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ウーマックの落とし物

※この駄文を、敬愛するアラン・シリトーに捧ぐ。


ああ、わかっちゃいるさ。全て俺がぶち壊したんだ。

海外ドラマ中毒の俺は、ミオのヤツの事を全く構ってやれなかったんだ。
信じられない事に、アイツも最初は一緒に見てたんだぜ、海外ドラマを。
だけどアイツはいつだって、

「ねえ、今のどういう意味?」

だとか、

「ねえ、この人が犯人なの?」

だとか、

俺が一番嫌いな「ドラマの途中でされる質問」をたくさん投げかけてきやがった。
最初は丁寧に答えてやってたさ。
だが、やがて俺の答えは「うん」とか「ああ」になり、最後は「うるせえ、黙ってろ」になっちまった。

じきにアイツは黙って俺のもとから消えた。死にかけの猫みたいにね。



ある日、いつものように海外ドラマを見ていると、玄関のチャイム音が鳴った。
こんな時間に誰だろう?宅急便かな?
とドアを開けると、そこにはミオが立っていた。

明るい色に染め上げた長い髪と、派手目な化粧、真っ白でタイトなミニスカート。
正直、見違えたぜ。


「・・・久しぶり」


「お、おう」


「ちょっと邪魔していいかしら」


「おう。いつも通り散らかってるけどな」


迎え入れた時、強烈な女の香水の匂いが鼻腔を突いた。


「なんだかやけにおめかししてるじゃないかよ。いったいどうしたい?結婚式の帰りかい?」


ミオは無言だ。

しまった。馬鹿にした感じに聞こえちまっただろうか。うっかり軽はずみな発言を口にしちまった事を後悔した。


「何してたの?」


「いつも通りさ」


「もしかして海外ドラマ?変わってないのね」


ミオはクスクスッと笑った。
つられて俺も肩をすくめてみせた。


「ねえ、タバコもらってもいいかしら」


「ああ。あっちのテーブルの上にマルボロがある」


ミオはゆっくりとテーブルに向かい、クシャクシャのマルボロのソフトケースからタバコを1本咥えると、慣れた手つきでマッチを擦り、タバコに火を点けた。
付き合ってた時は、タバコなんて吸ってなかったってのにな。


ミオはマルボロを吸う事に集中しているようで、俺に全く話しかけてこない。
なんでいまさら突然現れた?こっちも本当は色々と聞きたい事はあったが、俺には聞く権利なんて無えよなとあきらめて、海外ドラマを見ることに集中するフリをした。


マルボロを一本吸い終わる頃、ようやくミオが口を開いた。


「ねえ、あのレコードなんだけど」


壁には、ジェイムズ・カーのレコードが飾ってある。ゴールドワックスのオリジナル盤。俺のレコード・コレクションの中でも一番の自慢の一枚だ。
ジャケットの裏に黒いマジック書きのユーモラスな字体でBobbyと落書きがしてあり、

「こいつは、ウーマックの落し物さ」

と、俺は来客みんなに軽口を叩いた。


「ああ、こいつはウーマックの落し物さ」


俺はニヤリと微笑んでみせた。


「あれさ、ずっと聴いてみたかったんだ。貸してくれない?」


レコード・プレイヤー持ってるのかい?なんてヤボな事は聞かなかった。
俺は黙って頷くと、壁からジェイムズ・カーのレコードを慎重に取り外し、新聞紙で何重にもくるんでから、レコード屋のビニール袋に入れて渡してやった。
あんまり衝撃与えると歪んじまうから気をつけてなって言おうと思ったけれど、そのおせっかいな台詞は飲み込んだ。



数日後、行きつけの中古レコード屋「バックスタバー・レコード」に、ジェイムズ・カーのアルバムが飾ってあった。
店員に頼んで盤を見せてもらう。恐る恐るジャケットの裏を見ると、黒いマジックで見慣れたBobbyの落書きが入っていた。
瞬間、俺は全てを理解した。
ミオは、あの後ここに来て、こいつを売って金を作ったに違いない。俺はジェイムズ・カーを買い戻した。


もう二度と来ないだろうなとは思ったが、いや、また来るかもしれないぜという期待もあって、ジェイムズ・カーを壁の同じ場所にディスプレイした。
アイツはこれを見たら一体どんな顔をするだろうか。


一カ月後、再びドアのチャイム音が鳴った。
ミオだった。
今日は水色の派手なスーツに、淡い桃色地にゴールドのラインが入ったピンヒールときた。


「ちょっと邪魔していいかしら」


「おう、いつも通り散らかってるけどな」


壁のジェイムズ・カーをミオがチラリと見やる。こっちの期待を裏切るようにヤツは表情を一つも変えず、驚いた様子も見せない。まるで、そこにジェイムズ・カーがある事が最初から織り込み済みのように、憎らしいほど落ち着き払った態度だ。悔しい事に、こっちの方がドキドキしちまってる。


「ねえ、タバコもらってもいいかしら」


「ああ、あっちのテーブルの上にマルボロがある」


ミオはタバコを咥えると、慣れた手つきでマッチを擦って火を点けた。壁に飾ってあるジェイムズ・カーを見ながら、マルボロを美味そうに吸い込んでる。
マルボロが吸い終わる頃、口を開いた。


「ねえ、あのレコード、いいわね」


「ああ。こいつはウーマックの落し物さ」


「お願いがあるんだけど」


「なんだい?」


「あれ、聴いてみたいの。貸してくれない?」


「ああ。構わんよ」


俺は前回よりも、まるで大切な骨董品でも取扱うように仰々しくジェイムズ・カーを壁から慎重に取り外し、新聞紙で何重にもくるんでからレコード屋のビニール袋に入れて手渡した。


「あんまり衝撃与えると歪んじまうから、気をつけて運んでな」


今回は、つとめて優しい口調でそう添えた。


数日後、バックスタバー・レコードのレジ上の壁に、前回同様にジェイムズ・カーのアルバムが飾ってあった。
俺はそいつを買い戻し、「もし今後、中古レコード屋に不似合いな派手な女がこいつを売りに来たら、俺が必ず買い戻すから、足元なんか見ないでなるべく高値で買ってやってくれ」とお願いした。



それから毎月、月末になると、ミオはド派手な格好で決まって現れた。
俺はいつしかヤツが来るのが楽しみになってしまっていた。その為にちょっとだけ部屋を掃除したり、ヤツが現れそうな気配がする日は、美味いコーヒーを淹れて待ったりもした。

ヤツもだんだんと打ち解けてきて、「最近は寒い日と暑い日が交互に来て、コートを着るか着ないかで迷う」だとか、流行のスイーツの話など取り止めの無い話を饒舌に俺に話しかけてきた。
俺は、アイツの目を見て、たまに微笑んであげ、まるでありがたいお説教を聞くかのように熱心に耳を傾けた。

しかし、ヤツは必ずマルボロ一本吸い終わる頃に、壁のジェイムズ・カーを指差して、「あのレコードを聴きたい」と言っては、レコードを抱えて帰っていった。


そんなやりとりが数ヶ月続いたが、ある時を境に、ミオはパッタリと来なくなっちまった。
今、アイツがどこで何をしてるか全くわからない。
今は、月末になると、壁に飾ってあるジェイムズ・カーを取り外し、ターンテーブルにのせて針を落とす。そして、マルボロ一本分を大事に味わいながら、こう考える。


「ねえ、彼女とかできた?」


「いやあ、しばらく女はいいや」


「どうして?」


「まあ、海外ドラマ見るのが忙しくてね」


「あなたの人生の半分は海外ドラマね」


ミオはクスクスッと笑う。


「そっちはどうなんだい?」


「私?気になる?」


「いや・・・まあな」


「私、結構モテるんだ」


「そいつはよかった。・・・ミオ、今、幸せかい?」


「どうして?」


「いや、そういう風には見えないからさ」


俺には、アイツを幸せにできる資格が無かった。資格が無いヤツが、こんな事を聞けるはずが無い。
俺とアイツは、ジェイムズ・カーでかろうじて繋がっていただけの関係だ。できれば幸せになっていてほしいと願うことしかできない。
アイツさえ幸せになってくれていれば、俺のこのクソみたいな人生なんていくらでもくれてやるさ。

(インスパイアード・バイ アラン・シリトー 「漁船の絵」)

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