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離婚道#34 第4章「離婚歓迎」

第4章 離婚へ

離婚歓迎

 西日暮里での生活に慣れない数日を過ごしていると、「下町へようこそ」というタイトルで久郷弁護士からメールが届いた。
「歓迎会をします。7月19日はどうですか? まどかさんの誕生日の前祝いにもなるし。オープン時から通っている地元のイタリアンにしようと思っています。いかがでしょうか?」
 ありがたい。
 私はこの時期、きめ細やかに気を配ってくれる離婚弁護士の存在に、どれほど救われたことだろう。
 そこはトスカーナ郷土料理の店。5分前に着くと、すでに久郷弁護士はカウンターに着席していて、満面の笑顔で迎えてくれた。カウンター4席、4人用テーブル席2つ。イタリアの片田舎風の温かみのあるお店だった。
「まどかさん、何飲みます? お祝いだから泡にする?」
「はい」
「テッペイちゃん、何か泡、グラスで」
 カウンターの向こうから「はい」と返事が聞こえた。
 しばらくして、「テッペイちゃん」と呼ばれたノッポのシェフがカウンターから顔を出し、
「久郷先生、久しぶりですね」
 とスパークリングワインのプロセッコをグラスに注いだ。
「だってさ、いつの間にか予約が取れない人気店になっちゃってるから」
「そんなことないですよ。久郷先生と石川先生の予約なら、いつだって、なんとか対応しますよ」
 どうやら久郷弁護士はかつて、夫婦でこの店に来ていたようだ。
「あ、それなんだけど、テッペイちゃん。突然だけど、私、石川と離婚するの」
「え⁈ そうなんですか? しばらく見かけないと思っていたら、久郷先生、そんなことになってたんですか。じゃあ、上野の事務所は?」
「それは当然、私が引き取ります。で、こちらは吉良まどかさん。いまの私と同じ境遇で、私が代理人。別居して西日暮里に引っ越してきたから、よろしくね」
「ってことは、おふたりとも離婚問題の真っ只中にいらっしゃるんですね」
 私は、目をパチクリさせているシェフに向かって
「はい。今月、西日暮里に引っ越してきました。よろしくお願いします」
 離婚ネタではじめましてのごあいさつ。そんなざっくばらんな会話で離婚弁護士との飲み会は始まった。
 久郷弁護士は、前菜で出てきた「マッシュルームとパルミジャーノチーズのサラダ」を「チーズ最高!」とご機嫌に頬張りながら、スプマンテをビールのようにグビグビいき、いつの間にか、おかわりしている。
「まどかさん、今日はさ、40代の女医さんの裁判で、ほぼ勝ったようなものですから、すごく気分がいいんですよ。弁護士には守秘義務があるから詳しいことは言えないんですけどね。その女医がなかなかの人物でさ・・・・・」
 どこかのある女医の裁判模様を語り始めた。
 何らかの民事裁判のようで、当事者の女医はひと月ほど前に開かれた証人尋問で出廷した。多忙で準備不十分だった女医は尋問当日、重要な点を左の手のひらにペンで書いていたという。
 証人尋問というのは、当事者や証人がきちんと記憶を持っているかを確認する場でもあるため、メモを見て受け答えることはできない。
 女医の手のひらのメモを見た久郷弁護士は注意し、すぐに手を洗うように指示。ところが、メモは油性ペンで書かれていた。「メモを見るのはダメなんですから、左手を見ないでくださいよ。手のひらのメモは絶対にバレないように」と久郷弁護士はきつく釘を刺したという。
「ところがその日さぁ、裁判官に質問されて、女医がチラッと手のひらを見たんですよ。相手方の弁護士が気づいて、『被告が何かメモを見てます!』ってめっちゃ騒ぎ出して、メモ用紙を隠し持っていると裁判官に訴えるわけ。こっちはマズいって思ってハラハラしてると、女医は左手の甲と右手の手のひらをパっと裁判官に向けて『何も持っていません』って落ち着いてキッパリ言い切るわけ。すごいよね。相手弁護士は『あれ?』とか言ってマヌケな顔してましたけど、女医は堂々としたもんよ」
 結局、尋問は事なきを得たそうだ。
「まどかさん、その後ですよ。その女医、尋問が終わったら、メモのしくじりなんかすっかり忘れて、開口一番、『久郷先生、裁判官が超イケメンでしたね。あの黒い服がたまらないです』だって。裁判官の黒い服は『法服』っていって、書記官も着てるわけですよ。女医は『裁判官の黒い服は、書記官のとは生地が違う。イケメンだし、黒い服も上質で素敵でした』って。女医のまわりは白衣ばっかりだから黒い服に興奮するのか知らんけど、『尋問中に、なに見てんだって』って言ってやりましたよ。たくましくてビックリするわ。今日はその判決が出て、ほぼこちらの主張が認められたんですよ。まどかさんも、まあ、その女医くらいの太っ腹でいきましょうよ」
 別居直後で先々を不安視する私をなごませようと、久郷弁護士が選んだ話題だろう。
 久郷弁護士が電話着信で席を立ったので、私は思わずスマホで「法服」とGoogle検索した。
「法服の黒は、何色にも染まらないことから裁判官の公平さを象徴している」――なるほどと思いながら解説文を読んでいると、「裁判官の法服はシルク、書記官は綿の素材」と説明されている。
 戻ってきた久郷弁護士に伝えた。
「すぐに調べるなんて、まどかさんもやっぱり記者だよ。ってか、法服の素材、女医の言った通りじゃん。女医の観察眼、恐るべしだね。しかも裁判中の尋問で、裁判官をオスとして見るんだから、精力的だよ。まどかさんも精力的にいこうよ。私ら、とんでもない男から解放されて、これからなんだからさ」
「ホントですね。先生なら選びたい放題ですよ。若い時も、すごくモテたでしょ?」
「え、それ訊く? モテ期は人生に3回あるとかって言うじゃん。私なんて、はっきり言って、それ以上ありましたよ。でも結局、とんでもない男と結婚して13年間苦労するわけですから、人生プラスマイナスゼロになるように、よくできてますよ」
 なんだか久々に楽しい会話での美味しい食事だ。
 雪之丞と外食しても、あまり話さない。会話があるとすれば、雪之丞の人生観や精神論をきき、私が叱責を受けるパターンがほとんど。笑いながら飲むなんて、何年ぶりか・・・・・いや、新聞記者だったころ以来・・・・・18年ぶりかもしれない。
 
 生シラスのブルスケッタが出てきた。香り高いオリーブオイルがかかると、生シラスも一気にイタリアンになる。イタリアの地場品種トレッビアーノの白ワインをボトルで頼み、久郷弁護士はペースが落ちることなくグイッと飲んでいる。
 久郷弁護士と出会ってひと月半。その間、電話やメールでは頻繁にやりとりし、初回の相談を含めて、打ち合わせで3回ほど会った。会うたび、話すたびに、私を励ましてくれる〝豪快姉さん〟への信頼は増している。食事をすれば〝陽気な食いしん坊〟で、アルコールが入ると一層、豪放ごうほう磊落らいらくになるのである。
「久郷先生って、39歳で弁護士になる前は何やってたんですか?」
 ずっと訊きたかった質問だった。
「私はね、子供のころに母が離婚して、母子家庭だったんですよ。母は神保町で新聞記者とか出版関係、商社マンなんかが来るようなスナックを経営していて、仕事をしながら私を育て、千駄木に家を建てました。経済的には何不自由なく育ったんですが、父親に捨てられた感覚があって、どこか冷めた子でしたね。親の離婚は子供の心に大きな影響を与えることを実感していたんで、離婚問題に取り組む弁護士になりたいと思って法学部に進んだんだけど、大学時代はバブル経済真っ只中で、司法試験を目指す気がどうも起きなくてさ。じゃあ何になるかと思った時、本が好きだったし、スナックの客の影響もあって、大手の総合出版社に就職したんですよ。でも、希望する編集者になれなくて、配属されたのは広告宣伝部。そこで数年間働いたんだけど、『これは私がしたい仕事じゃない』と思って退職しました」
 久郷弁護士は数年間、フリーターとしてアルバイト生活した。そんな中、30歳を目前にして一念発起。弁護士を目指すことを決心したという。
 母親のスナックで働きながら受験勉強する日々。司法試験に挑戦し続け、10年かかってやっと合格し、スナックで盛大に祝ってもらったという。
「合格した時は40歳目前で、女子の中では最年長でした。同期弁護士は大学卒業したばかりの子だと、私が産めるくらい年齢差があるんだよね。でもさ、私はスタートが遅く、そのうえ司法試験合格に10年かかって、39歳の時でよかった。同期の弁護士を見てると、頭のいい人なんか、いっぱいいますよ。だけど、人としてどうかと思う人もいるし、挫折した経験がないから、人の気持ちがわからない人も多い。あと、メンタルが弱くて、病んでいく人も結構います。私が弁護士として、勘違いすることなく、しぶとくやっていけるのは、弁護士になるまでに紆余うよ曲折きょくせつあったからだと思いますよ」
 目の前で、ボンゴレビアンコのスパゲッティーを美味しそうに食べ、アサリの貝にこびりついた貝柱まで懸命にほじっている離婚弁護士は、とんでもない苦労人だった。
 やっと弁護士になった直後、同期の6歳年下弁護士と結婚した。家庭生活をしながら、知名度の高い法律事務所で弁護士としての経験を積んだ。その後、夫婦で事務所を開業。引き受ける事件のうち、今では約7割が離婚・男女問題だという。だが、結婚生活13年で、自ら離婚問題をかかえ、奮闘している。
 いつの間にか白のボトルが空いている。サーブされた「馬肉のタルタル」にあわせて、久郷弁護士は「まどかさん、私、赤飲むよ」と言って、テッペイちゃんに赤ワインをグラスで注文している。
 離婚問題真っ只中の私たちの会話は、結婚に失敗した話からどんどん展開し、くだらない話で腹を抱えて笑って、飲んだ。笑い転げた内容は覚えていないが、翌日の腹筋痛が大笑いした証拠として残った。
「まどかさん、記念に写真撮るよ」
 久郷弁護士がスマホを手に、ふたりして画面に入って撮影した。確認すると、
「ダメだよ。まどかさん、まだまだ顔が硬いよ。事務所に来た時は、石みたいに表情がカッチカチだったけど、もうだいぶ笑えるようになってきたじゃん」
「先生、私、写真となると、どうも吉良が頭に浮かんじゃうんですよね。吉良は『カメラを向けられて笑うのは心が弱い人間だ』という考えで、吉良はもちろん、私も弟子も写真撮影で笑いませんから」
「へぇ~、吉良雪之丞っていつの時代の人ですか? まどかさん、この前時代が変わって、いまは令和だよ。笑顔の練習。はい、もう1回撮るよ」
 オーダーメイドで世話をやく離婚弁護士は、依頼人の笑顔のトレーニングもしてくれた。 

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