見出し画像

出産で死にかけた話③

※読んでいて気持ちの良い内容ではないので苦手な方はご遠慮下さい。


2回目の退院したのが木曜日。
相変わらず悪露はまだ終わらなくて本当に大丈夫かなーと不安な日々を過ごしていました。

その3日後の日曜日、事態は変わります。

午前中に夫が実家に来てくれていてまた午後には県外に戻るからお昼前にはバイバイして私は両親と昼食を食べていました。
すると血が出る感触が、、、

とりあえずトイレに行き産褥シートを変えて嫌な予感を感じつつもリビングへ戻りました。


しかし数分も経たずに再度ドサっと先程より漏れる感覚、、、!
「ヤバいかも」とだけ両親に言ってトイレに行きました。さっきつけたばかりの産褥シートが真っ赤に。重みで沈んでしまうほど一度にたくさん出血していたのです。もう便器も血まみれで、私も何からしたらいいのからわからず。

母を大声で呼べば良かったけれど気力がなくとりあえずシートを変えて、軽く便器を拭いて事態を説明しに行こうと立ち上がると目の前は真っ暗に。


重度の貧血状態でトイレの前で倒れました。ここでもうダメだ、、、となんとなく死を感じました。


トイレから戻ってこないため母が様子を見にきてくると倒れている私を見つけ、父が救急車を呼びました。


幸いにも意識はあったので覚えていますがストレッチャーに乗せられてから救急車に乗っている間私はずっと泣いていました。
田舎なので近所の人も私が救急車に乗るところを見ていたそうです。田舎ってこういうところが嫌ですよね。

なんで自分だけこんな目に遭わないといけないのか。他のママさん達はもう順調に母親業に励んでいるのに私は、私は、、、。
ふだんそっけない父もこの時ばかりは手を握って大丈夫だからねと励まし続けてくれていました。


まず出産した産婦人科に搬送され相変わらずガーゼの止血処置。
こんなことになって何度もお世話になって本当に申し訳ない気持ちと、そこの先生やスタッフももうまた余計な患者が来てうんざりしている空気も感じて辛い気持ちになりました。


もう何度も出血しているし、産婦人科では止血処置しかできないから総合病院で血管を止める処置をしてもらった方がいいとのことで総合病院にそこから再度救急搬送されました。


もう想像を超える展開でどうにでもなれ状態でした。


着いてからあれこれ検査と輸血をされしばらく入院が必要だと。コロナ禍で患者以外は入れないから息子とも離れ離れに。まだ生後3週間くらいなのに母と引き離される状況、詰みすぎてます。

搬送された日とりあえず安静にしていましたが夜中2時にもまた出血。ナースコールで私より10歳くらい若そうなナースさんに血の掃除などしてもらうのは情けなさで心が痛みました。
夜中だから非常勤の医師しかいなくてその夜もとりあえず止血処置のみ。


翌朝、子宮の血管を止める『子宮動脈塞栓術(しきゅうどうみゃくそくせんじゅつ)』を医師から提案され一通り説明されました。
カテーテルの治療で放射線科の先生が行うもの。リスクとして意識障害もあるかも、など他にも怖いことがたくさん書いてありました。
その手術をしても出血が落ち着かなければ最悪子宮全摘することになるかもとも言われました。
それを見たら同意書にサインするのも嫌で医師に反抗的な態度をしてしまったのも事実です。
夫に電話するよう促され、夫からは命を守るためだからと諭されサインしました。

その日の午後に子宮動脈塞栓術は行われました。
太ももの付け根に局所麻酔をして小さい穴を開けカテーテルで子宮に流れる血液にアプローチするような内容だったと思います。
造影剤を流しながら行うもので造影剤が流れると身体が温かくなる感覚がありました。ここでも私はひたすら涙を流していました。産後に誰がこんな展開が待つと思うだろうかと。手術中に励ましの声をかけてくれる方もいたけれど心の中はお前に私の気持ちの何がわかるんだ!と殺気立っていましたね。男性に言われると尚更ですよね。

手術は無事に終わりました。


次で最後にします。読んで頂きありがとうございました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?