ばあちゃんが燃えた日

沖縄にはウチカビという儀式がある。先祖があの世(グソー)で金に困らないようにと、墓前や仏壇前で紙幣を模した紙を燃やすというものだ。だいたい旧盆のウークイ(※1)や親族が集まるシーミー(※2)などでウチカビは催される。

ウチカビは親族一同が一人ひとり紙を焼くまで続く。そしてまるで鍋奉行のように、その一族の長老がウチカビを焼く順番を差配するのだ。紙にはそういった薬品が塗られているのかどうかは定かではないが、数枚焼いただけで結構な火力が生じる。

我が家では大正生まれの頑固者の祖母が、すべての行事を取り仕切っていた。もちろんウチカビもだ。そしてある年のシーミーに事件は起きた。祖母が一瞬、燃えたのだった。

最近の高齢者はおしゃれな人が増えた印象がある。だがほんの一昔前、沖縄のオバアたちが着る服といえば、平和通りあたりに売っているナイロン製のゆったりとしたデザインのものが多かった。祖母もそういった服を日々愛用していた。

事件当日、祖母は例のごとく、ウチカビの差配に精を出していた。「次はあんたが焼きなさい」と、親戚一同を前にテキパキと指示を出していく。墓前と祖母の間に置かれた鍋の中では、ウチカビがごうごうと燃え上っていた。

「はい次はあんたが焼きなさい」。祖母が背後に並ぶ親戚を振り返った瞬間だった。強風に煽られ、祖母の前に置かれた鍋の中から上がっていた炎が、祖母の服に引火したのだった。

不思議なことに祖母は引火に気が付かなかった。高齢者は寒暖に鈍くなるとは聞いたことがあるが、まさか現在進行系で服が燃えていることにも気が付かないとは思わなかった。

ナイロン製の服はよく燃える。

「ばあちゃん燃えてるよ!」。衝撃的な光景に孫たちからは悲鳴が上がった。しかし、袖に大きな炎が上がっているのにも関わらず祖母は「早くウチカビ焼きなさい!」とキレていた。それを見ていた親戚はみな「自分が焼かれているよ」と心のなかで突っ込んでいたと思う。祖母の息子である我が父などは酒に酔い、「オバア、もう焼かれて墓に入るのか」などとヤジを飛ばしていた。

直後、誰かがさっと祖母に布を充て無事鎮火した。祖母の服はおよそ10秒間にわたり燃えていた。幸いにして火傷はなかった。

祖母の無事が確認されると、親戚の間ではホッとした空気が流れた。そして同時に笑いが起きた。

その光景を見ていた当時、幼稚園生だった妹も親戚一同の笑いにつられて大笑いしていた。だが幼い妹は、なぜ大人たちが笑っているのかまではよく分かっていなかったのだと思う。手を叩きながらこんなことを言っていた。

「ははは!ばあちゃん、もう一回やって」


※1ウークイ…旧盆の最終日。先祖の霊を送り出す日。
※2シーミー…一族が揃って墓参りし、墓前にごちそうを備えて先祖を供養する日。

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