映画「渇水」を観て(※ネタバレあります)

2023年6月2日公開の映画「渇水」、観に行きました。
とりあえず公式サイト

生田斗真がすき(※この場合の「すき」は「出演作品をがっちり追いかける程ではないけど、『映画やドラマで、この人が出演しているのであれば見(観)ようかな』と思える」という感じの「すき」です)なので、生田斗真が主演で作品の概要をざっくり見聞きした時点で「観に行きたいな~」とは思っていたのですが、劇伴・主題歌を向井秀徳が手掛けると知って「‥観に行かない理由がなくなった‥っ」となりました。

向井秀徳とは(自分への備忘録的な意味も込めて)

向井秀徳、いや向井の、自分の中の位置付けはここで語るものではないので割愛します。

映画「渇水」、「梅雨が明けてからろくに雨が降っていないいち地方都市」みたいな季節設定だけど公開初日に台風が直撃するというなかなかの強運か悪運の持ち主、見方によっては「"持ってる"ね~w」「オイシいw」みたいな感じもしなくはない‥ワケないよな。映画制作側は必死だよね。
自分は「映画は公開から3日間の初動が大事、みたいな話は聞いたことあるからな‥」と6月3日に観に行きました。

観に行くまでは正直「いずれ絶対観に行くから、じゃあいわゆる『初動売り上げ』に貢献する形で観に行こう。初動売り上げに貢献するという形で向井の仕事も評価しよう」みたいな少しいやらしい魂胆(?)も、無くはなかった‥

6月3日土曜日の昼の上映時間に行ったのだが、それなりに人は入っていたので「ぁ、みんな結構注目してくれているんだな‥」って嬉しくなってしまった。(自分が、映画を公開直後に観に行くことがあまりないから「公開直後の人の入り(はいり)」みたいなのがあまり分からないというのもある)


※ここから下 ネタバレ有ゾーン※












感想や思ったこと

観た。映画観た。ちょっと泣いちゃったよね。自分、ああいう「上手く関係が築けていない血縁関係でない大人と子供が、真に分かり合えた直後、もう会えなくなる」という展開に非常に弱いので‥ 
生田斗真演じる岩切が、あの姉妹にもらった絵を自分の子供が描いた絵の横に貼ったのでポロリだよね。多分あの時点では岩切は、奥さんと息子との復縁みたいなのは、もしかしたら諦めていたのかな?とも思った。

この映画はタイトルが「渇水」だけに、「いろんな意味での『渇き』」みたいなのをテーマにしているっぽいけど、自分はむしろ岩切には「諦め」みたいなのを感じた。まぁ、「渇いているが故の諦め」みたいな感じなのかもしれないけど。「諦めているけど捨てきれない」みたいな。
実家に帰ったままなかなか帰ってこない奥さんに電話したり、息子が好き(なのかな?)なヒマワリに水をあげているのも、「本当はもう帰ってこないだろうけど、でも"一応"ー」みたいに感じたけど、これは自分の読み方が違うかな?
でも、水道料金滞納者の水道を止めるのは、「仕事だから」みたいな割り切りを超えた、「しょうがないですね。規則なんで」みたいなニュアンスの言葉の後ろに重い「諦め」がぶら下がっていたような、そんな感じがした。職場の同僚が「こういう仕事していると人間が変わってしまいそうな気がするー」みたいなことを上司に漏らしていたけど、岩切は「"変わらない"ために割り切る、諦める」みたいな、そんな選択をしたのかな、とも。
そんな「諦め」を常にまとっていた岩切が、あの姉妹にもらった絵を貼ったのは「諦めたことによる再出発」みたいな、そんな感じしたんだよな。もう奥さんと息子は帰ってこないだろうけど、「でも、じゃあー」みたいた。職を失っても、だけどどこか晴れやか、みたいな。
(水をあげていたヒマワリが無くなっていたから、それが「息子はもう帰ってこない」という心情の表れなのかな?とも思ったけど、単純に花の咲くシーズンが終わったみたいな、そんなものだったのかもしれない‥ 息子に会いに行くときにヒマワリの花束を作ったから、それでもう花が無くなっただけかもしれない‥)


パンフレット読んで、原作とラストが違うらしいし、岩切がお姉ちゃんを拉致って(笑)公園の水道元栓を開けてホースで水まき始めてあたりで正直「あれ、ちょっと『都合のいい展開』みたいになったゾ‥」とは思ったけど、それまでがそれまでだったので「これくらい分かりやすい救いの方がいい~」ってなった。拉致る直前(だったっけ?)にお姉ちゃんが「大人なんて信じられない」みたいなことを言ったのに対しての、分かりやすい「大人を信じてもらう、信じてもらいたい」みたいな見せ方だったとは思うけど、「もうそれでいいっス‥(涙)」ってなった。
ああいうことした直後に雨が降って給水制限解除されて岩切は職を失って、傍から見れば「アイツなにやってんだ」だろうけど、岩切の目的はいわゆる「川辺でお腹が空いて困っている人に魚を釣って渡してあげるのではなく、魚の釣り方を教えてあげる」だっただろうから、あれで良かったんだろうね。

この映画、磯村勇斗が良かった。いや、生田斗真も良かった。今作のお二方、自分がこれまで見た中で過去イチ良かった。
磯村勇斗演じる木田のポジションも良かったよな~。中盤まで「観ている側が一番共感できるキャラ」みたいな感じで、作中内でも「観ている側の代弁者」みたいな感じもした。そこであの公園のシーンで他の局員と一緒に岩切を抑えながら「守るものができたので」みたいに言うのは、ちょっと象徴的なシーンだな、って思った。これまで「水もタダでいいと思います(だから料金が払えないからといって止めるのはちょっと‥)」みたいな姿勢や姉妹に安易に同情して肩入れしそうになってしまうという、表現が違うかもしれないけどある意味「人間らしい」言動や立ち振る舞いをしていた木田が「守るものができたので」がきっかけで、もしかしたら岩切みたいな「諦めの沼」に陥って・陥り始めてしまうのでは‥ と思ってしまった。


この作品、原作があって原作はどういう方向性の話なのかは分からないけど、「こういう仕事をしていると人間が変わってしまいそうな気がする」みたいな同僚の発言があったけど、そういう「そっちの方」に話を振ることもできただろうし、ネグレクトを受けている姉妹の境遇や環境的なものに過剰にフォーカスすることもできただろうけど、そういうのを置き去りにしすぎず取り上げすぎないバランスみたいなのがよかったな、って。そういうのを「脚本が上手い」っていうのかな?とも。


ちょっとしたことだけど、近所のおせっかいおばさんに両親を悪く言われてお姉ちゃんが水をブッかけるシーン、あのシーン、「大事な水を思わずブッかけたくなるほどムカついた」という意味ですごくいいシーンだと思った。

あと、なんでほぼモブみたいなスーパーの店員に田中要次を配役した?w


あまり良くなかった(?)ところ

「良くなかった」というか、ちょっと「む~‥」と思ってしまったところ。
門脇麦演じる有希が、男性に対して「水のニオイがする(「匂い」かもしれないけどセリフのニュアンス的に「ニオイ」かな、と)」と言うの、おそらく原作にそういうセリフがあるのだろうけど「文章で読むにはいいのだろうけど、こうやって言葉で言っちゃうと、ちょっと『なんかなぁ~‥』ってなっちゃうな~‥」というややモヤりはあった。いわゆる「ファンタジーすぎる」みたいな。

あとこれはカンゼンに個人的な気になりで作品には全っっっく関係ないけど、「真夏に、網戸にしないで窓全開なんだー‥」って。これは、自分が田舎に住んでいるからか??夏は虫が入る心配をしなきゃいけない環境にいるからか??????


劇伴について

劇伴、良かった。最初「あぁそうか、劇伴向井なんだっけ。忘れてた‥」とヘンな汗(笑)が出てしまったし、自分の中に深くぶ厚く君臨する「向井秀徳補正」みたいなものを抜きにしても「この映画の劇伴はこれだな」、言い過ぎになってしまうけど「この映画の、この作品の劇伴は、これしかない」くらいの勢いだった。
向井秀徳絡みの楽曲を耳にしているリスナーにとっては「よく聴く向井の『あのギターの音』」なのだけれど、劇伴全体を通してギターの音のみで構成されていて、そのシンプルさがこの作品の世界観に合っていたなと思った。劇伴で作品内を邪魔しすぎていないような。そのシンプルさと必要以上の起伏がない感じが、岩切やあの作品内に漂っている「諦めからくる停滞」みたいな、そういうのを表しているようにも感じられた。
だからか、岩切がお姉ちゃんを拉致るシーンの劇伴が、すごく良かった。
雨が降らないあの地の、乾いた砂に覆われた地面を踏み込んで蹴り出して走り出すような、そんな感じした。蹴り出して走り出す、その時に舞う砂埃が見えた。
岩切は、走ったんだなぁ。日に照らされて、乾いた地面の上を諦めて力なく歩いているだけだった岩切が、もしかしたら「自分は、走っていなかった」ってことに気付いたのかも。「そこから走ればもしかしたらー」ってなったのかも。実際あのシーンは「変えてみたかった」みたいなシーンだから(だよね?)「疾走感」とは少し違うような、だけど「走り出した」岩切を強く後押しするような、そんな感じだった。

主題歌な。自分の中の印象だけど、向井の歌詞は高らかに幸せや不幸を謳うものではないような気がするのよね。パンフレットに歌詞が載っているし、向井の歌詞は人によっては「言葉足らず」みたいな印象になってしまうかもしれないけど、この作品の最後にあの曲が流れて、幸せも不幸も示唆しないけど、でも「あの楽曲の温度感くらいのプラスの空気は、あの後のあの街には流れている」ということが感じられて、救いだった。
それに、これは映画作品自体の話とは離れてしまうけど、人は過剰に幸せや幸福やプラスを求めがちだけど、本当はあの楽曲の温度感くらいの「ミディアム」な幸せや幸福でいいんだろうな、って。まぁ、それが難しいのだろうけど。


総評(というほど偉くもない)

‥この映画で、こういうまとめを書きたくなってしまう程だったんだなぁ、と個人的には。この映画を観てこういうのを書きたくなって書いてしまう、この行動が「自分にとってのこの映画の評価のすべて」なんだよな。今のこの行動自体が「この映画に対する自分の評価を物語っている」んだよな。

あと、この映画を観た人全員、あの「姉妹と岩切と木田が、姉妹の家の縁側でアイス食べているシーン」好きでしょ?(確信)あのシーン、あの画、良かったよね。すごく良かった。



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