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愛宕下発電所を知る/広瀬川

愛宕大橋の下の河川敷を、愛宕神社の麓あたりまで進んでったところで出会った「愛宕下発電所跡」。
かつて操業していた水力発電所の存在は聞いたことがありますが、ここに来たのは初めてです。
追廻付近の取水口から広瀬川の水を取り込み、その水力で発電していたという発電所です。山肌から顔をだしている人工的な壕や、石造りの建造物の跡はただモノではない雰囲気を醸し出しています。
これはちょっと興味深い発見です。

昨日、とあるお仕事の企画準備で、フォトグラファーさんと共に広瀬川の風光明媚な河川敷を巡ってきました。
仙台はもはや冬の入り口に差し掛かっていますね、枯れ葉がパラパラと舞い落ちていました。
吹く風もだいぶ冷たくなってきた広瀬川ですが、冬の河川敷を寒がりながら歩くのも、風情があってまた良いものだなと思いました。

郡山堰。「おー、ザ・仙台ですね~」とフォトグラファーさん。

お仕事のご依頼主の方にも同行していただき、
我々が知らない史跡や由緒を教えていただきながらの巡行。
行く先々で新しい知見を得れました。
その中の出会いのひとつが「愛宕下発電所」でした。

仙台市の「広瀬川HP」の中の記事で詳しく掲載されています。

その記事によると、
「愛宕下発電所」が出来たのは1920年(大正9年)。1929年(昭和4年)には操業を終えています。短い期間でしたね、なぜでしょうか。その理由も知りたいです。
さらに興味深いのは上の記事タイトルの通り、その広瀬川の水を利用した「愛宕プール」があった事です。1943年(昭和18年)まで存在していて、なんでも水泳の公式大会にも使われるほど本格的なプールだったそうです。

私「あの穴から水が出ていたんだよね」。
フォトグラファーさん「ん、間違いないでしょう」。
この場所で完全に足が止まってしまった私たち。気が付くと日が落ち始めていて焦りました。

この河川敷に大きなプール施設があったなんて、ちょっと信じられない感じがします。
このプールは役目を終えた後は軍の施設になります。そのため仙台空襲の際にはピンポイントで狙われた様なことが記事に書いてありました。また当時は川のぎりぎりのところまで住宅地になっていたというのも驚きです。プールも何もかもすべて焼失してしまったため、その頃のこの場所の地形はすっかり変わってしまったのでしょう。


かつてあった水力発電所。もう少し深堀りしてみたいです。
今度はしっかりと時間を使って見に行って、またこの続きを書こうと思います。

対岸ではなんとポニーが放し飼いされてました。
(豆粒サイズだけど写っています)
広瀬川って奥が深いなぁ。


最後まで見てくださりありがとうございました。

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