喪家の狗(そうかのいぬ)
喪家の狗
秋の冷たい風が、街中に吹きつけていた。薄暗い夕方、神谷(かみや)は古びた商店街を一人で歩いていた。かつては活気に溢れていたこの通りも、今ではシャッターが降りたままの店が多く、寂れた雰囲気が漂っていた。
神谷はこの街で生まれ育ったが、今は帰るべき家もなければ、話すべき相手もいない。両親が亡くなり、兄弟は遠くの町へと去り、彼は一人ぼっちになっていた。仕事を失い、家も手放さざるを得なくなり、今では小さなアパートの一室に身を寄せていたが、その部屋さえも寒々しく、まるで棲みかを失った犬のような気分だった。
「何もかも、もうどうでもいい」と、神谷は心の中で呟いた。毎日がただ過ぎ去るだけで、何の意味も感じられなかった。
その時、彼は一軒の古びた居酒屋の前で立ち止まった。看板には薄汚れた文字で「いづみ」と書かれていた。思わず懐かしさがこみ上げてきた。昔、家族でこの店に来たことがあったのだ。温かい料理と賑やかな笑い声が、今でも心に残っていた。
「ここで、何か変わるかもしれない」と思い、神谷は扉を押して中に入った。
店内は意外にも暖かく、昔と変わらない雰囲気だった。カウンターの奥には、年配の店主が一人で忙しく働いていた。神谷はカウンターに座り、ビールを一杯注文した。
「久しぶりに見かける顔だな」と店主が声をかけた。「この辺りの人か?」
神谷は微笑んで答えた。「ええ、昔はこの辺りに住んでいました。でも、今は…」
言葉に詰まったが、店主は何も言わずに黙って頷いた。その沈黙の中に、何かを理解しているような温かさを感じた。
神谷はビールを一口飲み、少しずつ話し始めた。仕事を失い、家族を失い、自分がどれだけ孤独だったか、まるで喪家の狗のように彷徨っていたことを話した。
店主は黙って話を聞き続けた。やがて、静かに言った。「人生ってのは、辛いことも多いが、それでも前に進むしかない。どこかで必ず、また温かい場所に出会えるさ」
その言葉に、神谷は少しだけ救われた気がした。店を出る頃には、冷たい風が心に吹き込む隙間が少しだけ狭まったように感じられた。