ありがとう鳥山先生

2024年3月8日、鳥山明の訃報が世界中に届いた。
自分も思うことがたくさんあったので、書き残しておこうと思う。

私の人生で最も古い記憶の一つは、ドラゴンボール17巻を絵本のように母に朗読させていたことだ。
ボロボロになった悟空とピッコロの闘いを、「後ろの文字までちゃんと読んで!」と擬音まで一字一句漏らさず読ませ、母を困らせたことをよく覚えている。
おそらく、人生で初めて、自ら望んでエンタメ作品に触れたのがドラゴンボールだった。

文字が読めるようになると、兄が買っていた週刊少年ジャンプを盗み見てドラゴンボールを読むようになった。
兄が買ってくるジャンプを毎週心待ちにしていたのをよく覚えている。
兄の代わりに母がジャンプを買ったとき、これ幸いと先に読んでいたら帰ってきた兄にボコボコにされたこともあった。それくらい、兄弟で夢中になっていた。

次第にドラゴンボール以外の作品も読むようになっていった。幽遊白書、SLAM DUNK、ダイの大冒険、ろくでなしBLUES……気づけば一冊まるごと読むようになり、毎週月曜日が待ち遠しくなった。

あれから約30年、ジャンプは一週も欠かすことなく買い続けている。
マンガは、私にとってかけがえのないエンタメだ。そんな作品たちとの出会いは、思えば全てドラゴンボールがくれたものだった。

また一方で、テレビゲームとの出会いも自分の最古の記憶の一つだ。
あるとき幼い私は、兄とその友達がファミコンで遊ぶのを見ていた。動かすキャラクターがひたすらダンジョンを進んでいくのだが、「バシルーラ」なる呪文で仲間を一人消されては引き返す、という行為を繰り返していた。
何度も進んでは戻ってを繰り返す様子を見て、幼心に「何が面白いんだこれ…」と思った記憶が強く残っている。
後に、兄にレベル稼ぎを命じられたことでそのゲームの楽しさに気づき、自分でプレイするようになる。それがDQとの出会いだった。

DQに惹き込まれた大きな理由の一つが、モンスターのデザインだ。今さら語る必要もないことだが、改めて見返しても凄まじい才能を感じる。
鳥嶋さんが言っていた「目が合うから」というのもあるけど、絶対それだけではない。
本当にいるかもしれないと感じさせる造形と、それを絶妙に失わない範囲でのマンガ的デフォルメ。何よりそれらを自分の絵柄に落とし込んで表現するという発想力と創造性。
これに関しては当時唯一無二というだけでなく、創作論の進んだ現代でも比肩する者がいないのではないかとすら思う。

ともあれ、幼い私はDQのモンスターをひたすら倒し続けるのが楽しくて、ズブズブとゲームの沼にハマっていった。

それから人生の支えとなるゲームとたくさん出会ったが、それらももとを正せば鳥山明から始まっていたのだ。

今の自分は、ゲームとマンガに生かされている。これは趣味としてでもあるし、自分の生きる道もその中にあると思っている。

そして、自分の知るゲームとマンガの世界を改めて見渡してみると、鳥山明が与えた影響というのは、観測できないほど大きい。
忌憚なく感覚的に言ってしまうと、間接的なものまで含めれば、鳥山明の影響を受けてない作品など見当たらないとすら思えてしまう。

そもそも自分は、鳥山明作品との出会いが人格形成期に直撃しており、それが感性や人生観の土台にすらなっている。

だから、「鳥山明」の存在は、自分にとって世界そのものだった。
生まれたてのヒヨコが初めて見たものを親だと思うように、自分の世界では鳥山明こそがエンタメなのだと考えていた。
だから今回の訃報で、まさに世界が壊れたかのような絶望感に見舞われたのだ。

……と、思う。

こんなことを書き出したのは、今回の訃報で自分が感覚以上に動揺したからだ。
情報を追うたびに涙が出てきて、知ってから一日経った今でもまだ気持ちが落ち着かない。
「もちろん大好きだったしファンだったつもりだけど、そこまでだったっけ…?」というのが正直な気持ちだった。

そこで気持ちを落ち着けるために、自分の認識を書き出して整理してみた。
読み返してみると、なんだ、やっぱ鳥山明大好きなんじゃん、と思う。
そりゃそうか。ホントにスゴい人だもんね。

…と、いろいろ書き出して、気持ちは整理できた。
世界が壊れたとか言ったけど、本当に壊れたわけではないので前向きに生きていこうと思う。

鳥山先生、素晴らしい世界をありがとうございました。
天界で安らかに過ごされることをお祈りしています。

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