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人の体は賢いけれど、燃料は作れない

2021年3月20日。彼女が亡くなって1ヵ月半が過ぎたころ僕はODをした。
だが、これは「意図的に過剰摂取しよう」と思ってやったのではない。水分も食事も摂れず、流れ作業のように薬を飲み続けていたら、何かの拍子に薬が効き過ぎてしまいODと似たような状態に陥ってしまったのだ。
なので、表現としては「ODをした」よりも「ODになってしまっていた」が近しい。

断っておくとODする簡単じゃない。人間の体には防御反応が備わっていて、処理しきれない薬が入ってくると、神経と全身の臓器が「これを吐き出させよう」とフル稼働する。なもんで、まず大量の薬を体に入れるのが難しい。
それができたとしても、それを「体内に吸収させまい」と稼働する。
ここでも、体の防御システムが働くのだ。なので、ODをしても具合が悪くなり病院で胃洗浄され、強制的に嘔吐させられるのが関の山である。

死別してからずーっとうつ状態の僕は、抗うつ剤やら抗不安薬やら、睡眠導入剤やら、いろんな薬を飲んでいた。「楽しいこと」が消失してしまった僕にとって、「薬でぼーっとする」、「眠る」は希望である。だって、起きていても楽しみがない。現実と無縁の”夢の世界”では彼女と話せるかもしれないから。
「多少ぼーっとしているくらいで丁度いい」というスタンスなので、”OD状態”になったときも、自分が”それ”とは気づかなかったし、薬で意識がもうろう……みたいなこともなかった。

新しい抗うつ剤を試すにあたり先生から「車を運転しないように」と言われていたので、タクシーで通院。血液や諸々を検査したところ、「ODした?」と言われたのだ。そのあと、「休職しましょう」「精神科へ入院しましょう」みたいな話をされたけど、僕は翌月に仙台への引っ越しを決めていたので、全部断った。

死別以来、希死念慮が耐えない僕は、誰かに「死んじゃダメ」とは言えないし、このエントリーも誰かを諭す意図があって書いているわけではない。だた1つ。「生きるのって難しい」と思う。
死別してから「目標をもって」とか「前向きに」とか言われる機会が増えたけど、死別は、目標をもつための燃料....…前を向くための燃料が強制的に奪われた状態なのだから。

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