【中村先生(若)が本音ポロリする話】

またの名を【私のゴーストが中村先生に「君は美しいよ」と囁くので代わりにイケメンに言ってもらった話】。
※オリキャラモブ×中のBL表現あり



「君は、うつくしいね」
 喉元を細い指がつたう感覚がする。1本の指があごの下から喉仏を通って鎖骨の間まで、ゆっくりと。遠くでゴロゴロと空が唸る音がする。
 ――ここは、どこだっただろうか。
 ここは、俺の部屋だ。俺とミハイルの家の。ミハイル――そうだ、ミーシャ。俺がカンパニーに入ってすぐ、妙に馬が合って。さして大きくもないこの団の給料でやっていくため――とは言ってもミーシャのほうはプリンシパルなので俺よりは幾分もましだっただろうが――ルームシェアを始めた。
 雨が建物を強く叩く音が聞こえる。安物件の部屋なので音もよく響く。
 ようやくうっすら目を開く。暗い。閉まっていないカーテンから街灯の明かりだけが差している。俺は自分のベッドに横になっていた。ミーシャは俺のベッドの横に座り込み、真横からじっと俺の顔を見ていた。色素の薄い大きな瞳は少ない光量をもよく反射して、その輪郭を浮かび上がらせていた。
 どうやら少し飲みすぎたらしい。だんだんはっきりしていく意識が教えてくれる。そう、今日は公演の楽日だった。明日はようやくの休みなので、俺とミーシャは飲みに出かけた。他の団員はバレエを仕事として淡々とこなしている者も多いが、俺たちはカンパニーの中でもまだ年若いこともあり、こうしてしばしば2人で飲みに出かけてはバレエ論とでも言うべきものを議論しあったりした。今日も早めに帰って体を休めるはずが、つい深酒をしてしまったらしい。最後のパブからの記憶がおぼつかないが、自力で歩けていたような感覚はある。夜半に降り始めた雨の中、きっとミーシャは千鳥足の俺を抱えてベッドまで運んでくれたのだ。
「うつくしい、とは……」
 寝起きの飲みすぎた喉がひりつく。
「君が美しいって言ったんだよ」
 俺のかすれた小さな声を聞き取って、ミハイルが返す。
「それは君の話だろう」
 今日の公演も彼は素晴らしかった。己も端役として同じ舞台に立っているはずなのに、まるで舞台が2つあって、彼だけがそこで踊っているようだった。自分が恐らく一生立つことのできない領域であるあの形而上の舞台。
「美しいなんて、言われたことがない」
 じくりと目元が痛み、そう言いながら弛緩していた腕で目を覆う。まだ酔いがまわっているのかもしれない。
「いつもブサイクだ、華がないと……体型だって」
「……まあ、そうだね。資質だけの話をすれば、君と僕は違う。僕は君と違って、腕も足も首も長く、筋肉も関節も柔らかい。君のように骨が太く節立ってもいないし、身長も君よりあって、舞台映えする立体的な顔立ちだ。でも、それだけだ」
 ま、それが大いに役立って今プリンパルやれてるわけなんだけど、とミーシャは肩をすくめた。
「でも、君だってわかってるだろ。僕と君はここに来るまで同じように鍛練してきた。ダンサーになるため、毎日毎日ね。それでも僕も君もテクニックが特別強いわけでも、飛び抜けたカリスマ性があるわけでもない。僕と君の体を取り換えたら、あそこに立つのは君だったかもしれないって」
 雨音が強まった。
 ――俺が?
「いや、そんなことは……今夜の君も素晴らしくて……」
 横殴りの雨が窓ガラスを打ち付けている。
 ――俺が。
「俺はずっと羨ましくて……」
 遠雷が聞こえる。
 ――俺が。
「君のようになりたくて……自分が、悔しくて……」
 遠雷が聞こえる。
 ――俺が!
「君が、憎らしかった……ッ」
 一瞬、いなびかりが部屋をほの明るく染めた。
 音は聞こえない。
「君は、美しいよ」
 ミーシャはそう言って親指で俺の頬の雫をぬぐった。感情の昂りとともに、知らぬ間に流れ出ていたらしい。
「君はさっきパブで、ダンサーは人間性で踊るのだと言ったろ?だとしたら、僕たちがもし同じ体を持っていた場合、美しいのは君だ。君の、その魂。でも君がその魂を持つのはその体を持って生まれたからだ。欲しい資質を神様から与えられなかったゆえの渇望、それを埋めるための努力、犠牲――君の魂は、飢えて痩せた狼のように気高く美しいね」
「何を言ってるんだ……」
 怒りや恥ずかしさがないまぜとなった俺はミハイルの手を振り払い、ひどく罰が悪くなって顔を背けた。ミーシャは変わらず俺の顔をじっと見ていた。
「僕の肉体全て、君にあげたっていい。でもそれでは君の踊りはつまらなくなってしまう」
「……」
「レッスンのときから本番の舞台の上でまで、いつも僕の体が欲しくて仕方がないって目をしていたね」
「おい語弊が…!」
「僕はあの目に惹かれていたのかもしれない」
 口の中でそう呟きながら、ミーシャはベッドサイドからわずかに身を乗り出し、俺の唇に小さくキスを落とした。
「まあ、そういうの全部、知ってるのは僕だけでいいんだけどね」
 言葉を失い呆然とする俺にミーシャは再び肩をすくめ、ようやく笑った。
「じゃあそこに水置いてあるから。しっかり寝て疲れを取るんだよ。おやすみ!」
 いつもの爽やかな笑みを浮かべて良きルームメイト然としたことを述べながら、ミハイルは軽やかに俺の部屋のドアを閉めた。雷は止んだようだったが、雨はまだ降り続いていた。
 翌朝、アルコールの抜けきらないぼやけた目をこすりながらリビングへ行くと、既に起きていたミーシャが「オハヨ」と片言の日本語であいさつしてくれた。台風一過とでも言いたくなるような晴れやかな青空を背にして薄い髪色が光を透かしている。あまりにいつも通りの弧を描く口元に、俺は「昨日のことは夢だったのかもしれない」と少し首を傾げながら、「おはよう」と笑顔を返した。


数年後、インスタでミーシャがダンサー女性と結婚した報告を見てなぜかちょっと複雑な気持ちになる中村先生。


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