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俗と非俗の狭間

関西シティフィルの第15回ファミリーコンサートが成功裏に終了した。コロナ禍にもかかわらず、多くのお客様にお越しいただいた。あいにく満席とはならなかったが、700名のお客様の万雷の拍手。幸せな時間と空間。

演奏会の感想を述べることに普段忖度がなさ過ぎだと自覚しているが、そんな辛口の私でもおよそ良い演奏会になったのではないかと思う。少し長かったかな(たっぷり2時間半)。

ソリストの競演という意味で、時間たっぷり盛りだくさんだったと思う。当然ながら林口先生と石井先生のソロは素晴らしく、本番ならではの輝きがひときわ。私はドボコンのトップをやらせてもらったが、林口ワールドにどっぷり浸れて、幸せで気持ちの良い時間と空間を共有させていただいた。

もちろん、私含め団のソリストたちも大健闘だったかと思う。どのソロも、大きなミスはなく、卒なく演奏できていたのでは。私自身は、手応えあり。音色は今一歩だけれど、及第点と自画自賛。だって自分大好きやもん。

ところでタイトル。ソロというのは古くはヴィルトゥオーゾの時代より、個人の活躍が持て囃される流れではある。まさに大衆、まさに俗。パガニーニしかり、リストしかり、ラフマニノフしかり。華がある。目立つ。だからこそ美しい。分かりやすい。

とはいえ、その深いところに、人間としての深さを感じるときがある。今回の林口先生のドボルザークは、まさにそれだった。俗な華やかさを持ちつつ、包み込む暖かさ、奥の深い読み、空間を支配するアゴーギグ、しかもオーケストラとの対話を楽しむ余裕。あのゴギさんをすら従える姿(もちろんゴギさんの寄り添いの至芸の賜物なのだが)は、不思議な体験だった。

上手く言葉にできないのが音楽の醍醐味ではあるけれど、敢えて言語化に挑戦している感覚。ソリストの音楽性に触れるという意味で、コンチェルトはとても良い機会だ。私はコンチェルトが好きだ。感覚の研ぎ澄まされる瞬間。その瞬間を、少し覗いた気がする。

オーケストラとしても、三度目の正直とはよく言ったもの。もはや執念というしかない。池田市の文化振興財団の方も、同じ志を持って、音楽文化の維持発展に、ご尽力いただいている。ものすごいこと。たかだかアマチュアに20年15回もお付き合いいただいていることに、その志の高さを感じる。この志に、応えるのは人として当たり前だろう。プロよりヘタだが、プロよりアツい音楽を届けられれば、少しは応えられるだろうか。

1回目の延期は、コロナが憎かった。2回目の延期は、コロナになっていた。3回目。学生時代から大好きで、個人的にはチェロとクラリネットのためのコンチェルトと思っているドボルザークのチェロ協奏曲を、林口先生という素晴らしいソリストと、関西シティフィルというアツいオーケストラの中でご一緒できたことを、シアワセに思う。


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