ナイキの「Air Jordan 1(エアジョーダン1)」は、1985年にバスケットボールの伝説的選手マイケル・ジョーダンのシグネチャーモデルとして登場しました
ナイキの「Air Jordan 1(エアジョーダン1)」は、1985年にバスケットボールの伝説的選手マイケル・ジョーダンのシグネチャーモデルとして登場しました。このシューズは、バスケットボールシューズの歴史だけでなく、スニーカーカルチャー全体に大きな影響を与えています。
エアジョーダン1の誕生
1984年、マイケル・ジョーダンがNBAにデビューし、ナイキと契約。この契約は当時の新人選手としては非常に大きなものでした。ナイキはジョーダンを象徴するシューズとして、エアジョーダン1をデザインしました。
デザインは、ナイキの伝説的デザイナー、ピーター・ムーア(Peter Moore)が担当しました。シューズのサイドには「ウイングロゴ」があしらわれ、これが後に象徴的なマークとなります。
NBAとの衝突
1985年に発売された当初、NBAはエアジョーダン1を禁止しました。その理由は、当時のNBAのユニフォーム規定に反していたためです。当時のバスケットシューズは白が基本で、エアジョーダン1の黒と赤の配色は派手すぎるとされたのです。しかし、この「禁止」は逆に注目を集め、ジョーダンが罰金を払いながら試合で履き続けたことが話題になりました。これにより、シューズは瞬く間に大人気となりました。
人気の拡大とスニーカーカルチャー
エアジョーダン1は、バスケットボールだけでなく、ストリートカルチャーやファッションにも大きな影響を与えました。1980年代後半から1990年代にかけて、エアジョーダン1は単なるスポーツシューズ以上の存在となり、スニーカーヘッズと呼ばれるコレクターが現れました。
また、エアジョーダン1は多くのカラーバリエーションや復刻モデルが登場し、その度に話題を呼び続けています。
伝説的なステータス
エアジョーダン1は、バスケットボールシューズの歴史の中で最も象徴的なモデルの一つであり、スポーツとファッションを融合させたアイコンとして、今もなお高い人気を誇っています。
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