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いつもキミとともに

人にはいつか死がおとずれる。その「いつか」は50年後かもしれないし、明日……いや、もっと踏み込んで言うならば、今から2〜3時間後かもしれない。

2021年の2月、僕は高校2年から17年の歳月を共にしたパートナーを見送った。具体的な死因は彼女のプライバシーを守るため、ここには書かないが、あえて言うなら「病死」である。

それは僕と義実家、彼女自身にとっても晴天の霹靂だった。
前月、会社の健康診断でほぼA判定だった彼女が、その1ヵ月後には病院のベッドで青白い顔をし、横たわっているのである。

入院後、初めて面会に行ったとき、手には栄養補給の点滴と輸血用の針がそれぞれ刺さり、反対の手には、バイタルチェック用のクリップ(パルスオキシメーター)がついていた。

それまで元気だった彼女が「患者」となったとき、僕ら周りの人間は、今後どんな治療をして、どう生きるかの選択を迫られる。

厳密に言えば、治療計画は本人の意思をもとに、専門チームによって練られるのだが、いわゆる終末期に入り、本人の意識がないときは、周りの人間がその選択を迫られるケースが多い。


僕は2020年6月、主治医といっしょに彼女のCT画像と内視鏡の映像を見た。

前職で病院に勤めていたので、画像と映像を見た瞬間、病状の察しがついた。


彼女とは、2016年から同棲。
以後、仕事以外の時間は、ほぼいっしょに居たにも関わらず、「なんで気がついてあげられなかったはのか……」と自責の念にさいなまれ、押しつぶされた。


と、同時に渾身の気力を振り絞って主治医にこうお願いした。

「僕の臓器・骨髄……あるものすべて使っていいんで、どうにか彼女を助けてください。僕一生ごはんを食べられなくていい。一生歩けなくてもいいから、どうかお願いします」

「お願い」ときれいな言葉で書いたが、正確には土下座である。
⁡僕も大学時代や病院に勤めていたときに、さまざまな症例を目にしていたので、彼女が患った病を考えると、それが難しいことは分かっていた。


けれど「どうにか助けたい」。
ただただその一心で主治医に土下座した。

彼女は「仕事に行く。僕といっしょに住んでいる家に帰る」。
その一心でさまざまなな治療に耐え、家に帰るため、ギリギリまで鎮静剤の使用を拒んだ。鎮静剤を使うと、体力が落ち、回復に時間がかかるからである。

彼女は僕の「生きてほしい」というわがままに応えてくれ、多くの検査・治療に耐えた。その甲斐もあり、宣告されていた余命より3ヵ月も長くいっしょにいてくれた。

彼女と話し合い、当時は最善の治療方法を決めたつもりだが、今はそれが彼女にとって本当に「最善の選択」だったかは分からない。

正直、「もっと良い選択があっんじゃないか」という後悔もある。1人の男として、大切な娘を亡くさせてしまい、義両親には申し訳ない気持ちでいっぱいだ。

死別して半年が経ったころ、それまで親身になって僕の話を聞いてくれていた友だちが「前を向いて」「そろそろ立ち直った?」と聞いてきた。
それは、友だちにとって彼女の死が「過去の出来事」に変わりつつある事実を「現実」という名の矢で刺され、突きつけられた瞬間だった。

2022年9月で死別して、1年7ヵ月になるが、当の僕には「彼女が亡くなった」実感がまったくない。それそころか「いつかひょっこり帰ってくるんじゃないか」という希望を胸に不定期ではあるが、生前と同じようにLINEで日々の出来事を報告している。

これから僕が何歳まで生き、どんな人生を歩むか分からないが、僕はいつもキミとともにいる。
さいごに、これを読んでくれたかたが「命の選択」を迫られたとき、どの道を選ぼうが、それが「最善の選択」になることを僕は心の底から願ってやまない。

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