叫べ!

先月公開しようと思っていた内容。
ネタが古いです。

先日THE SECONDを見た。
応援している人達がスターへの階段を登っていくのは楽しい。
それが長年応援していた人なら、思い入れも一入だ。
さて、そんなスターへの切符を手に入れた人達の中で、日々の活動をみていると「あ、ダメだ。売れねーや」と思う芸人さんが居た。
芸を修行の様に考えてる人は売れない。そんな人の日々は辛いだけだ。
報われる日なんて来ねーよ。修行と思ってるそれが、それこそがご褒美なんだから。分からないなりに、分かったような事を言ってみる。
芸を「ぷよぷよと同じ」と言っている芸人さんが居た。
その真意は分からない。それでもテレビの中で生き残れるのかは分からない。
けれど芸が遊びでしかないというのは、視聴者目線で言えば安心する。
いかに攻略するかを考える、永遠にゴールの無いパズルゲーだと、楽しそうに語っていただきたい。

こんなことを言うと偉そうにと言われるかもしれない。
人前に立つというの行為をしたのは、学校行事で「市民会館で演劇少々」というくらいである。
何を芸について語ってるんだ。偉そうだ。
けれどあの時の緊張とプレッシャーを、私は一生忘れないだろう。
怖かった。物凄く怖くて、仕方がなかった。
私は舞台の「あちら側」には行けなかった人だ。
芸を、楽しんでください。
替えがたい日常を楽しんでください。
それは私が見ることの出来なかった景色です。

だからこそ、あなた達は尊い。

修行といえば、人とのコミュニケーションは報われることの無い修行だな、と思う。
あの芸人さんに届いて欲しいから鍵開けようかな。それじゃ10代の頃の繰り返しだな、などと、自分のXについて考えている。
アタシずっとずっと皆に売れて欲しいだけなんだよ。
星に祈る。
まあ、コミュニケーションも修行と思っている時点で報われる瞬間はないのだが。
仕方がない。普通の人でもコミュニケーションは永遠の課題なのに、私は所謂精神病を患っている。
精神とは心だ。心とは脳だ。
私は脳を損傷している。
沢山のストレスや、遺伝や、運によって、普通の人の脳とは違うものになった。
知的障害とは違う。けれど、似たところはある。
社会参加が難しい所も、知的障害と同じ、いや、それ以上に難しいのでは、と思ってしまうこともある一端である。隣の芝は青い。
さて、社会参加の一環で、放課後児童ディという所にお手伝いに行ってみた。脳に障害のある子の、学童保育みたいなものだ。
これがなかなかにやりがいがある。
知能の高い子程、思いどおりに動いてくれない。
けれど当たり前だ。
彼らは叫んでいる。
自分の人間らしく生きる権利を叫んでいる。
それに、衝撃を受けた。
私も叫んでいた。
色んな方法で叫んでいた。
それは時に、自殺未遂だったり、人に迷惑をかける方法だったりもする。
他に方法はなかったのかと訊かれると、答えに詰まる。
けれどそれも精神科医が教えてくれた。
「私たちの脳は、私たちが思っているよりも選択の余地はない」
だからどんな選択をしても自分を責めなくても良いんだと言われている気がした。
医師は私の価値観を、否定も肯定もしてくれないけれど。

さて、放課後デイだ。
私は、彼らよりは知能指数が高い。
普通の人よりは低いだろう。
けれど、確かな数値として、言葉を発せれる程度には恵まれているのだ。
叫ばなくても良い世の中になれば良い。
けれど、生きづらいと叫べる程度には、食べ物にも、住む家にも、声を出すことにも困っていないのだ。
「ギャー!」と叫ぶには、知能指数が高すぎる。耐えれる程度の辛さでありすぎる。自分なりの叫び方を、見つけていきたい。
けれどお願いだ。
叫ぶ者を厄介者みたいにしないで欲しい。
肯定しろよ。
いや肯定してください。
あの子は肯定されるべき子どもなんです。
放課後デイで、厄介者扱いされているあの子を思う。

10代の頃、何も知らなかった私を肯定してくれた人がいるように、あの子も、あの子の存在を肯定してくれる大人が必要だと思う。
私には、無理だ。力が足りない。あの子に「報われた」と思わせる力が足りない。まだ足りない。
どうか彼に「報われた」と思える瞬間をあげる大人が現れます様に。

普通の人もみんな傷ついているって言うけど、こちとら日常生活に支障が出るくらい脳を損傷してるんだよ、と思う。
何で突発性難聴とかの人は「そこまでのストレスが」って言われるのに、脳を損傷してる精神障害者は「甘え」って言われるんだろう。
逆に、脳を損傷した「足りない」私に分かることが、どうして健常者には分からないんだろうか。
あなた達の方が知能指数も高いはずでしょ。
想像力も豊かなはずでしょ。
考えない事は甘えではないんですか?
何を「甘えて」いるんですか?

まあ、普通の人達は私に出来ない挑戦を日々している。
仕方がないのかもしれない。
「分かって欲しい」のは、知的障害者も、精神障害者も、健常者も、みんな同じなんだろうと思う。

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