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出産で死にかけた話④終

※読んでいて気持ちの良い内容ではないので苦手な方はご遠慮下さい。


子宮動脈塞栓術を受けて10日間ほどしてから退院しました。(その間にもメンタル病みすぎて多方面にご迷惑をおかけしましたが)

久しぶりに会った息子は少し大きくなってるように感じました。私が入院中24時間息子の面倒を見てくれた両親には感謝しかありません。


その後は定期的に総合病院へ通院しなければいけなかったので本当は産後2ヶ月ほどで里帰りを終えるはずでしたが、半年ほど実家でお世話になりました。
またメンタルもなかなか回復しなかったため、里帰りから戻って日中息子と2人きりになるのも不安しかありませんでした。虐待してしまうのではないかとか本気で心配していました。

これまでの経緯や私の心身の不調を案じて夫は他県から地元への転職を決めてくれ、冬に地元へ引っ越しが完了しました。大きな決断をしてくれた夫には感謝しかありません。
ようやく親子3人での暮らしがスタートできたのが12月。

息子は既に7ヶ月で家族として暮らすにはだいぶ遅いスタートでしたが、夫の大きな決断に私も泣き言言わずに頑張らねばと自分を鼓舞して育児に励みました。




あれから2年以上経ちますが私は現在心も身体も健康です。息子とも会話ができるようになり、楽しい毎日を過ごしています。


育児は綺麗事ばかりではないですが、それでも我が子からの純粋無垢な愛を貰っているなと日々感じますし3歳までに一生分の恩返しをする、という言葉にも深く納得できます。


産後のでの予想外の事態は経験できて良かったかと言われればもちろんNOですが、この経験から得た教訓はいくつかあります。

・経験したその人にしか分からない気持ちがある
➡︎自分が経験してないことを軽々しく相手にアドバイスや共感することは結構相手を傷つけているかも、という気付きです。私も悪気はなくても無意識のうちにやってきたかもしれないと以後気をつけるようになりました。

・もう無理だと思っても案外なんとかなる
➡︎死を感じ現実に絶望していたけれど、今元気にしている私が証明ですし自分を強くした経験だと思います。

・周りの人の支えがあってこその自分がいる
➡︎医療従事者の方々、献血をして下さったどこの誰かもわからない方々、息子のお世話をしてくれた両親、環境を変えてくれた夫、絶え間ない愛をくれる息子、色々援助してくれた義両親、心配してくれた兄弟や友人、、、今の私がいるのは沢山の方々のおかげで、改めて人は1人では生きられないと思いました。本当に感謝していますし、これは一生忘れてはいけないと書いていてより強く思いました。


今後に関してですが第二子をどうするかは未だ定まりません。もう産んでたまるものかと思った時期も長くありましたし、子宮動脈塞栓術を受けたので授かれるかもわかりません。授かれても流産するリスクもあります。出産まで辿り着けてもまた同じことになるかもしれません。それでも第二子をどうしようかと選択を考えるくらいには心にゆとりはできました。
本音のところは妊娠出産は怖いですよ。それでもそうやって考えるんだから子孫繁栄の本能からくる脳の刷り込みなんですかね。笑


これからどんな家族として人生を歩んで行くのか私も楽しみです。

長々と読んで頂きありがとうございました。

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