太公望(たいこうぼう)

静かな湖のほとりに、一人の老人が座っていた。彼の名前は斉藤太郎。村人たちからは親しみを込めて「太公望」と呼ばれていた。彼は毎日のように釣り竿を手に湖に出かけ、じっと水面を見つめるのが日課だった。

太郎の釣りの腕前は村でも評判だったが、実際には彼が釣る魚の数は決して多くはなかった。むしろ、彼が湖にいる時間のほとんどは、何も釣れないまま静かに過ぎていくことが多かった。それでも、太郎は決して焦ることなく、悠然と釣り糸を垂れ続けていた。

「どうして毎日、そんなに静かに釣りをしているんだ?」若い村人の一人が尋ねたことがあった。「もっと効率的にたくさんの魚を釣る方法もあるのに。」

太郎は穏やかな笑みを浮かべ、静かに答えた。「釣りはただの魚を得るための手段じゃないんだ。湖の静けさ、風の音、鳥たちのさえずり。それらすべてが、この釣りの時間の一部なんだよ。」

若者は理解できない様子で首をかしげたが、太郎はそれに構わず、また釣り糸を見つめた。彼にとって、釣りはただの結果ではなく、その過程そのものが喜びであり、意味があったのだ。

ある日、村で大きな祭りが開かれ、村中が賑わっていた。しかし、その日の朝も太郎はいつものように湖に出かけ、静かに釣りをしていた。夕方になって、彼は村に戻り、手には一匹の大きな鯉を抱えていた。

村人たちは驚き、そして喜んだ。「太郎さん、その鯉を今日の祭りで使いましょう!村一番のご馳走になりますよ!」

太郎は微笑みながら鯉を差し出した。「もちろんだとも。ただし、この鯉を釣るために、長い時間が必要だったことを忘れないでほしい。焦らず、じっくりと待つことが時には大切なんだ。」

その夜、村人たちは太郎が釣った鯉を囲み、楽しい宴を開いた。皆が彼の落ち着いた姿勢に感心し、太郎のように穏やかな心を持つことの大切さを感じ取った。

「太公望」という言葉は、ただ魚を釣る人のことを指すだけではなく、結果を焦らず、静かに待つことの重要さを教えてくれるものだと、村人たちは改めて気づいたのだった。

ことわざから小説を執筆 #田記正規 #読み方

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