000万円で売れたが、すでに平成27(2015)年2月の名義変更時にまどかに2000万円を手渡したから、財産分与はない」と主張を変えた。
 もちろん、私は2000万円の現金なんて受け取っていない。かつて尊敬していた夫、雪之丞の信じがたい嘘に激しく落胆したが、そんな感情はもう捨てなければならない。
 裁判では、雪之丞側が6000万円の価値のある物件を4000万円で売却した証拠や、私に現金2000万円を手渡した証拠を出さなければならないだろう。雪之丞は嘘を通すために、どんな証拠を出してくるのだろうか。

〇預貯金
 婚姻時の雪之丞の銀行残高は約1800万円、私の残高は約300万円だった。
 別居時、雪之丞の銀行残高は約1000万円、私の残高は約500万円である。
 調停で雪之丞は、婚姻中に貯金額が減少しているから、分与すべき預貯金はないと主張した。加えて、私が雪之丞の金を盗んだとか、その金で不貞を繰り返したなどと調停委員に訴え、財産分与する預貯金はないことを強調していた。
 たしかに夫婦の銀行残高だけ見れば、預貯金合計額は、婚姻時の2100万円から別居時1500万円と減っている。
 ところが、私の銀行預金が私の全財産であるのに対し、雪之丞は銀行を信用しないため、預金を頻繁におろし、現金を金庫に保管している。雪之丞の銀行預金額は、雪之丞の財産のごく一部に過ぎず、預金残高はまったく意味がないのだ。裁判では、このところを説明しながら、現金の隠し財産の存在を主張していくことになる。

〇金地金
 雪之丞は調停で、「個人できんは一切保有していない」と主張していた。
 しかし雪之丞は、結婚前から大量の金地金(純金バー)を保有しているし、婚姻中も、私たちは3回にわけて計4㎏の金地金を購入している。雪之丞は裁判でも「金の所有はない」と言えば隠し通せると思っているにちがいない。
 調停では、雪之丞が強烈キャラを全開し、離婚問題をまったく解決しょうとしなかったため、早々に調停委員はお手上げ状態となった。ゆえに財産分与についての細かい主張をする機会がなかった。
 だが裁判では、地金購入時の領収書を添付して地金3㎏の共有財産の存在を明らかにするつもりだ。
 はたして雪之丞はどう主張するだろうか。
 また、金価格は日々変動する。購入した時は1グラム4000円台で、購入価格は約1700万円だったが、別居時は1グラム5000円台まで上がって時価は約2000万円。その後も金価格は上昇しており、その意味でも地金の財産は流動的だ。財産分与として認められたとしても、決着時の金相場に影響を受ける財産である。

〇現金(隠し財産)
 最も難しい問題は、雪之丞が金庫内に保管している現金である。
 調停で、調停委員が「裁判をしても、金庫に隠し持っている現金を明らかにするのは難しいから財産分与できないだろう」と見解を述べた。その通り、裁判で、裁判官に雪之丞の隠し現金を財産分与の対象として判断してもらうことは至難の業だ。
 婚姻中に雪之丞が蓄えた現金はいくらなのか。私は何日もかけて手計算してみた。
 年収2000万円の雪之丞の給与所得が17年間で3億4000万円。自宅から持ち出した多数の領収書をもとに、婚姻中に購入した品代、国民健康保険料、入院治療費、家賃の個人負担分などを細かく差し引くと、手元に残る現金はざっと1億円になる。
 その額をもとに弁護士と協議したが、弁護団としては、私の独自計算の額を雪之丞の隠し現金の額だと主張するのは賢明ではないという。雪之丞が使った現金をこちらから丁寧に説明する必要はないからだ。
 そこでどう主張するか。
「雪之丞は銀行残高が数千万円になると、1000万円単位で現金を引き出し、金庫に保管する」と述べ、金庫の写真や雪之丞の通帳コピーを証拠提出して17年間で残高から引き出した約3億円の総額を提示する。
 さらに、雪之丞は食費や家具代、雑貨代など身の回りの出費はぜんぶ雪花堂で領収書精算していることも証拠提出しながら主張。雪之丞個人で使ったものがあれば、使途を証明するよう相手方に迫る――という方針だ。
 いずれにしても、離婚事件で当事者が金庫に財産を隠しているなんて、家裁ではほぼ判例のないケースのようだから、少しずつ証拠提出し、裁判官の反応を見ながら主張を整理することになるという。

〇美術品
 婚姻中に購入した能面「小面こおもて」「般若はんにゃ」「獅子口ししぐち」の3つが共有財産にあたる。
 いずれも無形文化財選定保存技術保持者の能面師、熊崎光雲作の能面で、購入額は計900万円になる。
 調停では、これらの美術品についても触れていない。美術品の存在に言及する以前の段階で、協議が決裂しているからだ。
 雪之丞は、これらの所有、購入額についてどう主張し、共有財産として認めるのだろうか。

 久郷弁護士によれば、一般的に財産分与が争点の離婚裁判というのは、双方、淡々と財産分与に関する細かい主張を重ねていく。半年から1年くらいかけて、ある程度主張が出そろうと、裁判官が和解を提案するという。
 婚費や時間、労力の無駄を考え、当事者が和解に応じるケースも多いが、この裁判はそうはいかないだろうと久郷弁護士はいう。雪之丞があの性格だし、雪之丞にとって月25万円の婚費は痛くも痒くもないうえ、財産分与は一銭も払いたくないだろうから。
 和解できない場合、裁判は続行する。双方追加の主張をした後、陳述書を提出し、証人尋問を経て判決となる。
 判決が出ても、それで終わりというわけではない。私に一銭も払いたくない雪之丞は、どんな判決にも納得せず、控訴するだろう。だからこの裁判は長くなりそうだ――というのが、弁護士の見解だ。
 法的な主張は弁護士に任せるが、私としては、弁護士の見込みがはずれ、一刻も早く裁判が終わることを望んだ。離婚問題が早期解決できるならば、雪之丞の隠し財産が分与されなくても構わない。自分の人生を早く再開したい――その一心だった。

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