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本気で推せる、5つの条件。(#005)

アイドルオタクを始めて2年。
多くの出会いを経てきた中で、本気で「推し」と思えるグループの、共通点に気がついた。そこで、共通点から自分の好み、引いては何を楽しんでいるのかについて、言葉に起こしてみた。

「推し」と「"本"推し」

随分世の中に定着した「推し」という言葉。
案外、裾野の広い言葉だ。個人に使うこともあれば、グループや作品単位に使うこともある。なんとなく良いなと思ったり、ビジュアルが好きだったり、マニアックな魅力について熱く語れたり。在り方も様々なれば、気持ちの強さもグラデーションがある。

その中で、「世の中に見つかってほしい!」「人に全力でオススメしたい!」「○○の人、と思われて嬉しい!」と思えるアイドルグループを、私は「"本"推し」と呼んでいる。

推しの中の推し、グループ版。
といったところだろうか。

200組以上のアイドルグループと出会ってきた中で、今「"本"推し」は3組ほど。
この分かれ目は、「消費」か「生産」か、だ。

誰かが届けてくれたものを、享受し楽しむ分には「推し」。私はいわば、消費者である。
一方、自分から周囲に薦めたり、積極的に発信したいと思えるのが「"本"推し」。プッシュする側、いわば広い意味で生産者(というよりは、届け手)の側に回りたいと思えるほどの熱量が、「"本"推し」には向けられている。

スタッフになりたいかと問われれば、全くそうは思わない。消費者として楽しみながら、さらに人に紹介もしたい!躍進の追い風になりたい!という、あくまで気持ちの問題だ。

それが私のいう、「"本"推し」の感覚である。


"本推し"5条件

さて、本題に入ろう。
私にとって"本推し"になるグループは、次の5つすべてを満たしている。

① 曲がイイ!
② パフォーマンスがイイ!
③ 全員を推せる!
④ 運営が信頼できる!
⑤ 現場の居心地がいい!

「条件」といっても、チェックしている訳ではない。ピースが揃ったから"本推し"に昇格、というものでもない。通い、のめり込み、気づけば"本推し"になっていたグループに共通していたのが、この5つの要素なのだ。

この5つには、優劣はない。① ② はもちろん重要だが、曲とパフォーマンスがイイから通うかというと、そうでもない。あくまで同じぐらい幅を利かせる、5つについて述べていく。

(なお「イイ」がカタカナなのは、あくまで個人の感想だからだ。質の「良し」悪しなど、私には語れまい。)


① 曲がイイ!

1つ目は、「曲」。コンテンツの魅力。
曲が魅力的でなければ、まず興味を惹かれない。

では、「魅力的な曲」とは何か。
これはもう完全に、好みだ。

私の場合、キラキラ系のいわゆるアイドルソングは好かない。音楽のジャンルがわからないので、なんと言えばよいのやら、なんか騒がしくてカッコイイやつ(ロック系?ラウド系?)が好きだ。シャウトは好きだが、デスボ(メタル系?)はそこまで好きじゃない。耳の半分以上はドラムとベースを聴いていて、残りで他の楽器たちを聴いている。身体が突き動かされて乗れればいい。音として身体に流し込んでるから、歌詞の比重はわりと小さい。数ヵ月して初めて、歌詞を知ることもある。だいたい、もっと好きになる。


② パフォーマンスがイイ!

2つ目は、「パフォーマンス」。
歌、踊り、煽り、MC、特典会の楽しさ、その他色々諸々。「アイドルのスキル(・人間性)」の部分だ。

他の4つに比べ、ナマモノ感が強い要素だろう。曲が好きなら、家でも聴ける。人だけ好きなら、SNSで接点は持てる。けれどパフォーマンスに魅力がなければ、いくらリプを重ねようと、わざわざ現場に足は運ばない。

曲が好みであればあるほど、パフォーマンスの期待値も上がっていく。実力に見合わないレベルに挑めば、どうしても落差が目についてしまう。これでは、楽しめない。楽しみに来ているのに。だから、パフォーマンスは大事だ。アイドルによるパフォーマンスが、オタクを楽しませてくれる。

では、「いいパフォーマンス」とは、何か。
「実力」と「相性」だと思う。

歌唱力、ダンス力、なんて言葉もあるように、スキルやテクニックは存在する。上手い下手は、ある。自分らしく振る舞う姿は魅力的に映るが、それはあくまで味付けで、スキルやテクニックがあって初めて、好印象に伝わるものだ。だから「実力」は、歴然としてある。

オタクとアイドルの需要と供給も、スルー出来ない側面だ。仮に、アイドルの成長過程を楽しみたいオタクがいたとする。目の前に、めちゃくちゃテクニック的に上手いアイドルがいたとする。このアイドルがいくら人気を上げようとも、かのオタクは、推さないだろう。気に入るかどうかは「相性」次第。単純に上手い下手では言えないところが、難儀だし、面白いところだ。

とか言いつつ私は、そこまで考えてない。
素直に「すげぇなって思うかどうか」「気が合うかどうか」「話して楽しいかどうか」、これぐらいだ。不思議と、どのメンバーともそれなりに馬が合うグループがいたりする。そうしたグループに、気づいた頃には通っているのだ。

ちなみに、容姿については、あまり勘定に入らない。ヘアやメイクで印象は変わるし、ステージ中はまじまじ顔を見たりしないからだ。アイドルをはじめとして、コスプレイヤー、モデル、タレント、女優、その辺の街を歩いている人に至るまで、目を惹かれる容姿の人はいくらでもいる。わざわざそれを求めて、お金を払って、現場に足を運んじゃいない。
気になる容姿でなければそもそも興味は持たない、というのも残酷な事実ではある。だがそれはあくまで、入口の話だ。一度接点さえ出来てしまえば、あとはパフォーマンス次第。私はそういう尺度でいる。

だからたまに、もったいないと思うアイドルがいる。顔を求められている、と思っているアイドルだ。もちろん、そういうオタクもいるだろう。けれど私は少し違うから、どうしたもんか、と時々思う。
後ろ姿や横顔、身体全体を使ったチェキをオーダーすることがある。気を遣ってわざわざ、顔を向けてくれる。わかるよ、わかるけど、今は要らない。顔が欲しい時は、顔でオーダーする。いたずらっ子には壁に落書きしてる風を頼んでみたり、しゅんとして俯きがちに雰囲気を出してみたり、佇まいやキャラクター性も含めて、そのアイドルの魅力だと思っている。顔を見せないことで、かえって伝わる魅力もある。

自分の良さって、自分では気づかないことも多々ありがちだ。自覚的なアイドルも多いけれど、予想外なものを求めているオタクも、いるかもしれない。委ねてみたら、気づかなかった自分の見せ方が、見えてくるかもと思ったりする。
まぁ、タテマエを並べ立てはしたがぶっちゃけ、オタクとしての私の欲望だ。私に演出させてくれ!私が思う君の魅力を、引き出してみせるから!


③ 全員を推せる!

3つ目は、オタクの幸福度を握る「推しメン」。

「箱推し」という言葉がある。箱=枠組みであり、ライブハウスを指すことが多い。「箱推し」と言う場合は、「そのグループ自体を推す」意味だ。

しかしどうしても私は、この言葉がしっくりこない。薄く引き伸ばした感じがして、熱量を感じないのだ。(あくまで私の言語感覚であって、「箱推し」を自称する人を淡白だと言いたいのではない。)

そこで「全員が推し」という、まだるっこしい言い方をする。

好みや相性がある以上、メンバーの中にはどうしても、推したい気持ちの差が生まれる。これは仕方ない。けれど、この差が「好き」と「普通」になってしまうと、なんだか申し訳ない。「普通」のメンバーを前にすると、どうしていいかわからない。できることなら、「好き」と「すごく好き」ぐらいの差でいたい。

これが実現したのが、「全員が推し」状態だ。

象徴的には、ランチェキを引いて、誰が出ても「やったあ!」と喜べれば、「全員が推し」になったという感覚だ。好きな人しかいない環境。これほど幸福を感じることはないし、この幸福をもっと多くの人に味わってほしい、と思えてくる。

ランチェキについては、別のnoteで主題にしようと思っている。


④ 運営が信頼できる!

4つ目に、「運営」。
私にとっては欠かせない、超重要ピースだ。

「運営さん」は、プロデューサー兼マネージャーのような立場。グループによって役目は様々だが、インプット/アウトプット環境のほぼすべてが、「運営さん」に賭かっていると言っていい。

魅力的な曲があっても、配信されていなければ、知人にリンクを送れない。歌やダンスが上手くても、それがわかるMVやYouTube、「疑似体験できる素材」がなければ、布教もしづらい。現場へ誘って応じてくれれば、一番の布教になるのだが、初見でお金・時間・労力を払ってもらうのは、なかなかハードルがあるものだ。
上手い運営は、アイドル・オタク・ハコとのコミュニケーションを、非常にクレバーにやってのける。素材展開をプロデュースするのも、コミュニティの潤滑油的ポジションにいる、運営の腕の見せ所だろう。

他にも、レギュレーションの明示。MVやメディア展開。ライブ地の選定。メンバーのケア。実力に見合わぬことを無理にやらせようとしていないか。杓子定規でないか。問い合わせ対応。悪質客への毅然とした対応。オタクに対する考え方。挙げればキリがないが、総じて「この人の話を聞こう」「このアイデアを話してみよう」と思えるかどうかが、私にとっては重要だ。

「好き嫌い」ではなく、「信用がおけるか」。キャラクターとしての好き嫌いはどうしても印象に残るものだが、あくまで実務者であって、交流を旨とする相手ではない。仮に人柄が嫌いでも、必要なことを的確にやってくれれば、何も問題は起こらない。

とはいえ、余程のことがあれば話は別だ。
あるグループに、差別発言を連発する運営がいた。私が直接耳にしたのは、運営個人による配信の場だ。何度か平和的解決を試みたが、開き直るばかりで特に省みる様子もない。それどころか、正当化に走るあまり、アイドルやオタクを巻き込んで話し続け、周囲もイエスマンのような振る舞いになっていた。
それが本心かどうかは、わからない。けれどこれが大きな引っ掛かりとなって、結局現場から足が遠のいてしまった。アイドル本人のパフォーマンスも、曲も好きだったので、正直複雑な心境だ。どこかのタイミングでまた通い始めるするかもしれないが、今のところ予定は無い。


⑤ 現場の居心地がいい!

5つ目、「現場の居心地」。
カギを握るのは、実は「オタク」だ。

マナー感覚やカルチャーが、あまりに違い過ぎるオタクとは、付き合いに余計な労を要する。1人2人、数度の同席ならまだしも、それが多数派で継続的にとなると、ライブ参戦にいい印象がなくなってしまう。

例えば、ツーステを踏む。隣の人の足を踏む。踏まないに越したことはないが、夢中で楽しんでいれば、踏んじゃうことだってあるだろう。その時に、どう振る舞うか。
言葉にしなくとも、会釈ひとつで心象は変わる。いや会釈もなくとも、次のステップから少し距離を取ろうとするだけで、その人の誠意は伝わる。「足を踏まれるほど楽しかった現場」になるのか、「足を踏んできた上に謝りもしなかったヤツがいた現場」になるのか。
アイドルライブのはずなのに、この違いを左右するのは、オタクの側の品格なのだ。

また例えば、交通機関の時間が迫っている人が、いたとする。遠征組なら、重大事だ。こんな時、お互いに事情を理解し合って、チェキの順番を譲る文化が、現場によってはあったりする。
この融通に、私は「居心地がいい」と感じる。初見であっても、話しかけてくれるオタクがいて、事情があれば代わりにみんなに呼びかけてくれることさえある。あまり仕切る人がいるのも、考えものだけれども。

これらはオタクの振る舞いだけれど、オタクだけで作った文化ではない。グループの方針として、どんな現場にしていきたいのか、運営が許すか許さないか、他人への想像力があるか、些細なことが積み重なり、様々な要素が絡み合って、結果的に居心地がよくなる。また来たいと思えるし、帰属意識だって芽生えたりする。顔見知りが増え、関与の仕方も広がって、アイドル・運営・オタクを含めた、その現場との距離がどんどん縮まっていく。

あくまでライブに行くのは、趣味だ。
楽しみに行っている。
アイドルは、楽しませてくれている。他の要素で興を削がれたりしたら、たまったもんじゃない。

これはもう、相性だ。


アイドルの何を楽しむか

ライブはだいたい、行けば楽しい。
"本推し"現場は特に、楽しさの純度が高い。
私にとっての不純物を漉してくれるのが、これら5つの要素なのだろう。

では、ライブの何を楽しんでいるのか。

もちろん、アイドルのステージを楽しんでいる。
そして、アイドルとの交流を楽しんでいる。
オタクとの交流も。運営が繰り出す展開も。
自分がそこに1枚噛む歓びも。

アイドルがいて、運営がいて、オタクがいて、
ステージングもあり、雑談もあり、
コンテンツもあれば、雰囲気もあって、
そこに総合的に形成される「現場体験」「コミュニティ」そのものに、価値を感じて、対価を払っている。ナマモノならではの実感だ。


自分の「楽しさ」についての感覚を、言葉にしてみた。質・量ともに、もっともっと楽しいアイドル現場に身を置いていけたらいいなと、心からワクワクしている。



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