多芸は無芸(たげいはむげい)

山田健一は、子供の頃からさまざまな才能を発揮してきた。ピアノを弾けばコンクールで入賞し、絵を描けば地域の美術展で称賛され、スポーツでは学校の代表として活躍した。友人や家族は、健一を「天才」と呼び、彼の未来に大きな期待を寄せていた。

しかし、健一は大人になるにつれて、その「才能」に疑問を抱くようになった。何をやってもそれなりに成功するが、どの分野においても突出した成果を上げることができない。周囲からは「器用貧乏」だと冗談めかして言われることもあった。

大学に進学した健一は、何を専攻するべきか悩んだ。音楽、芸術、スポーツ…どれも捨てがたいが、同時にどれも「これだ」と感じるものがなかった。彼は、どれか一つに集中するべきだという考えに囚われ、ますます迷いを深めていった。

そんなある日、健一は大学の教授から「多芸は無芸」という言葉を聞かされた。教授は「多くのことを学ぶのは素晴らしいことだが、どれも中途半端になってしまう可能性がある」と説明した。その言葉は、健一の胸に深く突き刺さった。

「僕は、何もかも中途半端なのか…」

健一は落ち込み、何も手につかなくなった。彼は自分の才能が無駄だったのかと、失望の念に駆られていた。しかし、ふとしたきっかけでその考えが変わることになる。

ある日、健一は街の小さな音楽イベントに参加することにした。そこには、様々なジャンルのミュージシャンたちが集まり、即興でセッションを行っていた。健一は、彼らの自由な演奏に心を打たれ、自分もピアノで参加することにした。

セッションが始まると、健一は自然と音楽に身を任せた。彼は他のミュージシャンたちとリズムを合わせ、即興でメロディを紡いでいった。その瞬間、彼は気づいた。自分の多様な経験が、今この場で活かされていることに。

音楽だけでなく、絵を描くことで培った色彩感覚や、スポーツで鍛えた反応速度が、すべて一つの表現として融合していたのだ。健一は初めて、自分の「多芸」が無駄ではなく、むしろ他者にはない強みだと実感した。

セッションが終わった後、他のミュージシャンたちからも賛辞を受け、健一は自信を取り戻した。「多芸は無芸」という言葉が意味するのは、単なる技術の多さではなく、それらをどう活かすかが重要だということだった。

それから健一は、一つの分野に囚われず、自分の持つ多様な才能を組み合わせて新たな表現を追求するようになった。彼は「多芸は無芸」を、自分の生き方に対する挑戦と捉え、その言葉を自分なりに超えていくことを決意したのだった。

ことわざから小説を執筆 #田記正規 #読み方

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