モヒートの夜
ずっと片思いだったあの娘を、口説いて口説いて口説き倒して、ようやくディナーに誘い出す事に成功した。
あらかじめネットで調べておいた高級っぽい雰囲気のレストランで食事をしたが、会話は思いのほか盛り上がらなかった。
「あ、もしかして、これで帰られちゃうかな」とビクビクしながら、「もう一軒行きましょう」と切り出すと、彼女はこっくりと頷いてくれた。
ただし、その表情に笑顔は無かった。
次に入った店は、これもあらかじめネットで調べておいた学生には思いっきり敷居が高そうな気取った雰囲気のバーだ。店内にはハードなジャズが流れている。夜景の見えるテーブル席の方が良かったってのに、イケメンの店員に言われるがままに誘導されたのは、トイレ近くの奥のカウンター席の方だった。
いつまでたってもメニューが出てこない。
注文を取りにきたイケメン店員に、僕は「ビール」としか言えなかった。
彼女が今日一番の微笑と共にイケメン店員に注文したのは、「モヒート」という酒だった。
モヒート。
僕が生きてきて一度も聞いた事も飲んだことも無い酒を、今までの人生で何回も何回も注文して何回も何回もその白く細長い喉に通してきたかのように、サラリと注文する彼女の唇がなんだかとてつもなく憎らしく感じた。
バーテンダーがモヒートという名の酒を、彼女の前に置かれたバカルディのコースターの上にそっと優しい手付きで乗せた。あまりジロジロとは見れないが、グラスの中にはなんかの葉っぱが入っていた。
あの葉っぱ、なんだろう?
ドラクエの薬草みたいな体力が回復するやつなんだろうか。
さっきのレストランでの対面座りからカウンターの隣座りにシフトチェンジし、2人の距離はだいぶ縮まっているのに、僕達の会話は相変わらず噛み合わない。僕の振る話はさっきから空回りしっぱなしだ。
とうとう彼女は、「チンコン!」と唐突に嘶いたスマホの画面を、細い指先でサラサラと撫ではじめた。
どうしようもない絶望感におそわれながら、彼女が発した「モヒート」という単語が、さっきから店内にうるさく響いているアート・ブレイキーの手数の多いドラムの如く僕の頭の中に何度も何度も突き刺さってきた。
彼女が発した「モヒート」という名の呪文で、どうやら僕は硬直の魔法をかけられてしまった。
あれから何年たっただろうか。僕は今、フジロックフェスティバルでモヒートを注文して飲んでいる。
「このグラスの中に入ってる葉っぱさあ、なんだと思う?」
「え?これ?何の葉っぱ?」
「パクチーだよ」
「ほんとに?ちょっと飲ませて!・・・もう、これミントでしょ!」
「ハハハ。違うよ。これ、ドラクエの薬草のモデルになった葉っぱなんだよ」
もうモヒートなんか怖くない。きっと今なら、あの日の彼女の笑顔も見れるはずだ。いや、息つく暇なく矢継ぎ早に繰り出す軽口で、彼女を笑い死にさせるくらい盛り上げてやる事だってできるんだ。
あの日からずっとかかり続けている硬直の魔法を解除するために、僕はもう何杯も何杯も薬草入りのモヒートを飲んでいる。
ベロベロに酔っ払って、ブッ倒れて、地面にキスして、ようやく気付いた。ドラクエの薬草は体力は回復するが、いくら飲んでも魔法の効果は解けない。
2023年 今年こそはフジロックへ!
We'll be there!
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