蝶が孵化するまで

小学校3年生のときに自宅でアゲハチョウの幼虫を飼っていた。学校の裏庭にあるみかんの木を探せば幼虫がいるよと友達が教えてくれて、何匹かお持ち帰りして飼育が始まった。

母は虫が苦手だから、私が幼虫を何匹も持ち帰ってきたときはさぞギョっとしたことだろう。なるべく母の目につかぬよう、自分の部屋で飼育することにした。虫かごとかケースなんか持っていないから、2リットルのペットボトルを半分に切ったやつにガーゼの屋根をかぶせ、みかんの葉っぱつきの枝を突っ込んで、ヘアゴムでガーゼをとめて(親にやってもらったんだと思う)、それがアゲハの幼虫のハウスになった。

アゲハ幼虫の初期形態は鳥のフンのように黒い。その時期を通りすぎると、葉っぱのような緑色になる。当時はポケモンが流行ったばかりで自分もプレーしていたから、ポケモンに登場する"キャタピー"という虫キャラはこいつをモデルにしてるんだなあと、小さいながらも細かに模様の入った彼らを眺めていた。何匹もいるメンツは体の大きさや形が色々で、一匹一匹に名前をつけていた。一番大きい幼虫には「ボス」と名付けた。

飼育はこまめにできていなかった。彼らの餌となるみかんの葉っぱは、友達の家がやっている蕎麦屋の植木にある小さなみかんの木からときどき頂いたりもしたが、それ以外は採取を怠った。学校裏庭の葉っぱを採取するのを面倒くさがり、ときどき勇気を出してこっそり仕入れをするという感じだった。ハウスにたまったフンも捨てるべきなのに、そのために中の葉っぱを一旦外に出すとか、そもそも幼虫に触れることが怖くてよく怠った。それでなのか、何匹か死なせてしまった。サナギにまで成長したのはボスともう一匹ぐらいだったと思う。結果的にはボスが最後まで生き残った。

ボスがサナギになったときは嬉しかった。ちゃんと育ったことが目で見てはっきりわかることが幼虫の飼育の楽しいところ。あとは孵化を待つだけ。餌を与えることもない。何日も何週間もサナギ状態で動かないボスを見て、本当にこれが蝶々になるんだろうか…?とも思った。孵化したら自然界に放ってサヨナラするつもりだ。

日にちが経ったある日の晩、ついにサナギの様子が変わった。これが孵化だ!ボスの孵化が始まった!兄と興奮して見守る。サナギから体が出始めて翅が広がるまでには、私たちが思うよりも随分と時間がかかった。どうしようどうしよう。いつピンピンの蝶になっちゃうんだろう。すぐに飛んじゃうんだろうか。どのくらい目を離していいものだろうか。

それから何時間かかったか、翌日の晩になったのか覚えていないが、とにかく晩にボスは翅を広げきり、ピンピンのアゲハチョウの成虫となった。おめでとう!自宅で見るアゲハチョウは立派で美しく、すごいね…と兄と見入った。

じゃ、もう自然界に放った方がいいのかな。部屋着のまま夜の道に出て、アゲハチョウになったボスを運んだ。そのボスの放流先は、自宅の100m圏内にある唯一のみかんの木、友達の蕎麦屋の植木だった。なにもみかんの木じゃなくてもよかったかもしれないが、とにかく放たなきゃと思って選んだ場所がそこだった。ボスはすぐに飛んだりしなかった。そのときはわからなかったが、孵化したてで体に相当負担があったかもしれず、あまり自発的に動かなかった。私たちが手でボスを持って、植木の葉にそっと載せるしかなかった。しばらく眺めてから自宅に戻った。ペットボトルのハウスにボスはもういない。

その日の夜は眠りにつくとき、あまりの感動と寂しさで不思議な気持ちに包まれた。なんだろうこの感覚。人間以外の生物に初めて抱いた情かもしれないが、生命の神秘をこの目で見たことが、情以外のところで私を満たしたのだと思う。とにかくそのときの私は「寂しい」という感情だけがはっきりとわかって、よかった〜、寂しい…と思いながら眠りについた。

翌朝ふだん通りに学校へ集団登校する。途中に友達の蕎麦屋があり、歩きながら蕎麦屋の植木を見てみた。ボスが昨夜と同じところにとまっていた。「ボス…!!!!」立ち止まってボスの様子をしばらく観察したかったが、10人以上で移動する集団登校だったもので、あまり立ち止まることができなかった。ボス、元気でね!と思いを引きずりながら、ほかのみんなと同じペースで学校に向かった…

ボスは、私が下校して蕎麦屋の前を通る頃にはいなくなっていた。そのときの気持ちは覚えていないが無事にどこかへ飛んでいったんだと思う。


一度アゲハの育て方を経験した私は再び幼虫を何匹も招いて飼育を始めたが、やっぱり何匹も死なせてしまったし、その中で孵化させた蝶がいたか、いなかったかも思い出すことができない。しかし初めて成虫まで見届けたボスのことは心に強く残っており、うんと時が経った今でもこれをしたためながら泣いてしまう。



こんな昔のことをちゃんと書く気になったのは、音楽家ノラオンナさんのインスタ投稿を読んでのことだった。ノラさんが道端で飛べなくなった蝶を拾って一晩過ごした出来事だった。そういう優しい人がいて良かったこと、昔自分が体験した今でも言葉に表せない感情を思い出すきっかけとなり、読後、優しい気持ちに包まれた。あれだけ小さな命がいつまでも私の心を包んだり動かしたりする。これから小さな命の活動が最も活発になる季節。道端で動けなくなった誰かを見つけたら私も優しくしたい。


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