死を意識した日

 久々に幼馴染から連絡が来た。気になって確認すると、それは訃報だった。思い出すのに数秒掛かったが、確か小学校の同級生だった。

「事故で亡くなった」

 たった一行なのに、その言葉は酷く重かった。幼馴染の方は最近まで交流があったようで、そんな状態にも関わらず、訃報を伝えてくれた幼馴染に、何と言葉を掛けたらいいか分からなかった。しばらく考えてから、幼馴染を慮るような文面で返した。

 亡くなった友人は、小学校で交流が止まっている。だから、当時の記憶を思い出すことはできても、そこから先、今の彼について考えることはできなかった。しばらくして、その思考は自分へと置き換わった。事故による死。積み重ねたものが、全て途中で終わってしまう。今は多くの目標があるが、それらを完遂せずに死んでしまうことが、酷く恐ろしく感じた。多分、死というのは高齢になってから訪れるもので、今見えている範囲には存在しないと無意識下に思っていたからだろう。このとき、死という概念が初めて質量を持った気がした。

 祖父母が亡くなったときは、あまり死について実感が無かった。ガンを患って入院していたし、何となく駄目なのかなって薄々思っていた節もあった。ただ、普段笑ってばかりの義父が、声を張り上げて号泣していたことだけは覚えている。

 生と死の境界は、かなり近い。当たり前のように日常を過ごしているが、何かの匙加減で足を踏み入れてしまうような、そんな領域であることを痛感した。きっと今日は、何よりも死を意識した日だろう。