風渡る藤原京
【記録◆2022年10月24日】
「儚げなのに頑丈な花」が好きなので、「30,000平方メートルに300万本のコスモス」が植栽されていると知って、
『藤原宮跡』へ行きました。
694年に完成した日本初の都城「藤原京」の「藤原宮」があった所です。
宮跡を取り囲むように、たくさん無料駐車場があります(花の季節は)。
車のナビに「藤原京資料室」と入力したけれど、その駐車場には入れず、「藤原宮跡コスモス花園 東」より南の「臨時駐車場」に向かおうとしたら「藤原宮跡コスモス花園 西」より南にも「臨時駐車場」がありました。
どちらに止めても、車椅子で少し北へ戻れば、東から、あるいは西から、花園のそばの道に入れます。わたしは「COGY(足こぎ車いす)」で西から入り、東の果てで折り返して、同じ道を戻りました。
平日ですが、ひとが多かったため、全体の写真はあまり載せられません。
それでも、花園が広いため、ひとが写り込まない写真も撮れました。
藤原京は、大和三山に囲まれた都です。
花園に沿って東へ進むと、その先には、天香具山が見えます。
おおかたは「COGY(足こぎ車いす)」に座ったまま撮っています。
花だけを撮る時には立ち上がりました。
『万葉集』で、采女(うねめ)の袖吹きかえす明日香風(あすかかぜ)都を遠みいたづらに吹く、と詠われていますが、遷都前に都だった飛鳥からは、さして離れていません。
見えるほど近いのに遠く想えたのは、戻れない過去でしょうか。
花園が続いても、コスモスの種類が違うため、花の色や形は様々です。
花園の西から東へ(逆は東から西へ)続く道は段差もなく、車椅子で楽に進めます。ひとが多くても充分な幅があるため、周りに気も遣いません。
花の中は「立入禁止」ですが、あぜ道のような所だけは歩いて進めます。
藤原京は、大和三山に囲まれた都です。
花園に沿って西へ進むと、その先には、畝傍山が見えます。
畝傍山の背後は、葛城山。その南は金剛山。
北(右)には二上山も見えているのですが、橿原市のビル群も写るため、ここには載せません。
(奈良には、景観を壊さないよう高層ビルを建ててはいけないという条例があるので、高いビルではありませんけれど。)
花園から北に見えるのは、耳成山です。
宮跡には、主要な建物の列柱が復元表示されています。
駐車場に戻る前、振り返って撮りました。
写っているのは、三輪山から龍王山のあたりだとおもいます。
見る方向によって山は姿を変えるから慎重に見分けなくてはなりません。
大和盆地から見える山々は、歌と結びついています。
いまは、風景が古代人の心情を詠い続けているのです。
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