アナログ的若気の至り


自由を追い求めることによって束縛を感じるという矛盾。

生きていくという行為に関して疑問を感じ始めたのは今に始まったことではない。しかしその疑問の種類や内容に関しては日々刻々と異なるものに変化していっている。人は歳をとるに連れて、自分が意識していない部分の変化によって自ずと思考や行動が変化していく生き物であると感じる。その変化はもしかしたら自分のみならず、自分の置かれている環境や囲まれている状況に寄与するものなのかもしれない。自分自身が絶対的信頼を置いている個人の感性や感覚的な部分も、もしかしたら変化をしているのだろう。1年前に論理的で合理的な選択だと思っていることでさえ、今日にその合理性が残り、同じような選択をとることができるかという疑問に対しては誰しもがyesとは答えることができないだろう。また、その人にとって合理的かつ最善の行動だと思えることは、他人からしてもそうかというと、そうではないこともある。その人にはその人なりの環境があり、また感性が存在している。このようなスパイラル的な問いをしていると、そこの見えないどこか深い場所に入り込んでいくような感覚に陥っていくように感じる。しかし、その沈んでいく感覚さへも、どこか心地よく感じることさへある。

人間として、少なくともこの国では、必要なものは 意思疎通 金 感情 の三つであると感じる。そして、この中で、もっとも不安定で確信の持てない感情というものが実はとても大切なのではないかと、今現在では感じている。この先1年2年3年と時間が経過するに連れて思考の変化や環境の変化、さらには状況の変化などによって自分にとっての論理性や合理性も変化していき、深い場所に潜ることがあるとは思うが、その際にはそこから一番かけ離れた 感情 というものに信頼を寄せ、全ての選択をその一点に任せてみるのも間違いではないのだと思う。

他人がそう思うかどうかはまた別の事であるが。

人はどこまでいっても孤独で単一的な生き物なのだから。

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