何故、彼はピアノ協奏曲を書かなかったのか?

そればかりではない。
ヴァイオリン協奏曲も、チェロ協奏曲も、フルート協奏曲も、オーボエ協奏曲も、クラリネット協奏曲さえも書かなかったのか?

依頼されさえすれば書いたさ。

そう、弁解するやも。

悉く残念だ。

あまりに哀しい。

但し、コンチェルトに到らぬ迄も、触りが効いた楽曲は残った。

師匠のサンサーンスが導いた、晩年のリストとの出会いがきっかけとなる。

リストに、作曲したスコアを視てもらった彼は、リスト本人の試奏の機会を得た。

リストは、突然、演奏を打ち切る。
「指が足りない」
晩年のリストであっても、技巧に追い付けないレヴェルではない。
では何故、彼はプレイをポーズしたのか?
テクニカルの問題ではない。
奇妙な転調の所為だったらしい。
次から次に襲いかかる、奇天烈な転調だ。
ついて行けない。
ある意味、革新であり、未体験ゾーンの音楽との邂逅だったに違いない。
相容れない音楽が指を止めてしまったのかも知れない。

ただ、リストの助言が後の名曲に発展するとは?

「管弦楽の伴奏を伴って編曲を試みては如何?」

はぁ。と言ったかどうかは分からない。

縁は異なもの。

駆け出しの作曲家は、ガブリエル・フォーレ。
曲は『バラード』
ピアノソロだった、この楽曲がリストとの出逢いから、『ピアノと管弦楽のためのバラード』に改変されることに。

なんとも可愛いらしく、叙情に満ち溢れ、ニャンコやワンコと戯れる至福の時を提供してくれる楽曲だ。

最愛の恋人といちゃつく場面を想い浮かべても、罰Bachiは当たるまい。

フォーレは、2024年、没後100年。
『レクイエム』だけが彼の代表曲では決してありませんよ。

哲学者が溺愛し、パリ・コンセルヴァトワールの学院長を務め、数多くの作曲家を育んだ孤高の作曲家、フォーレ。
そんな彼のコンチェルトを切望して止まなかった僕は、あの『ピアノと管弦楽のためのバラード』をもって、彼のピアノ協奏曲の魁と致したく、泣く泣く認証しようと想う。

有り難う、フォーレ。

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