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自分がしたいこと

当たり前だが、時間は有限。

でもってそれを活用できるベストな状態という事のなると、それはもう貴重な瞬間という事を年を重ねて、体調を崩したりするようになってから、大切さを意識することがある。

体調が上向き(身体そのものというより、気力とそれを行動にする回線が上手くつながっている感じ)な今、しばらくぶりに友人とランチをした。

「お茶もらえますか」と聞いたら、2時間半なので、ちょっと。と遠慮がちに時間制であることを言われて初めてそんなに時間が経っている事に気が付く。
確かに後から入ってきたが、スタートはほぼ同じだった周りのテーブルは2回転していたかも。時を忘れるほどに、自分のこれからの人生をどう過ごすか考えている話を聞いてもらっていた。

初診で手術を勧められたのが2018年の秋だったので、3年程迷っている理由は、今症状として痛みがある訳でもなく、日常生活にも支障がある訳でもいないのに、手術したために社会復帰までのダメージがあるのではないかという不安で怖気づいているから。そう。怖いのだ。
長年痛みを抱えていた生活が続いていたから、今大丈夫という事のメリットがこの先の未知なる影響よりも遥かに大きい。
だから、今は他の人に迷惑かけるし、ちょっと職場の人員体制が整ってからなんて理由を作って自分の中で、自分はどうしたいと考えずに済むようにすり替えていた。

会う約束している中で、その友人が手術をする事を知って、だから自然と話は病の心配へとなっていく。
休みは遠慮したら駄目だと言っている自分。
時間は有限で、体力も下降カーブなんだと、そう友人と会話していてふと、他人に向けるように自分に対しては意識を向けていなかったなと、偉そうに話す自分が可笑しくなった。

そんな当たり前すぎて、わかり過ぎている事を、ついつい曖昧にしていた。

色々大変でもなんとかやり遂げられる体力と、なんとなく麻痺させた感覚で乗り切れている日々の生活。
私の、大切な友人が改めて『有限』という中でどう過ごすのかという投げかけをしてくれた。

なんとかなる。

日曜日の朝、3年も悩んでいる手術をどうするか、未だ決めあぐねているのに、
心の中で『なんとかなる』という言葉が沸いてきた。

意図することで、私のベクトルは変わる。
今の時点では、これからの働き方について考える機会となったので、ノートに自分がこれからやりたい事を書き出してみた。

国内を、その花が咲くベストシーズンにふらりとタイミングを合わせた旅がしたい。

思い浮かんだのは、きっとそのうち叶えられる非日常でもあり、日常のちょっとした幸せな事だった。


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